40 帰宅
帰路は、来た時ほど騒がしくなかった。
アルシェは竜型のまま、谷の外れで一度だけ翼を広げる。
風が巻き上がるが、若竜たちは追ってこない。
送るだけで満足したらしい。
アランは一歩、前に出た。
「……なあ」
『なに』
「帰りも、抱えるやつか」
アルシェは一拍、考える。
『今日は、違う』
「……違う?」
白銀の竜が、少しだけ首を下げた。
『立って』
アランは眉を寄せながらも、言われた通り立つ。
地面は安定している。
風も強くない。
アルシェの翼が、ゆっくりと影を落とした。
『跳ぶ』
「え」
『小さく』
「……昨日より急じゃない?」
『今日は、練習』
アランは一瞬、胃に手を当ててから深呼吸した。
「……落とすなよ」
『落とさない』
「信用していいな?」
『見てる』
その言葉で、十分だった。
◇
アランは一歩、踏み出した。
跳ぶ、というより――身体を前に預ける。
その瞬間。
足裏が、地面から離れた。
「……っ」
浮いた、と思うより先に、風が背中を押した。
下に落ちる感覚はない。
横に“進む”だけだ。
ほんの一拍。
そして、着地。
ぱし、と軽い音。
アランは瞬きをした。
「……今」
『浮いた』
「……浮いたな」
『うん』
アルシェの声が、少しだけ嬉しそうだった。
『怖かった?』
「……ちょっと」
『でも、逃げなかった』
「逃げたら余計落ちる」
『学んだ』
「犬みたいに言うな」
でも、胸は変に静かだった。
心臓はちゃんと動いている。
もう一度、アルシェが翼を広げる。
『今度は、少し遠く』
「条件増えるの早くない?」
『帰るため』
「帰るためなら……まあ……」
アランはもう一度、踏み出した。
今度は、少しだけ長い。
風が頬をなぞる。
景色が、流れる。
怖さより先に、変な感覚が来た。
(……あ、これ)
(落ちない)
着地。
今度は、音すらしない。
アルシェが、ゆっくり頷いた。
『できた』
アランは息を吐いた。
「……できたな」
◇
そこから先は、アルシェが運んだ。
でも、抱える位置が少し違う。
“連れて行く”じゃなく、“一緒に進む”位置。
アランはそれに文句を言わなかった。
空は高く、風は穏やかで、胃は静かだった。
◇
屋敷が見えたのは、空が少し傾き始めた頃だった。
最初に見えたのは、灯り。
次に、音。
羽音。
そして。
『――おかえりなさいませ!』
妖精たちの声が、重なって飛んできた。
アルシェが屋敷の前に降り立つ。
人型に戻るのは、その後だ。
アランが地面に足をつけた瞬間、妖精たちがわらわら集まってきた。
『ご無事で……!』
『汚れてませんか!?』
『お腹は!?』
『お疲れでは!?』
「ちょっと待て、一気に来るな」
アランが言う前に、妖精の一人がぱっとタオルを広げた。
『座ってくださいませ!』
「え、今!?」
「今です!」
別の妖精が水を差し出す。
『喉!』
『甘いのもあります!』
『胃に優しいやつです!』
完璧だ。
竜の里より扱いが丁寧だ。
竜対応から人間対応になっただけなのだが。
アランは思わず苦笑した。
「……ただいま」
その一言で、妖精たちが一斉にほっと息を吐いた。
『おかえりなさいませ』
『本当に……』
アルシェが少し離れたところで、その様子を見ている。
介入しない。
距離を保つ。
でも、目は柔らかい。
アランがそれに気づいて、小さく言った。
「……ちゃんと帰ってきたな」
アルシェが頷く。
「うん」
一拍置いて。
「帰る場所」
妖精たちが、一斉に頷いた。
『はい!』
『ここです!』
アランは背もたれに身を預けて、ようやく完全に息を吐いた。
世界は静か。
屋敷は安全。
胃も今は味方だ。
竜の里から戻ったばかりなのに。
不思議と、ここが一番現実だった。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




