第六話「彼女の生徒」
キーンコーンカーンコーン。
本来であれば四時間目の終了にあたるチャイムが、生徒のいない校内に鳴り響く。……こんな言い方をするとアレな感じだが、別にホラーな雰囲気は微塵もない。
むしろ、窓から入る柔らかな春の日差しが心地良い眠気を誘う、どこかのんびりとした空気が漂っている。
「ああぁぁぁ、早いな~。もう来週かぁ」
私がそんな職員室の雰囲気に和んでいると、隣から彩乃さんの盛大な溜め息が聞こえてきた。
チラリと彩乃さんの視線の先を見ると、四月八日と九日のところに印が付けられた可愛らしいカレンダーがある。その印がドクロなところが、なんとも彩乃さんらしい。
「そろそろ入学式ですね」
「うん。それと始業式もね~。もお~、なんでわざわざ連続でするかなぁ」
「面倒臭いことはいっそまとめて……って、ことなんじゃないですか?」
「なるほど~」
本当に、教師にとってはこの時期が一番忙しいと思う。
……はぁ。そういえば、まだ新しいクラスの準備も全部終わってなかった。
厳しい現実を思い出し、先程までの穏やかな気分が萎んでいく。手元の書類が霞んで見えるのは疲労の所為だろうか。
「新学期なんて来なきゃいいのにぃ」
「……それ、教師が言いちゃダメじゃないですか?」
私の心を代弁したような彩乃さんの言葉に、一瞬大きく頷きそうになった。ダメだ。口に出すと余計にやる気が消えていってしまう。
「生徒は意外とウキウキしてると思うけど~?」
「ああ、クラス替えですね」
「誰と同じクラスになるかって、結構大事だからねぇ。五年生は行事も多いし」
確かに、クラスのメンバーというのは生徒にとって大事なことだろう。もちろん、そのクラスをまとめることになる教師にとっても。
ちなみに、私は仲の良い子と同じクラスになるより、苦手な子と違うクラスになることを願うタイプの子どもだった。
「あっ! そういえば、莉佳ちゃんは高学年受け持つの初めてだっけ~?」
「そうなんですよ。だから、今から緊張してて……」
私が今までに受け持ったことがあるのは、二年生、四年生、一年生だ。新六年生なら一度受け持ったことのある学年なのに……と、クラスを伝えられたときは若干残念だった。
まあ、新五年生の担当には彩乃さんもいるので、何かあれば彼女に相談しようと思っているが。
「大丈夫よぉ。あの学年はあんまり手の掛かる子いないから」
「……はい」
彩乃さんの“あんまり”のボーダーラインって、どのくらいなんだろう。
そんなことを考えながら、前年度も同じ学年を受け持っていた彩乃さんの言葉に小さく頷いた私に、彼女から“これがあれば、もっとクラスが楽しくなる! 五年三組人間関係相関図”というタイトルのメールが届くのは、この夜のことだった。
◇◇◇
過ぎてしまえば一週間なんてあっと言う間だ。
「えーっと、あとは……国語係と社会科係かな」
「まだ決まってない人は手を挙げてください」
始業式も無事に終わり、現在、係決めの真っ最中である。
五年生になると、ある程度生徒達に任せられるから良いなぁ。
こんな風にぼんやり物思いに耽れるくらい、この五年三組の生徒達は自主性に溢れていた。これが低学年の子達になると会話に注目させるのも大変になるのだが。
「じゃあ、僕が委員長で、麻井さんが副委員長ということで決まりで良いですか?」
この度、目出度く一学期の学級委員長に選ばれた緒方秀くんの声に、何人かの生徒がパチパチと控えめな拍手を返す。
そして、そんな拍手をかき消すような大声で野次なのか褒め言葉なのか分からないセリフを言ったのは小野田裕太くんだった。
「当ったり前じゃーん! いいんちょ以外に誰がすんだよー」
クラス一のチビッコは所謂マスコット的な存在らしく、途端に近くにいた男の子達が騒ぎ始める。
