32 歓迎 前編
昼寝、というより“意識の退避”だった。
アランが目を閉じると耳に残っていた世界の情報が少しずつ薄まる。
竜の里の静けさがやっとちゃんと静けさとして耳に入ってくる。
石の冷たさ。
風の匂い。
遠くの洞穴の水音。
そして、近い呼吸。
アルシェの呼吸は相変わらず近いのにもう“うるさく”感じない。
それがまた怖い。
アランは目を開けずに呟いた。
「……なあ」
「なに」
「おまえ、寝てないだろ」
「寝てない」
「なんでだよ」
「見てる」
「やめろって言っただろ」
「見守る」
「語彙の強度上げるな」
アルシェが一拍置いて、許可を取る。
「触っていい?」
「……いい。今はいい」
指先がこめかみに触れ、音量がもう一段だけ落ちる。
“整う”感覚がする。
アランは息を吐いた。
「……便利だな」
「便利」
「認めるな」
そのまま、少し眠った。
◇
次に目を開けた時、まず最初に気づいたのは――匂いだった。
甘い。
果物の甘さ。
それに、血の匂いがほんの少し。
生じゃない。
焼いた匂いでもない。
新しい肉の匂い。
アランは体を起こしかけて、すぐ止まった。
(……置かれてる)
寝床のすぐ横。
風の通り道じゃない場所に。
丸い赤い実がいくつか。
つやのある黒い実。
そして、骨付きの肉――いや、骨ごと大きい。
“人間の食卓”の大きさじゃない。
でも、“竜の一口”に比べれば気遣いが見えるサイズだ。
アランは胃を押さえた。
「……おい」
アルシェが瞬きをする。
「なにこれ?」
アランが指さすとアルシェはすぐ頷いた。
「歓迎」
「歓迎って言うな、怖い」
「怖くない」
アルシェは周囲を一度、じっと見る。
見えていないのに見えている顔。
「みんな、行儀よくしてる」
「行儀よく“置き逃げ”してるだけだろ……!」
アルシェが首を傾げる。
「置き逃げ、かわいいよ?」
「評価が犬なんだよ」
アルシェが即答する。
「犬、好き」
「そこは合意するけど!」
アランは肉と果物を見下ろす。
誰が置いたかは分からない。
でも“気配”が残っている。
大きな鼻先で嗅いで迷って、怒られない距離でそっと置いて、そのまま走って逃げた感じ。
でかい犬だ。
でかすぎる犬だ。
アランは小さく呟いた。
「……あいつら、俺をどう扱えばいいか分かってないんだな」
アルシェが頷く。
「分かってない。だから、優しい」
「それ、理屈として成立するのか」
「する」
「竜基準で言うな」
◇
そのとき、遠くの岩棚がほんの少し鳴った。
ゴリ、と石が擦れる音。
見上げると稜線の影が一瞬だけ動いて、止まる。
見てる。
でも近づかない。
距離は守ったままだ。
さっきのアンフィスの「行儀よく見ろ」が効いてる。
アランは胃を押さえた。
「……見てるな」
アルシェが即答する。
「見てる」
「いや、そこで同意されても」
アルシェは真顔で言った。
「食べる?」
アランが固まる。
「え、今この状況で?」
「歓迎、受け取る」
「受け取らないと失礼とかそういう?」
アルシェは少し考えてから言う。
「竜族は」
一拍。
「嫌いなもの、置かない」
「雑な文化だな!」
「優しい文化」
「優しいけど雑!」
アルシェは見たことない赤く艶々とした果物をひとつ手に取って、アランに差し出す。
「これ、甘い」
「……毒とかじゃねぇよな」
アルシェが首を傾げる。
「毒、嫌」
「その“嫌”は信じる」
アランは受け取って、齧った。
甘い。
歯が驚くくらい甘い。
でもくどくない。
果汁が舌に広がった瞬間、腹が落ち着く。
胃が、ちょっとだけ黙る。
アランは目を見開いて思わず口元を押さえた。
「……うまい」
アルシェの目が細くなる。
「いい顔」
「褒めるな!」
「褒める」
「やめろ!」
「やめない」
会話が幼児みたいだ。
でも今は、それが助かる。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




