後日談3 卵一つで戦場になる
竜医のおばばが帰ったあと。
屋敷は、戦場になった。
『まず温度管理を!!』
『湿度もです!!』
『振動は禁止!!!』
『床、もっと柔らかく!!』
「ちょっと待て」
アランの声は、完全にかき消されていた。
妖精たちが屋敷中を飛び回り、家具を動かし、布を重ね、床に謎の魔法陣を描いている。
竜型のアルシェが過ごしやすいように屋敷の拡張工事まで始める者がいた。
「……なあ」
隣にいる巨大な藍色の竜に、アランは声を落とした。
「俺たち、今どこに住んでるんだっけ」
『屋敷』
「だよな。昨日まで普通の屋敷だったよな」
『……そう』
アルシェは、まだ少し落ち着かない様子で腹のあたりを見ている。
視線が、何度もそこに戻る。
尾が、いつもより慎重に床を避けているのが分かる。
妖精の一人が、きびきびと報告した。
『振動対策、完了しました!』
『防音結界も二重です!』
「防音?」
『卵は音に敏感ですから!』
「誰に聞いた」
『竜医のおばば様です!』
アランは、ため息をついた。
(あのおばば、余計なことまで言って帰りやがったな)
アルシェが、小さく言った。
『……大げさ』
『大げさではありません!!』
妖精たちが即座に否定する。
『最強竜様の卵です!』
『慎重すぎて足りないくらいです!』
アルシェが一瞬、困った顔をした。
『……最強、関係ある?』
「あるらしいな」
アランは肩をすくめた。
「俺も頑張らないとな」
『……迷惑?』
「いや」
一拍。
「……ちょっと楽しい」
アルシェが、驚いたように目を瞬かせた。
『楽しい?』
「全員必死で、方向性が同じなのがな」
『……方向性』
「おまえを守る方向」
アルシェは、しばらく黙ったあと、尾をそっと床に伏せた。
『……それは』
一拍。
『嬉しい』
◇
その日の午後。
屋敷の前庭に、気配が増えた。
空気が重くなるわけでも、威圧が来るわけでもない。
ただ、数が多い。
アランは窓から外を見て、額を押さえた。
「……来たな」
『来た』
アルシェも見ている。
竜の里の竜たちだった。
若竜。
中竜。
昨日まで岩の影だった連中。
全員、距離を取って屋敷を囲んでいる。
近づかない。
騒がない。
異様なほど、行儀がいい。
「……なんで全員、座ってるんだ」
『待ってる』
「何を」
『知らせ』
その瞬間、空気が少し揺れた。
前に出てきたのは、見覚えのある黒い竜。
若竜の中でも、特に学習能力が高かったやつだ。
そいつは、屋敷からちょうど見える位置で、深く頭を下げた。
礼。
アルシェが、低く鳴いた。
『……知ってるの』
黒い竜が、短く鳴き返す。
空気が揺れる。
アランには分からない言葉。
でも、意味は伝わってくる。
「……察したんだな」
『うん』
アルシェは、少しだけ誇らしげだった。
『匂いが変わった』
「竜の感知能力、ほんと怖いな」
『便利』
「便利で済ますな』
その時、別の若竜が一歩前に出た。
前足で、そっと何かを置く。
果物だ。
昨日より、ずっと柔らかそうなやつ。
そして、すぐ下がる。
完璧な距離。
完璧な配慮。
アランは、思わず笑ってしまった。
「……完全に身内扱いだな」
『家族』
アルシェが、静かに言った。
『もう』
◇
夜。
屋敷の中は、昼間の騒ぎが嘘みたいに落ち着いていた。
妖精たちは交代制で見張りをしている。
見張り、と言っても物音を立てない。
アランは寝台の横に椅子を置き、そこに腰を下ろしていた。
アルシェは、竜型のまま寝台の上に伏せている。
翼は畳まれ、尾はゆるく丸まっている。
『……ねえ』
「ん」
『私、人に戻れない』
「知ってる」
『……嫌?』
アランは、即答しなかった。
竜の額に手を置く。
冷たくも、熱くもない。
「正直に言うぞ」
『うん』
「少し寂しい」
アルシェの目が、揺れた。
『……』
「でもな」
一拍。
「今のおまえも、ちゃんとおまえだ」
『……』
「それに」
アランは、笑った。
「抱きしめにくくなったくらいで、離れる気はない」
アルシェが、低く鳴いた。
安堵の音。
『……番』
「今さら確認するな」
『……言いたい』
「どうぞ」
『一緒』
「うん」
アランは、その場で竜の首に額を預けた。
そのままアランは竜に変化する。
人間だった男と、竜。
白金の竜と、白銀の竜。
形は違っても、距離は変わらない。
屋敷は静かで、妖精たちは息を潜め、外では竜たちが見守っている。
世界は平和だ。
それが、何よりの奇跡だった。
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