第四話「犬の求婚者」
声をかけられるまですっかり忘れていたが、私は一昨日、桜の舞い散る中という乙女チックなシチュエーションで求婚されたのだ。……犬から。
その求婚者であるヴォルフは、相変わらず聞き惚れるようなバリトンボイスで挨拶の言葉を口にする。
『おはよう、莉佳』
「……おはよ」
私が挨拶を返したのが嬉しかったのか、ヴォルフが尻尾をパタパタと揺らし、こちらに近付いて来た。その姿に内心溜め息を吐く。
やっぱり、諦めてないのね。
公園での“これから口説く”という宣言のあと、ヴォルフの飼い主さんが彼を迎えに来たため有耶無耶になったような気がしていたのに。
一応、もう会わないようにしようと、昨日は彼の家の前を通るときに気をつけていたのだが……わずか一日で注意することを忘れてしまっていた。
まあ、よく考えたらヴォルフの家は私のマンションの向かいなので、そう遠くないうちに同じようなことになったかもしれない。
『今日も良い天気だな』
「そうね……で、アンタは何一人で外に出てんのよ。危ないから散歩に行くなら恭くんと行きなさい」
少しだけ開いている立派な門を見ながら、ヴォルフへとそう告げる。
この辺りは交通量も少なく、地元のドライバーさんはペットが多いことも知っているので、事故の心配はそれほどないと思うが、気をつけておくに越したことはない。
ちなみに、恭くんというのはヴォルフの飼い主であり、近所でも有名なイケメン高校生の鈴城恭平くんのことである。
『散歩なら早朝にもう行った。莉佳が見えたから挨拶しようと思ったんだ……いけなかったか?』
「……悪くはないけど。家の人が心配するから、あんまり抜け出しちゃダメよ」
『ご主人はわりと放任だから大丈夫だ』
グッと胸を張って答えるヴォルフの姿に小さく笑みが漏れた。
“ご主人”と呼んでいるわりに、ヴォルフの口調からは上下関係のようなものは感じられない。彼にとって恭くんは信頼できる“家族”なのだろう。
「素敵な飼い主さんね」
『……莉佳は、ご主人のような男がタイプなのか?』
「え? いや、違うわよ? 別に、異性として素敵って言った訳じゃなくて……」
『そうか。それなら良かった』
「…………犬もタイプじゃないからね」
どこか嬉しそうな声に、思わず胡乱な目を向ける。……犬はない。
しかし、ヴォルフは私の言葉を気にした様子もなく、ワシャワシャと毛繕いをしてみせた。聞こえなかったフリのつもりか。
「……じゃあ、私はもう仕事に行くから」
何か言ってやろうと思ったのだが、残念ながら気の利いたセリフが思い浮かばなかった。モテたことがないのでどうやって諦めさせたら良いのかわからない。……まあ、犬にモテる人間も珍しいだろうけど。
『そういえば、あの子猫はどうなったんだ?』
なぜか“送る”と言ってついて来たヴォルフが、思い出したようにそう問いかけてくる。
ちなみに、一昨日の一件で自転車が壊れてしまったため駅まで歩きだ。……ダイエットになるからちょうど良いよ、うん。
「今は私の家に居候中。飼い主さんが見つかるまでだけどね」
『探してやってるのか……』
「迷子を放っておく訳にはいかないでしょ」
関わってしまった以上、途中で放り出すのは気が引ける。外の世界を知らないマサムネが、野良猫として生きていけるとは思えないし。
『お前は、本当に優しいんだな』
なんだかしみじみと呟かれてしまった。
“優しい”なんて言われると、面映ゆいというか、過大評価されているようで気まずい。私はそんなに立派な人間じゃないのだ。
「優しくなんてないわよ。私は自分にできる範囲のことしかしてないし」
『そんなことはない。莉佳は優しい……とても』
心に浸み込むようなその言葉に少しだけ胸が温かくなった気がした。
別に褒められたい訳ではないし、良いことをしているつもりもないが、やはり人から肯定されると嬉しい。こんな風に、サラッと思いやりのある言葉をかけられるヴォルフの方が、私よりもずっと優しいのだろう。
『俺はお前のそんなところが好きだ』
「……………」
イイ笑顔で私を見つめるヴォルフに、“ありがとう”と言いかけていた口元が引き攣る。
……オイ、結局そこに繋げるのか。
さっきの私の感動を返せ。
私一人で良い雰囲気になったような気がしていたのが恥ずかしくなり、とりあえず元凶と離れようと早足で駅へと歩くことにした。
『どうしたんだ?』
ヴォルフは、いきなり競歩のようなスピードで歩き出した私を不思議そうに見つめている。
『莉佳?』