ちなみに、“いいんちょ”というまんまなあだ名を持つ緒方くんは三・四年生とずっと学級委員長をしているそうだ。……小学生が考えるあだ名って、分かりやすさ特化だよね。
「そりゃ、ゆーた以外の誰かじゃねぇ?」
「とりあえず、ゆーたが委員長やったらチッコくて後ろから見えないことは確かだな」
「ゆーたで良いなら、オレも委員長やってみたいなー」
それぞれが言いたい放題し始めたので、ここは担任が注意すべきかなと立ち上がりかけたところで、麻井瑞穂さんの一喝が響いた。
「そこの男子四人、ウルサイ!」
その言葉にピタリと口を閉じた男の子達の様子に、このクラスの真のまとめ役が誰なのかを理解する。そして、麻井さんの横でオロオロする緒方くんが将来妻の尻に敷かれるタイプであることも。
順調に進んでいく係決めにホッとしていると、すでに係が決まった一部の生徒達が楽しげに雑談している姿が目に入った。……教師として、一応注意すべきなのだろうか。
「なあ、翔真は委員長やらなくて良かったのか?」
「はあ? やらねぇよ。別に興味ねぇし」
「ええ~、委員長になって天音ちゃんに副委員長してもらえば良いのに」
「バ、バッカじゃねぇの!? 誰も“はくちょー”なんかとやりたくねぇし!!」
……なんだろう、この甘酸っぱい感じは。
顔を赤く染めながら、“はくちょー”こと白鳥さんをチラチラと気にする高木くんは、見ている方が可哀想になるくらい分かりやすい。
そんな高木くんに一切のリアクションを返さない白鳥さんもなかなかのものだと思うが。
出席番号順とはいえ、二人を隣同士にしたのはマズかったかなぁ。
今後も彼が授業中などに白鳥さんにちょっかいという名の間違ったアプローチを続けるつもりなら、新学期そうそう席替えを決行する必要が出てくる。しかし、まさか小学生の恋愛事情で悩むことになるとは……。
尤も、私が悩んでいられる時間はとても短かったが。
『莉佳さーん!』
「…………」
なんか、トリイの幻聴が聞こえた気がしたけど……気の所為だよね。
物凄く不吉な予感がする窓の方は見ないようにしながら、雑談で盛り上がり始めた生徒達に声を掛ける。
「みんな、そろそろ静かに……」
『あれ、あれがね! 莉佳さんだよ! トリイの友達なの!!』
『あれって……大きい方ですか?』
『へー、別に普通じゃん』
さすがに無視し切れずそーっと窓の方を窺うと、そこには私の予想を上回る光景が広がっていた。
……おい、トリイ。キミ、一体何しに来たんだ。
電線を占拠する勢いで集まっているのはメジロだ。その中に、当たり前のような顔でトリイが混じっている事実はこの際おいておこう。
メジロ、スズメ、ハト、カラス、猫……そう、窓の外――正確には電線とベランダの柵――にはなぜか動物達が集まって来ていた。
「うおーっ、すげぇ!!」
「あー、猫もいる!」
「ちょ、何かみんなこっち見てるんだけど!?」
突然の動物達の学級訪問に、生徒達は軽いパニックだ。
許されるなら、私もパニック映画のヒロインのように悲鳴を上げてこの場から逃げ出したい。
『あっ、ちーちゃんもいる! ちーちゃん、莉佳さんのクラスなんだ~』
『ああ……あの、いつもご飯くれるちーちゃん』
『あそこの男の子、この間ポイ捨てしてた!』
口々に話す生徒と動物達の声に頭が痛くなる。そして、ポイ捨てしてたという子は誰だ。ポイ捨て、ダメ絶対。
「……あの噂ってマジだったんだ」
「新條先生って……」
――“動物使い”なんだ。
その小さな囁きはいつの間にか教室中に広がり、気づけばみんなが私の方をじっと見つめていた。……どうやら、今年も私は動物使いの称号を贈られるようだ。
今回は、莉佳さんの学校紹介の話でした。
他の遊雨季作品を読んでくださっている方は“あっ!”っと思うキャラも登場したかもしれません。
まあ、そこまで深く他作品のキャラと関わらせる気はないので、わからない方は“ふーん”とスルーしてくださいね。




