27 竜化 後編
アルシェは立ち上がり、火口の縁から少し離れた場所へ歩いた。
歩き方が妙に丁寧だ。
行儀よくする日。
その言葉が、こういう時にだけ頼もしいのが腹立つ。
アルシェが振り返り、小さく言った。
「驚かないで」
「無理だろ」
「静かに驚いて」
「そんな器用なことできるか!」
アルシェは目を閉じた。
次の瞬間、空気が変わる。
“圧”が来た。
世界が膝をつきたくなる圧。
でも怖いだけじゃない。
美しい、みたいな感覚が混ざっている。
最悪だ。
光が裂けるように広がった。
白銀の鱗。
月光みたいな反射。
翼が山影を作る。
そして、火山の熱気の中でなお涼しげな存在がそこに立っていた。
竜。
アルシェの本性。
巨大で、神話そのものみたいで、でも――
その竜が、ゆっくり首を下げてくる。
アランの目線に合わせるみたいに。
『アラン』
声は耳じゃなく、胸に響く。
アランの胃が鳴った。
「改めて見ると……おまえ、ほんとに竜だったんだな」
『竜だよ』
「知ってたけど! 知ってたけど規模が違う!!」
竜が、たぶん笑う。
『恋人に見せたい』
「その動機が可愛くて腹立つ!」
竜の鼻先がふわりと近づく。
触れそうで、触れない。
距離を守っている。
アランはそこに、変な安心を覚えた。
「……おまえ、行儀よくできるんだな」
『できる』
「今日だけか?」
『今日だけは』
「その台詞、さっき聞いた」
『覚えてる。恋人だから』
「便利すぎるだろその結論!」
竜が少し首を傾ける。
『匂いが変わった』
アランが固まる。
「……さっきの“進めるだけ”のやつか」
『うん』
「わかんのかよ」
『分かる。私が触ったから』
「言い方!!」
『でも許可もらった』
アランが言葉に詰まる。
(……くそ、正しい)
竜が、少しだけ得意げに胸を張った。
『次は、練習』
アランの胃が未来の死を予告した。
「……練習って、まさか」
『竜化』
「やっぱりかぁぁぁ!!」
火山が、どこか楽しそうにゴォ……と鳴った。
◇
『半分だけ』
「半分って何だよ」
『翼を、影だけ出す』
「影だけ!? それ余計怖いだろ!」
『怖い?』
「怖い!」
『じゃあ、許可を取る』
竜が低く言う。
『触っていい?』
「……今度は俺の額に鼻先のやつか?」
『それで落ち着く』
「……いい」
鼻先がそっと触れる。
圧がほどける。
火山の音が少し遠くなる。
『準備』
竜の声がゆっくりになる。
『肩甲骨の内側。そこに“広がる”感じを想像して』
「想像でどうにかなるか!」
『なる』
「竜基準!」
『竜基準で、恋人を作り変える』
「言い方ァ……!」
アランは深呼吸した。
背中がむず痒い。
でもさっきの“鱗一枚”より、もっと奥が疼く。
――影が、落ちた。
アランの足元に。
自分の影が、いつもより大きい。
背中から、翼の形が一瞬だけ伸びている。
「……おい」
『出た』
「出てる!影が出てる!!」
『かわいい』
「かわいいで済ませるな!!」
その瞬間、アランの背中がビリッと熱を持った。
「っ!」
影の翼が、ばさ、と一度だけ“羽ばたく形”になる。
風が起きる。
岩棚の砂が舞う。
遠くで妖精が羽音だけで悲鳴を上げた。
『今のは翼!?』
『影だけって言ったのに!?』
『胃が!胃が!!』
レオニスの低い声が飛ぶ。
王への報告のために結局、彼は帰れないままだ。
「静かにしろ」
『はいぃ!!』
アランは膝に手をついた。
「……おいアルシェ、今の、俺がやったのか」
『うん』
「俺、今、羽ばたいた?」
『影だけ。でも影は本体の予告』
「予告って言うな!!」
竜の声が少しだけ柔らかくなる。
『怖かった?』
「怖いわ!」
『じゃあ、止める』
「……止められるのか」
『止められる。恋人のペース』
「その言い方、ずるい」
『ずるいの、許す?』
「許さない!」
『顔が赤い』
「火山のせいだ!!」
竜がふっと息を吐く。
するとアランの影が元に戻る。
背中の熱も引いていく。
アランは息を吐いた。
「……今ので、何が分かった」
『あなたは、翼が似合う』
「そういう評価いらねぇ!」
『でも大事』
「大事なのは安全だ!」
『安全、大事。だから次は火山じゃない場所で』
アランが目を見開く。
「……火山じゃないって言ったか?」
『言った』
「……成長してるな」
『恋人だから』
「結局それかよ!」
竜が、少しだけ胸を張る。
『次の計画』
「計画やめろ!」
『甥っ子に見せびらかす』
「また見せびらかすって言った!!」
『言い方、好き?』
「好きじゃない!」
『でも笑ってる』
「笑ってねぇ!」
アランは首の後ろの鱗を指で触る。
まだそこにある。つるりとした小さな硬さ。
それが現実すぎて、胃が変な音を立てた。
「……なあ」
『なに』
「俺が竜になったらさ」
『うん』
「おまえ、嬉しいのか」
竜の目が細くなる。
『嬉しい』
「……なんで」
竜の声がゆっくりになる。
『壊れない。一緒にいられる。あとね』
一拍。
『見せびらかせる』
「最後!!最後が本音!!」
竜が楽しそうに喉を鳴らした。
火山もそれに釣られて、ゴォ……と鳴る。
世界は静かで、胃はうるさくて、 恋人の計画だけがやけに現実味を帯びていた。
◇
少し離れた場所で妖精が羽音だけで泣いていた。
『……収まるところに収まった……?』
『収まってない……まだ計画がある……』
『でも、世界は静か……胃は生きてる……』
レオニスが空を見上げ、小声で呟く。
「……次は竜族の領域か」
その言葉に、火山の風が一瞬だけ違う匂いを運んだ。
硫黄の匂いじゃない。
もっと冷たくて、古くて、誇り高い匂い。
竜の里の匂いだ。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




