15 楽しいデート(竜基準)前編
アランは胃を押さえたまま思う。
終わってない。
全然終わってない。
ただ、これ以上ここで話を続けたら、契約より先に俺が死ぬ。
胃が。
そして最悪なことにこの竜は政治にも宗教にも興味がない。
興味がないから逃げ方が雑で、派手で、突然だ。
だからこうなった。
「デートしよ」
アルシェがいきなりそう言ったとき、アランの脳内で天井が崩れた。
「……嫌な予感しかしないんだが」
「楽しいよ」
「信用できねぇ」
アルシェはふかふか椅子から立ち上がった。
王宮の大広間。
さっきまで神殿だの後見だの記録だの、胃に悪い言葉が飛んでいた場所だ。
なのに竜は、いま。
まるで「散歩しよ」くらいの軽さで言う。
「火山、行こう」
「今なんて言った」
「火山」
「聞き間違いじゃない……?」
「聞き間違いじゃない」
レオニスが横で真面目に頷いた。
「火山は危険です」
「おまえが危険って言うのは相当だぞ」
「竜様の“危険”は種類が違います」
「フォローになってない!」
アルシェが首を傾げる。
「危険って何」
「死ぬってことだよ!」
「死なない」
「根拠が薄い!」
アルシェはアランの袖を掴んだ。
ぎゅ。
痛くない。
痛くないのに、意思決定権がじわじわ削られる掴み方だ。
「半竜でしょ?」
「それ、“便利な耐久強化”みたいに言うな」
「便利」
「言うな!」
王が咳払いをした。
「アルシェ様……その……火山へ行かれるのであれば、護衛を――」
「いらない」
アルシェ即答。
「でも」
アルシェがアランを見た。
「アランはいる」
「俺は護衛じゃねぇ!」
「候補者で護衛」
「やめろ、その職務名!」
大広間の隅で妖精が一斉に胃を押さえる気配がした。
『火山……』
『竜様が火山……』
『最悪の“気分転換”……』
「聞こえてるぞ!」
『聞こえないふりをしてください!!』
アルシェがにこっと笑った。
「決まり。行こう」
「決めるなぁぁぁ!」
◇
火山へは、馬車で行かなかった。
アランはその時点で察した。
「……おい。近道って言うなよ」
「言わない」
アルシェは真顔で約束した。
約束したのに、指先がふわっと動いた。
「おい」
「これは」
アルシェが言う。
「散歩」
「散歩の定義が歪む!」
次の瞬間、王宮の床が遠のいた。
遠のいたというより、世界のページがめくられた。
風が鳴る。
落下じゃない。
上昇でもない。
“移動”だ。
「うわああっ!」
アランが叫ぶ。
アルシェが眉を寄せた。
「大声、嫌」
「無理だろ!!」
「静かに叫んで」
「そんな器用なことできるか!」
視界が白くなり、雲が流れ、空気が薄くなる。
そして、硫黄の匂いが刺さった。
「……っ」
アランの鼻が反射する。
熱と石と、燃える土。
さらに遠くから、地鳴りの低音。
「ここ」
アルシェが言った。
足元は黒い岩。空は澄んでいて、下に雲海が見える。
目の前には、巨大な火口。
そして、赤い光。
溶岩がゆっくりと脈打っていた。
「……火山じゃねぇか」
「火山だよ?」
「……というかなんで火山?」
「? 竜は火山によく来るよ? 人間で言う温泉だもの」
「当たり前みたいに言うな!」
アルシェは不思議そうに瞬きをした。
「何が問題?」
「問題しかねぇよ! ここは温泉じゃなくて火口だ!」
「温泉だよ」
「違うだろ!!」
アルシェは火口の向こう、赤く脈打つ溶岩を指さした。
「あれ、竜の温泉」
「温泉の定義が終わってる」
「熱いの、好き」
「人間がうっかり入ったら一巻の終わりだ!」
「でも、いいでしょ」
アルシェはさらっと言う。
「鱗の汚れが全部、燃える」
「……掃除の概念が火力任せ!」
「楽」
「竜基準の楽で済ませるな!」
そしてアルシェは、少しだけ得意げに周囲を見回した。
雲海、黒い岩、赤い光、遠くの空の青。
「景色もいい」
「そこは認めるけどさ……」
「だから」
アルシェは、本気で言った。
「お気に入りの温泉地に来たつもり」
「俺だけ地獄旅行だわ!!」
アルシェは火口の縁まで歩き、覗き込んだ。
その姿があまりに自然すぎて、アランの膝が笑う。
「おい! 近い!! 落ちたらどうする!」
「落ちない」
「根拠!」
「落ちる顔じゃない」
「顔で落下判定するな!」
アルシェは振り返った。
「来て」
「嫌だ!」
「手」
アルシェが手を差し出す。
白い手。
熱も汗もない。
火山の上なのに、涼しそうな手だ。
「……」
アランは歯を食いしばって、手を取った。
取った瞬間、安心してしまう自分が腹立つ。
「……ずるいな」
「竜だから」
「万能ワードやめろ」
アルシェが、火口の縁を指さした。
「見て」
「見なくても分かる! 赤い! 熱い! 死ぬ!」
「死なない」
「そればっかり!」
アルシェは少しだけ目を細めた。
「綺麗」
確かに綺麗だった。
赤が黒に溶けて、金の筋が走り、夜みたいな影が揺れている。
火山が呼吸している。
世界の内臓が見えている感じがした。
「……」
アランは無意識に、息を吸ってしまった。
鼻が拾う情報が多すぎる。
熱、石、硫黄、金属、遠くの草、鳥、湿った土。
全部が一気に押し寄せて、頭がぐらつく。
「うっ」
アランが膝に手をつくと、アルシェがすぐに覗き込んだ。
「気持ち悪い?」
「……情報過多」
「言い方、好き」
「好きとか言うな」
アルシェは指先を軽く動かした。
ぱちん、と音はしない。
でも、空気が一枚、薄くなる。
匂いが遠のく。音が柔らかくなる。
アランの目が見開く。
「……やったな?」
「下げた」
「勝手に下げるな!」
「あなたのため」
その言葉が、真面目すぎて腹が立たない。
腹が立たないのが怖い。
「……必要な時だけって言っただろ」
「必要だった」
アルシェは即答した。
「……くそ」
アランは息を整えた。
「ありがとう」
言ってしまった。
言った瞬間、自分の負けを自覚してしまい、胃がむず痒い。
アルシェは少しだけ笑った。
「いい顔」
「言うな!」
※完結まで毎日投稿です。
よろしくお願い致します。




