38 竜の里の夜
宴は、いつ終わったのか分からない。
竜たちは「解散」を言わない。
満足したら、静かにいなくなる。
それだけだ。
アランの前の皿は、いつの間にか“食べられる分だけ”が残り、それ以上は増えなくなっていた。
骨も果物の皮も、見える場所にまとめてある。
礼をした、ということになるらしい。
犬の文化だ。
アランは最後に小さく息を吐いて、背中を伸ばした。
「……思ったより無事だな」
アルシェがすぐ隣で頷く。
「生きてる。えらい」
「……そうだな」
アルシェが楽しそうに目を細めた。
言い返さない。
今日はもう、そこに体力を使う日じゃない。
アンフィスが一歩前に出る。
「叔母上、客人。戻りましょう」
「帰る?」
アルシェが首を傾げた。
「寝る」
「寝るのは分かった」
アンフィスが淡々と補足する。
「里では“宴の後に騒がない”が礼儀です」
「竜も礼儀あるんだな」
「あります。たまに忘れるだけです」
アルシェが即答する。
「忘れない」
アンフィスが一拍止まって、静かに言った。
「……今は」
「今は、って言ったな」
アルシェは気にしない顔で、アランの手を取る。
「触っていい?」
「……いい」
たぶん確認の儀式みたいなものなんだろう。
アランはそう思うことにした。
◇
通された寝床は、洞穴の奥じゃなく、谷の外れの岩棚だった。
風が通るのに、冷えない。
見晴らしが良くて、逃げ道もある。
人間向けの“気遣い”が、竜基準で配置されている。
アルシェが岩を軽く撫でると、角が丸くなった。
背中が痛くならない形。
寝返りを打っても落ちない高さ。
アンフィスが静かに言う。
「ここは、私が子供の頃に使っていた場所です」
アランが目を瞬く。
「……え、良いのか」
「良いです。叔母上の恋人なら」
「その言い方、微妙に嫌だな」
「公式なので」
「やめろ」
アルシェが満足そうに頷く。
「公式、いい」
「おまえも乗るな」
アンフィスは咳払いを一つして、少しだけ柔らかい声になる。
「明日、若竜が来ます。騒がないでください」
「騒がない努力はする」
「努力で足りない場合は」
アンフィスがアルシェを見る。
「叔母上、止めてください」
「止める」
即答。
即答だが、信用が置ける即答だった。
アンフィスは短く頷き、去っていく。
去り方が仕事だ。
寝る前に片づけることが一つ二つじゃない足取り。
◇
二人きりになると、静かになった。
静か、というより、耳が休む。
竜の里の夜は音が少ない。
だから自分の呼吸と、アルシェの呼吸が妙に目立つ。
アランは仰向けになり、天井代わりの夜空を見た。
「……なあ」
「なに?」
「今日の“見せびらかし”は、満足か」
アルシェは少し考えてから言った。
「半分」
「半分?」
「食べた。呼んだ。座った」
「それ、達成項目なのか」
「うん」
「チェックリスト方式かよ」
アルシェは真面目に頷く。
「でも、まだ」
アランは嫌な予感で眉を寄せた。
「……まだ、何」
アルシェがさらっと言う。
「あなたが飛ぶ」
アランは一拍、無言になった。
「……影の翼、あれのことか」
「うん。次は、もっと小さく」
「小さく?」
「小さいのが安全」
「珍しくまともだな」
「恋人のため」
「そこに着地するのはやめろ」
アルシェが少し笑って、アランの頬に指を当てた。
「触っていい?」
「……いい」
触れ方が軽い。
指先だけ。
逃げ道を塞がない。
アランの喉が鳴った。
「……おまえ、ほんとに“距離”覚えたんだな」
「覚えた」
「誰に」
「あなたに」
その言葉が腹立つほど効く。
アランは目を閉じる。
「……明日、若竜が来るんだろ」
「うん」
「どういう“遊び”なんだ」
アルシェが少し首を傾げた。
「果物、転がして」
「やめろ」
「肉、置いて」
「やめろ」
「匂い、嗅ぐ」
「それは……まあ……」
「頭、つつく」
「やめろ」
アルシェが真面目に言う。
「つつく前に、許可を取らせる」
「そこは徹底してくれ」
「徹底」
アランは小さく息を吐いた。
「……犬の群れに慣れる修行か」
「竜」
「犬」
「竜」
「犬」
アルシェが少しだけ口元を緩めた。
「犬でもいい」
「いいのかよ」
「かわいいから」
「……その評価は、もうわかってる」
アルシェが嬉しそうに頷いた。
「うん!」
◇
夜が深くなる。
眠りに落ちる直前、アランはふと思って口にした。
「……おまえさ」
「なに」
「世界のこと、あとでまた面倒起きないのか」
概念の話はしない。
でも現実の不安はある。
アルシェは一拍置いて、淡々と言った。
「起きる」
「起きるのかよ」
「でも、先に潰す」
「……何を」
「神殿」
短い。
具体的で胃に悪い。
アランは目を閉じたまま、低く言った。
「……明日か」
「明日。昼寝の後」
「昼寝挟むな」
「大事」
「それは同意」
アルシェの指が、アランの手をきゅっと握る。
「触っていい?」
「……いい」
「じゃあ、寝る」
「おまえも寝ろ」
「見る」
「やめろ」
「見守る」
「語彙の強度を上げるな」
アルシェが小さく笑って、今度こそ目を閉じた。
夜空の下で。
竜の里の外れで。
人間だった男と、最強竜が、静かに眠りについた。
◇
翌朝。
アランが目を開けた瞬間、嫌な確信があった。
いる。
近い。
そして、静かすぎる。
アランはゆっくり首だけ動かして、視界の端を確認した。
岩棚の下。
少し離れた場所。
黒い影が三つ。
青い鱗が一つ。
白っぽい若竜が一つ。
全員、座っている。
待っている。
行儀がいい。
犬だ。
アランは声を出さずに唇だけ動かした。
(……来てる)
隣でアルシェが、目を開けずに言った。
「来てる」
(聞こえてたのかよ)
アルシェが起き上がり、寝ぼけた顔で一言。
「行儀よくする日」
影が、ぴしっと姿勢を正した。
アランは胃を押さえた。
(号令が効いてる……)
その時、若竜の一匹が、前足でそっと果物を転がした。
ころころころ。
昨日と同じ。
でも今度は、距離が完璧だ。
アランの足元で止まるように計算されている。
アルシェが目を細めた。
「学んだ」
アランは小さく息を吐いた。
「……学習能力だけ一流の犬だな」
アルシェが頷く。
「犬」
若竜たちが、嬉しそうに尾を揺らした。
たぶん。
◇
アンフィスの声が遠くから飛ぶ。
「叔母上。朝から甘やかさないでください」
アルシェが即答する。
「甘やかす」
「……」
アンフィスのため息が聞こえた。
そしてアランは理解した。
今日は長い。
そして静かに大変だ。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




