21 温泉掃除
火山の縁に、奇妙な沈黙が落ちた。
溶岩は相変わらず赤く脈打っている。
雲海も、風も、世界そのものもいつも通りだ。
――ただ、人間だけが間違ってここにいる。
アランは胃を押さえながら、現状を整理した。
「……なあアルシェ」
「なに?」
「温泉掃除って、具体的に何をするつもりだ」
アルシェは少し考えてから答えた。
「汚れを、消す」
「方法は?」
「燃やす」
「だよなぁ!!」
叫びかけて、アランは途中で声を抑えた。
ここで大声を出すと、また行儀ポイントが減る。
「……具体的には?」
アルシェは火口の中を覗き込み、指先で軽く溶岩をなぞった。
溶岩が、嬉しそうに泡立つ。
「ここに、祈りが溜まってる」
レオニスが眉を寄せる。
「祈り、ですか」
「うん。願いとか、欲とか、恐れとか」
アルシェはさらっと言った。
「人間が勝手に投げ込んだやつ」
アランは嫌な予感しかしなかった。
「……それって」
「温泉の湯質、悪くなる」
「温泉基準で言うな!」
アルシェは不満そうに首を傾げる。
「祈りは重い。べたべたする」
「感覚的すぎる……」
黒ローブの神殿関係者たちが、微妙にざわつく。
自分たちの“仕事”を、ゴミ扱いされた気配を察したらしい。
そして、例の旅装の男が一歩前に出た。
「竜様」
声は低く、静かで、よく通る。
祈りの匂いが、また少し強くなる。
「それは“信仰”です」
アルシェが振り返る。
「信仰は、汚れないって言う人?」
男は否定しない。
「信仰は、人が生きるために必要なものです」
アランは内心で呻いた。
(あー……これはタイプが違う厄介さだ)
ヴィクトルは“管理する神殿”だった。
でもこいつは違う。
これは――信じてる側だ。
アルシェは一拍置いてから、静かに言った。
「必要かどうかは、人間が決める」
「では竜様は、人の信仰を否定なさるのですか」
「否定しない」
即答だった。
アランが一瞬だけ驚く。
アルシェは続けた。
「勝手に私の温泉に捨てるのが嫌」
男が、わずかに目を細めた。
「……温泉、なのですね」
「そう」
「世界の祈りが集まる場所を」
「私の温泉」
アランは額を押さえた。
「アルシェ、頼むから世界観の衝突を“温泉”で殴るな」
「殴ってない」
「結果的に殴ってる!」
男は少しだけ笑った。
でもそれは、楽しそうな笑いじゃない。
「竜様。あなたは世界を軽く扱いすぎている」
その瞬間、火口の縁の黒い線が、ぴしりと音を立てた。
初めて、音がした。
男の足元で止まる。
アルシェの声は、穏やかなままだ。
「軽く扱ってない」
「ではなぜ」
「私が重いから」
男は言葉を失った。
アルシェは、火山を背にして言う。
「世界は軽い。すぐ期待する。すぐ縛ろうとする」
一歩、前に出る。
「だから、私は距離を取る」
アランは悟った。
ああ、これは。
これは“掃除”だ。
汚れを燃やすんじゃない。
線を引き直す作業だ。
「ねえ、アラン」
アルシェが振り返る。
「なに」
「ここ、きれいになったら」
一拍。
「続きをしよ」
「……続きを?」
「デート」
火山の上。
神殿に囲まれて。
世界が軋む音を立てている中で。
アランは、思わず笑ってしまった。
「……ほんと、おまえ」
胃は痛い。
状況は最悪。
世界はたぶん、これからもっと面倒になる。
それでも。
「続き、な」
アルシェの目が、少しだけ柔らかくなる。
「約束」
その瞬間、火山が――
ごく小さく、満足そうに鳴った。
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