「……………」
『急ぐなら走った方が良いんじゃないのか?』
50mくらいは頑張って早足で歩いてみたが、悠々とついて来られて先に心が折れた。……物凄く無意味なことをしてしまった気がする。
「……はぁ」
『本当にどうしたんだ?』
「ううん。別に急いでる訳じゃないから、ゆっくり歩こう」
一度足を止めて、無駄に消費した体力を取り戻すように深呼吸していると、空から声をかけられた。
『おや、莉佳嬢。今日は自転車ではないのですな』
こののんびりとした穏やかな声には心当たりがある。
そちらへと視線を向けると、すぐ横のコンクリ塀にハトが留まっていた。この辺りに住む、キジバトのヤマじぃだ。私の知り合いの中でもかなり長い付き合いになるお爺ちゃんバトで、本人曰く二十年は生きているらしい。
「おはよう、ヤマじぃ」
『おはようございます。こうして、朝にお話するのは久しぶりですな』
「そうだね。いつもは私、自転車だし」
自転車と並走しながら話しかけてくる子は少ない。ヤマじぃも朝はすれ違ったときに挨拶するくらいだ。
『莉佳、そのハトと知り合いなのか?』
挨拶が終わったのを見て、ヴォルフがそう訪ねてきた。
どうやら、彼はヤマじぃを知らなかったようだ。犬とハトでは交流がないのか。……食物連鎖的には正しいけど。
「ええっと、こっちはキジバトのヤマじぃ。それで、この犬が……」
『存じておりますよ。鈴城家のヴォルフ殿ですな』
「えっ、面識あったの?」
『いや……なぜ、俺の名前を知ってるんだ?』
『ほっほっほ。空からは色々なことがわかるものですよ』
ハトなのにフクロウみたいなこの笑い方は、いつ聞いても微妙な違和感を感じる。いや、まあ実際にフクロウがどんな風に笑うのか知らないが。
しかし、ヤマじぃならマサムネの飼い主のことが分かるかもしれない。
「あの、ちょっと聞きたいことが……って、あれ、トリイは?」
問いかけている途中で、ヤマじぃといつもセットのように行動している子の姿がないことに気づいた。どこかにいるのだろうかと周りを見回していると、何かが空から急降下して来る。
『トリイ、トリイもいるのーっ!』
落ちて来たんじゃないかと疑ってしまうような危なっかしい動きで、そのスズメ――トリイはヤマじぃの隣へと着地した。……ヤマじぃが避けなかったら、完全にぶつかっていたように見えたのは私の気のせいだろうか。
「…………うん。トリイもおはよう」
『おはよー!!』
話すたびに羽をバタバタと動かす癖は可愛らしいが、キミはもう少し落ち着こうか。
騒がしいトリイを往なしながら、なんとかマサムネについて説明すると、ヤマじぃは困ったように首を傾げた。
『ふむ。それは大変ですな』
「何か知らない?」
『残念ながら、そのマサムネという子猫は存じませんな』
「……そっか」
さすがに、家から出たことのない子猫は知らないよね。
この分だと他の動物達も同じかもしれない。心配そうなマサムネの顔を思い出して少し落ち込んでいると、トリイが自信ありげな声を上げる。
『トリイ、トリイにも聞いてーっ!』
「えっ、トリイ知ってるの!?」
『ううん。知らない』
「……………」
じゃあ、なんで言った。
トリイはもう成鳥のはずだが、精神年齢はマサムネと変わらない気がする。ヤマじぃが甘やかすからだろうか。
隣で会話を聞いているヴォルフも心なしか呆れた目をしていた。
『あまりお役に立てず、申し訳ない。他の者達にはワシから聞いておきましょう』
「ありがとう。何かのついでで良いから、お願いできる?」
『トリイも聞くー!』
「うん。トリイもありがとね」
“まったねー!”とこちらを振り返りながら、トリイは危なっかし飛び方で空へと帰って行く。その少し後ろを、まるで見守るかのように飛ぶヤマじぃの姿は、やはりどこか祖父のようだった。スズメとハトなのに、まるで本当の家族のような二人だ。
一緒に二人を見送っていたヴォルフがポツリと呟いた。
『騒がしい奴だったな』
「あははっ。まあ、トリイはずっとあんな感じなんじゃないかな」
むしろ、変わってしまったら寂しいかもしれない。
「さあ、学校行くか」
二人の姿が見えなくなってから駅へと向かうために歩き出す。当然のように隣を歩くヴォルフには、もう何も言わないことにした。
とりあえず、そろそろ急がないと遅刻しそうだ。
第一話でメジロ達の歌に合いの手を入れてたのはトリイです。トリイは書いてて楽しいので、今後も出番を増やしてあげたいな~と思ってます。




