43 最終話 幸せ
翌朝、アランが目を覚ました時、違和感があった。
――近い。
距離の話じゃない。
体温の話だ。
アルシェが、眠っている。
それだけで十分に珍しいのに、腕の中に収まっている。
昨夜のことを、はっきりと思い出す前に、アランは一度、息を止めた。
(……幸せだな)
アルシェの髪が、胸元でゆっくり上下している。
呼吸に合わせて。
アランは、そっと腕を緩めた。
起こさないように。
でも、離れすぎないように。
その微妙な調整を、自分が自然にやっていることに気づいて、少し笑った。
◇
アルシェが目を開けたのは、その少し後だった。
「……おはよう」
声が、少し低い。
寝起きの竜だ。
「おはよう」
アランが答えると、アルシェは一拍、こちらを見てから言った。
「生きてる?」
「そこからかよ」
「確認」
「……生きてる」
アルシェは、ほっとしたように息を吐いた。
「よかった」
それだけで、朝としては十分だった。
◇
朝食の時間、妖精たちはいつもより静かだった。
正確に言えば、察していた。
視線を合わせない。
距離を詰めすぎない。
でも、動きは完璧だ。
皿が置かれ、湯が注がれ、何事もなかったように朝が進む。
アランがパンをちぎると、妖精の一人が一瞬だけ目を細めた。
『……落ち着いてますね』
「そうか?」
『はい。とても』
アルシェが、隣で小さく頷く。
「安心してる」
「何を根拠に」
「匂い」
「やめろ」
「嫌?」
「嫌じゃないけど言うな」
妖精たちが、そっと視線を逸らした。
聞かなかったことにするプロだ。
◇
昼過ぎ、アランは屋敷の回廊を歩いていた。
何をするでもない。
ただ、歩く。
アルシェは少し後ろ。
ついてくるでもなく、離れるでもない。
「……なあ」
「なに」
「おまえ、ずっとこうやっていられるのか」
「こうやって?」
「何もしないで」
アルシェは少し考えた。
「できる」
「退屈しないのか」
「しない」
一拍。
「あなたがいる」
アランは、立ち止まった。
「……それ、重くないか」
「軽い」
「またそれか」
「本当」
アルシェは、回廊の柱に手を置いた。
「昔は、何かしてないと世界が壊れる気がした」
「……今は?」
「壊れない」
その言葉は、誇張でも自慢でもなかった。
ただの確認だった。
◇
夕方、妖精たちの間で小さな会議が開かれた。
声を潜めて。
でも、結論は早い。
『今日は……』
『普通ですね』
『ええ、とても』
妖精長が頷いた。
『なら、問題ありません』
誰も「昨夜」の話はしない。
必要がないからだ。
屋敷が無事で、主が穏やかで、客人……今は主の番が生きている。
それがすべて。
◇
夜。
アランは寝台に腰を下ろし、アルシェを見た。
「……なあ」
「なに」
「明日も、こんな感じか」
「うん」
「その次も?」
「うん」
アランは、深く息を吐いた。
「……それでいい」
アルシェは、静かに微笑った。
「それが、番」
言い切りだった。
でも、押し付けじゃない。
アランは立ち上がり、アルシェの前に立つ。
「……触れていいか」
アルシェは、一瞬だけ目を瞬かせてから頷いた。
「いい」
抱き寄せる。
昨日より、自然に。
唇を重ねる前に、アランは小さく笑った。
「……世界、静かだな」
「うん」
「もう、暴れなくていい」
「暴れない」
一拍。
「守るだけ」
その夜、屋敷はいつも通り静かだった。
神殿も、竜の里も、遠い。
妖精たちは眠り、風は窓を叩かない。
あるのは、二人分の呼吸と、
明日も同じ朝が来るという確信だけ。
それで、十分だった。
◇
それから数日、屋敷は同じ朝を繰り返した。
朝日で目を覚まし、妖精たちの気配で一日が始まる。
食卓には刺激のない料理が並び、風はいつも同じ方向から吹いた。
変わったことと言えば――
アルシェが、以前よりよく「人の形」でいるようになったことくらいだ。
理由を聞いても、返事は短い。
「楽」
それだけ。
◇
ある昼下がり、アランは屋敷の書庫で本を整理していた。
整理と言っても、分類し直すだけだ。
妖精たちが完璧に管理しているので、実質は気分転換に近い。
アルシェは床に座り、相変わらず内容の分からない本を眺めている。
「……なあ」
「なに」
「その本、もう三回くらい最初のページ見てないか」
「見てる」
「読んでないだろ」
「いい」
「よくないだろ」
アルシェは気にせず、ページを撫でた。
「ここ、静か」
「内容より環境かよ」
「大事」
アランは本を棚に戻しながら、ふと思った。
「……おまえ、暇じゃないのか」
アルシェは首を傾げる。
「暇?」
「世界を守るとか、神を焼くとか、そういうの」
一拍。
「今は、ない」
「じゃあそのうち?」
「そのうち、昼寝の後」
「順番が雑!」
でも、冗談めかしたその言葉に、不安はなかった。
◇
夕方、庭で風に当たっていると、妖精の子供が近寄ってきた。
『あの……』
「ん?」
『もう、どこにも行かれませんか?』
アランは一瞬、言葉に詰まった。
アルシェが、少し後ろから答える。
「行かない」
即答だった。
妖精の子が、ほっとしたように笑う。
『よかった』
それだけ言って、駆けていった。
アランは、アルシェを振り返った。
「……いいのか」
「いい」
「世界は?」
「壊れない」
アランは、空を見上げた。
確かに、壊れる気配はなかった。
◇
夜。
二人並んで、屋敷の庭にでる。
星は多くない。
派手でもない。
「……竜の里に戻りたいことは?」
「ない」
「即答すぎるだろ」
「ここに、番がいる」
その言葉も、もう驚かなくなった。
アランは小さく笑って、言った。
「……俺さ」
「なに」
「最初、おまえのこと怖かった」
「知ってる」
「今も、たまに怖い」
「うん」
「でも――」
一拍。
「ここにいるのは、怖くない」
アルシェは、ゆっくり頷いた。
「それで、いい」
指先が触れる。
許可はいらない距離。
◇
その夜、アランは夢を見なかった。
目を閉じて、目を開けたら朝だった。
それだけだ。
起き上がると、アルシェがすでに起きている。
「……おはよう」
「おはよう」
「生きてるか」
「生きてる」
確認は、もう儀式みたいなものだった。
アランは伸びをして、笑う。
「……今日も、何も起きないな」
アルシェが、少しだけ口元を緩めた。
「それが、幸せ」
屋敷の朝は静かで、
妖精たちは忙しく、
世界は遠くで、
竜は隣にいた。
――物語は、ここで終わっていい。
何かが始まる音も、終わる音もない。
ただ、続いていく。
人間だった男と、最強竜が、
今日も同じ屋敷で暮らしている。
それだけの話だ。
読んでくださり、ありがとうございました。
本編は完結となりますが今後は閑話や後日談も予定しておりますのでよろしければブックマークしてお待ちいただければと思います。
少しでも楽しんでいただけましたら、⭐︎やブクマで応援していただけると嬉しいです。
☆☆☆☆☆→★★★★★ (*_ _)人
また本日より、新作『処刑された公爵令嬢は竜となって蘇る(※復讐は竜をも狂わせます)』の投稿も開始しました。
アルシェとアランの娘のお話で、完結まで毎日更新予定です。
読んでいただけましたら作者がとても喜びますので、ぜひよろしくお願い致します。




