31 竜の里 後編
しばらく歩くと、岩の壁に刻まれた古い模様が見えてきた。
竜の文字だ。
読めない。
でも“気配”だけは分かる。
アンフィスが言う。
「ここで練習します」
「さっきも練習しただろ!」
「さっきは“導入”です」
「最悪の授業構成だな!」
アルシェが楽しそうに言う。
「二限目」
「学校みたいに言うな!」
アンフィスは真顔で続ける。
「今日は、無理をしない。叔母上、暴走しない」
「しない」
「昨日もそう言ってました」
「昨日じゃない。今日」
「信用が薄い」
「薄い?」
アルシェが不満そうにする。
「恋人の前で、信用薄いの嫌」
アンフィスの眉が一瞬だけ動いた。
そして淡々と言う。
「……なら、行儀よくしてください」
「行儀」
アルシェが頷く。
「行儀よくする日」
アランは思った。
(竜族の合言葉なのかそれ)
アンフィスがアランに向き直る。
「まず鱗。昨日は一枚、今日は二枚」
「増やすな!」
「増やします」
「言い切るな!」
アルシェが横から言う。
「二枚はかわいい」
「かわいいで決めるな!」
アンフィスが淡々と指示する。
「首の後ろ。今ある一枚を意識して、隣に“硬さ”を作る」
「硬さって言い方が嫌だ」
「嫌でもやってもらいます」
「うわぁぁぁ!!」
アランは深呼吸した。
首の後ろの鱗。
そこに隣接する場所が、むず痒くなる。
さっきよりはマシだ。
でも、皮膚が“自分のものじゃない”感じがする。
「……来る」
アルシェがすぐに言う。
「触っていい?」
「……いい」
指先が触れるとむず痒さが“怖くない痒さ”に変わる。
理不尽だ。
アランは目を閉じて、硬さを想像した。
ぱち、という音はない。
でも、そこに“もう一枚”できた。
指で触ると、つるりとした小さな板。
「……増えた」
アンフィスが頷く。
「増えました」
アルシェが満足そうに言う。
「かわいい」
「褒めるなぁぁぁ!!」
アンフィスが続ける。
「次。熱耐性。叔母上から聞きましたが火山で寝たようで。寝たのは危険だが、結果として適応が進んだようですね」
「危険って言った!!」
「危険です」
「言い直すな!!」
アルシェが首を傾げる。
「寝たの、よかった」
「おまえの“よかった”は信用できねぇ!」
アンフィスが淡々と地面を指さす。
「ここ、触れ」
岩の上に、薄く熱が走っている場所がある。
地脈の熱だ。
アランは顔をしかめた。
「……触るのか」
「触ります」
「言い切るな!」
アルシェが許可を取る。
「一緒に触っていい?」
「……いい。今はいい」
指先が重なる。
アルシェの指が上。
アランの指が下。
熱が、来た。
でも、刺さらない。
焼けるような痛みじゃなくて、温かい重さ。
アランは驚いて息を吐いた。
「……あ、平気だ」
アンフィスが頷く。
「進んでいる」
「その言葉やめろ!」
アルシェが言う。
「嬉しい」
「嬉しいな!! こっちは怖い!」
アルシェが少しだけ声を落とす。
「怖いは、守る」
その一言が、変にまともで。
アランは返せなくなる。
アンフィスが咳払いをした。
「次。声の安定」
「また声か!」
「声は重要です。竜の言葉で最終的には世界が動きます」
アランの胃が痛む。
「動くなよ……」
「動きます」
「言い直すな!!」
アルシェが真顔で言う。
「動かすの私だけでいい」
「優しい顔して物騒なこと言うな!」
アンフィスが淡々と指示する。
「胸で息を押せ。短く」
アランは胸の奥の空洞を想像した。
息を落とす。
「……っ」
今度は、震えが小さい。
岩が震えない。
でも空気が少しだけ“張る”。
アンフィスが頷く。
「良い」
アルシェが即答する。
「いい顔」
「評価軸が違う!!」
