42 日常
翌朝、アランは朝日の光で目を覚ました。
屋敷の朝は静かだ。
鳥の声が遠く、風が窓を撫でる音がかすかにする。
「……生きてるな」
誰に言うでもなく呟くと、隣から返事が来た。
「うん」
アルシェはもう起きていた。
ベッドの端に腰掛けて、アランの顔を見ている。
「……見るな」
「見てる」
「やめろ」
「やめない」
アランは顔を覆った。
「朝からそれか……」
アルシェは少しだけ首を傾げる。
「朝は、確認」
「何のだ」
「生きてるか」
「確認される側の気持ちも考えろ」
アルシェは真面目に頷いた。
「考える。人間にとって竜化は危ない」
そして一拍。
「生きてて、よかった」
それだけで、文句を言う気が失せた。
◇
朝食は、妖精たちが用意していた。
パンは柔らかく、果物は酸味が控えめ。
肉は出ない。
昨日の今日だから、という配慮だ。
アランが席に着くと、妖精たちが一斉に安堵の息を吐いた。
『今日は……』
『落ち着いていますね』
『胃の音がしません』
「そこ基準なんだ」
アルシェが隣に座る。
距離は、拳一つ分。
近いけど、触れない。
もうそれが“普通”になりつつある。
アランがパンを口に運ぶと、アルシェがじっと見る。
「……食べるの、そんなに珍しいか」
「好き」
「何が」
「食べてる顔」
「評価基準が顔から離れないな」
アルシェは頷いた。
「顔、大事」
そうは言うがアルシェの顔だってどう考えても世界一の美貌なのだが。
鏡をみればいいのにそう思う時もあれど自分の顔と他人の顔は別物なのだろう。
妖精の一人が、そっと紅茶を差し出す。
『どうぞ』
「ありがとう」
そのやりとりを見て、アルシェが小さく言った。
「ここ、安心」
「……それ、俺の台詞でもある」
◇
昼前、アランは屋敷の庭に出た。
特別な庭じゃない。
石畳があって、木が数本あって、風が通るだけの場所だ。
アルシェは屋敷の縁側に腰を下ろし、こちらを見ている。
相変わらず、見ている。
「……なあ」
「なに」
「俺、監視されてるのか」
「見守り」
「語彙を変えるな」
アランは庭の石に腰を下ろし、背中を伸ばした。
影の翼は出ない。
鱗も増えない。
身体は、昨日より人間寄りだ。
(……戻れるんだな)
それが分かって、少しだけ安心した。
アルシェが、その様子を見て言う。
「戻ってる」
「見て分かるのか」
「分かる」
「便利だな」
「便利」
「認めるな」
◇
午後は、何もしなかった。
これが一番の贅沢だと、アランは思う。
妖精たちはそれぞれの仕事に戻り、
屋敷は“暮らしている音”だけを残して静かだった。
アルシェは縁側で、本を開いている。
読んでいるのかどうかは怪しい。
「……読めてるのか、それ」
「見てる」
「文字は?」
「見てる」
「内容は?」
「分からない」
「堂々と読むな」
アルシェは気にしない。
「分からなくても、ここにある」
「本の扱いが雑!」
でも、その横顔は穏やかだった。
最強竜が、意味も分からない本を眺めている。
それを誰も咎めない。
アランは、それを眺めながら思った。
(……平和だな)
◇
夕方、妖精たちが騒がしくなった。
『お風呂の準備を』
『温度は低めで』
『湯冷め防止を』
「……普通の家事なのに、なんでこんな大仕事感があるんだ」
アルシェが即答する。
「大事」
「まあ……そうか」
湯に浸かる前、アランはふと思って聞いた。
「……なあ」
「なに」
「おまえ、真名を教えたあと、後悔とかないのか」
アルシェは、即答しなかった。
一拍。
それから、首を横に振る。
「ない」
「迷いも?」
「ない」
「……重くなかったか」
アルシェは、静かに言った。
「軽くなった」
その言葉に、アランは何も返せなかった。
◇
夜。
寝台に並んで座り、灯りが落ちる。
今日一日、何も起きなかった。
それが、何よりの出来事だった。
アランは天井を見上げて言う。
「……このまま、ずっとこんな感じでもいいな」
アルシェが、少しだけ間を置いて答える。
「うん」
一拍。
「それが、番」
アランは苦笑した。
「……ずるい言葉だな」
「ずるくない」
「ずるい」
「許す?」
「……許す」
アルシェが、そっと距離を詰める。
「触っていい?」
「……いい」
指先が触れる。
逃げ道は塞がれない。
ただ、そこにある。
アランは目を閉じた。
手を伸ばしてくるアルシェを引っ張って抱き寄せる。
驚く竜の唇に自分の唇を重ね合わせた。
そんな表情は初めて見る。
まだまだこの竜の知らないところはたくさんある。
長くなってしまった生がそれをまた教えてくれるだろう。
世界は今日も静かで、屋敷は安全で、この腕の中にいるのは愛しい番だ。
それ以上、望むことはなかった。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




