第三話「迷子の子猫」
ティッシュが部屋中に散らかされ、その近くには空の箱がへしゃげて落ちている。壁に貼ってあったカレンダーは破かれているし、ゴミ箱も引っ繰り返っていた。……床がやたらとザラザラするのは“猫の砂”がばら撒かれているからだろう。
「……………」
仕事を終えて我が家へと帰って来た私は、目の前に広がる光景に拳を握り締めた。
……まあ、犯人は分かっているので焦ることはない。しかし、あの小さな体で一体どうやってここまでの惨状を作り出したんだ。
「……はあぁぁ」
足元に落ちていたお気に入りのクッションから無残にも綿が出ているのが目に入り、無意識に深い溜め息を吐いていた。
これから部屋の掃除と片付けをしなければいけないと思うと、疲れが倍増したような気がする。疲れて帰って来た家主にこの仕打ち……キレても良いだろうか。
部屋を見回していると、ベッドの真ん中に陣取り気持ち良さそうに眠っている犯人の姿が目に入った。その呑気な顔になんだかイラッとしたので、気持ちのままに犯人の額を軽く指で弾く。本当は渾身のデコピンでも繰り出してやりたかったが、大人げないので自重した。
「……起きなさいよ」
『ぅわっ!?』
犯人――マサムネは突然の衝撃に、ビクッと飛び起きて辺りを見回す。しばらく“何? 何??”とワタワタ慌てていたが、私の存在に気付くと陽気な声で話し掛けて来た。
『あっ、りかさん!』
嬉しげな顔で上目遣いに見上げて来るが、そんなものには騙されない。
子どもが悪いことをしたらその場で叱るのが躾の基本である。まあ、飼い主でもない私がこの子を躾ける責任はないのかもしれないが……明日以降もこの惨状を作られたら困るのは私自身だ。
「ねえ、私出て行くときに“大人しくしてて”って言ったわよね?」
『おかえり~』
「ただいま……って、私の話聞いてた?」
『りかさん~、おなかすいた~』
「……キミさ、私の言葉分かってて無視してるでしょ」
『ごはん~』
「…………はぁ」
結局、しつこい“ごはんコール”に負けて、マサムネの食事を作りに行くことにした。一日の終わりに人様の家の子どもを躾ける体力は、残念ながら私には残されていなかったようだ。
◇◇◇
まだ生後三か月程だというマサムネは、昨日公園で助けたジャパニーズボブテイルの子猫である。野良猫なのかと思っていたが、本人は“おかあさんのむすこ”だと言っていた。……飼い猫だろう。“おかあさん”、人間だったらしいし。
自分の家の場所は全く分からない、と胸を張って答えたマサムネの飼い主さんが見つかるまで居候を認めたのだが……同居二日目にしてすでに後悔し始めていた。こんなにヤンチャな子だとは思わなかったよ。
『おかあさん、みつかりそう?』
子猫用の柔らかめのキャットフードを食べ終え、マサムネは少し心配そうに尋ねて来る。この子なりに、今の状況への不安を抱いているのだろう。
正直、“大丈夫だ”と言って安心させてあげたかったが、あまり無責任なことは言いたくない。
「さすがに一日じゃ無理よ。私も仕事があるから、そんなに時間取れないしね。一応、時間を見つけて知り合いの獣医さんには連絡しておいたけど」
この年頃の子猫なら、そろそろワクチン接種などで動物病院を受診しているはずだ。連絡した病院には、患者の中に種類と毛色がマサムネと同じ子猫は三匹程いるらしく、数日中には飼い主さんに確認してくれると言っていた。
ちなみに、警察と保健所にも連絡済だ。迷子になって日が浅い所為か、まだネットの迷い猫捜索情報サイトにはマサムネの問い合わせなどは来ていなかった。
「もし病院がダメでも、他に探す方法はあるから」
『どうやってさがすの?』
「えーとね。この辺りって、ペット飼ってる人が多いのよ。だから、飼い主さん同士のコミュニティがあるから……」
『???』
「……まだ分かんなかったか。ごめんね」
マサムネは頭の上にクエスチョンマークを飛ばしている。
外で逞しく生きている野良猫達と違って、今回の騒動まで一度も家から出たことがなかったというマサムネは、それ程人間の暮らしについて知らないようだ。……野良猫の中には選挙に一家言ある子もいるのに。
シゲさんとか、絶対私より社会情勢に詳しいよね。
ふと頭に浮かんだのは近所のやたらと物知りな野良猫だった。気難しげな顔で日本の未来を語る猫というのもなかなかシュールだが、意外と動物達は人間の社会に興味を持っているようで、偶に私のところに質問に来たりもしている。シゲさんはその筆頭だろう。
『ほかのひと、ぼくのおかあさんしってるかな?』
「うーん。……野良の皆にも、一応話を聞いとこうか」
マサムネ自身は他の猫達と交流がなかったようなので望み薄かもしれないが、人のベランダに勝手に侵入する子もいるので希望は捨てない方が良い。スズメやカラスあたりなら、飛んでいるときに窓から見かけたとかあるかもしれないし。
まあ、人間と動物の両方から探しておいて損はないよね。
「とりあえずは、若先生からの連絡待ちかな~。あんまり色んな人に声掛けても、迷惑になっちゃうこともあるし」
ツテは色々と持っているが、大騒ぎしても良いことがないのは経験上理解していた。
第一、こういうことは飼い主さんがどの程度迷い猫の対処法を知っているかにも左右される。……考えたくはないが、全く探していない場合もない訳ではない。
「……さあ、もう寝ようか!」
チラっと浮かんだ暗い考えを振り払うように、ワザと明るい声を出す。
私が不安になれば、それはマサムネにも伝染してしまうだろう。子どもは、大人の雰囲気の変化に敏感だから気を付けなければ。
「折角作ったんだから、ちゃんと自分の寝床で……?」
なんの返答もないことを不思議に思い、マサムネの方へ視線を向けると、彼は新しく出したクッションの上ですぅすぅと眠っていた。
「…………いつの間に寝てたのよ」
横向きになり、とてもリラックスした様子で私の方に脇腹を見せて寝ているマサムネの姿に小さく溜め息を吐く。……私の気遣いを返せ。
◇◇◇
マンションのエントランスをくぐると、どこからか可愛らしい歌声が聞こえて来る。
『は~るの~、うら~ら~の~、す~み~だ~がわ~♪』
『の~ぼり~、くだ~り~の~、ふ~なび~とが~♪』
この間メジロ達が大合唱していたのは“春が来た”だったはずだが……どうやら、鳥達の中で春の歌が大ブームになっているようだ。
皆、どこで覚えて来るんだろうか。
あっ、でもあの子もAKBとか歌ってたな。
家で留守番をしているマサムネも、飼い主さんがCDでも聞いていたのか、流行りの曲はいくつか知っていた。歌詞の意味が分からないらしく、大抵は“ふんふんふん~♪”と鼻歌だったが。
「……大人しくしててくれれば良いけど」
昨日の今日で、同じように部屋を荒らされるのは御免だ。一応、彼の興味を引きそうなものは片づけて、本人にも何度も念押ししておいたので大丈夫だと思いたい。
『莉佳!』
また惨状を作ってたらどうしようと考えていると、後ろから声を掛けられた。
「……………」
そうだ。
コイツの問題もあったんだ。
マサムネの飼い主探しなどのゴタゴタで忘れていたことを思い出し、なんだか頭が痛くなってくる。
深く溜め息を吐きながら渋々と振り返った先には、オオカミのような容貌をした犬――ヴォルフが私を見つめていた。