◇
練習の合間、視線がまた集まる。
遠くの岩棚に、巨きな影が一つ。
洞穴の影から、青い光が一つ。
空を横切る黒い影が一つ。
竜たちは近づかない。
でも見ている。
見ているというより、確かめている。
アランは汗を拭って、胃を押さえた。
「……なあアンフィス」
「何です」
「あいつら、俺をどう思ってる」
アンフィスは一拍置いて、淡々と答えた。
「珍味」
「おい」
「冗談です」
「冗談のテンションじゃねぇ!」
アンフィスは続ける。
「叔母上が選んだ相手なので、興味がある。危険かどうかも」
「危険って言うな!」
「危険です」
「言い直すな!!」
アルシェが横から言う。
「危険じゃない。かわいい」
「評価軸のせいで余計危険だよ!」
アンフィスが静かに言った。
「叔母上」
「なに」
「見せびらかしは、ほどほどに」
アルシェは首を傾げる。
「ほどほどって、どれ」
「……」
アンフィスが目を閉じた。
また医薬が欲しいという顔だ。
「今日のところは、“竜型で飛んできた”だけで十分です」
アルシェが頷く。
「じゃあ次は、抱っこじゃなくて背中に乗せる」
アランが即座に叫んだ。
「やめろ!!」
アルシェが首を傾げる。
「嫌?」
「嫌!!」
「嫌は便利」
「便利って認めるなぁぁぁ!!」
アンフィスが淡々と結論を出す。
「本日の練習は終了」
「助かった……!」
アルシェが不満そうに言う。
「まだ」
「まだじゃない! 俺の胃が持たない!」
アルシェが一拍考えて、真面目に言った。
「じゃあ、休憩」
アンフィスが頷く。
「休憩です。叔母上、休憩は重要です」
アルシェがアランを見る。
「恋人、昼寝」
「昼寝好きだな!!」
「好き」
「単語短いのやめろ!」
◇
岩棚の影。風の通り道。
そこにアルシェが“人間基準”の寝床を作る。
派手な魔法じゃない。
角を丸くし、温度を均し、風を避ける。
行儀の魔法だ。
アランは座り込んで、息を吐いた。
「……なあ」
「なに」
「おまえさ」
「うん」
「俺の竜の姿、もっと見せびらかしたいのか」
アルシェは即答した。
「うん」
「正直!!」
アルシェは少しだけ声を柔らかくする。
「好きなものは、見せたい」
アランの胃が、別方向で死にかけた。
「……俺が好きなもの扱いになってるの、怖い」
「怖い?」
「怖い」
アルシェは一拍置いて、許可を取る。
「触っていい?」
「……いい」
指先が頬に触れる。
熱くない。
怖さが少し薄れる。
「好きは、縛らない」
アルシェが淡々と言った。
「世界みたいに、触らない」
その言葉が、火山より静かに落ちた。
アランは、息を吐いた。
「……おまえ、たまにズルだな」
「ずるくない」
「ずるい」
アルシェが首を傾げる。
「許す?」
「許すって言ったら調子乗るだろ」
「乗る」
「正直!!」
アルシェは少し笑って、アランの肩に額を寄せた。
「じゃあ、ほどほどに乗る」
「ほどほど覚えたのかよ」
「アンフィスが言った」
アンフィスが遠くで小さく咳払いをした気がした。
胃薬顔が浮かぶ。
アランは目を閉じた。
世界は静かだ。
竜族の視線は重い。
でも、アルシェの指先は距離を守る。
その距離の中だけが、なぜか安全だ。
アランは小さく呟いた。
「……今日は、行儀よくする日だったな」
アルシェが頷く。
「うん」
一拍置いて、付け足す。
「明日も」
「延長するなぁぁぁ!!」
谷に、竜の笑い声が静かに落ちた。
空気が鳴らない。
祈りもない。
あるのは、竜の里の静けさと、胸のうるささと、恋人の計画だけだ。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




