第二話「恋の季節」
見つめ合っていた時間は短かった。
風が止むと、彼はハッとした様子で私の方に近付いて来る。
『……怪我をしたのか?』
一瞬、本物のオオカミかと思い体が竦んだが、よくよく見ると違う。犬だ。……まあ、普通に考えて街中にオオカミがいる訳ないけど。
シベリアン・ハスキーかな?
んん?? でも、なんか違う気もするしなぁ。
オオカミのような容姿と言えば、シベリアン・ハスキーが一番ポピュラーな犬種だろう。だが、私の目の前にいる犬は彼らとはまた違う気がした。
確かにオオカミのような見た目をしてるし、北国とかにいそうな姿は共通している。まさに“ソリを引く犬”のイメージそのままだ。
ただ、シベリアン・ハスキーと比べるとやや骨太でがっしりしているし、一回りくらい身体が大きい。ついでに言うと、凛々しいV字型の立ち耳とクルンっとしたスナップ尾のギャップが自分的に大変ツボである。
……ああ、大事にされてる子だ。
明るいグレーと白の混色で、思わず触りたくなる程艶のある綺麗な毛並みをしている。飼い主さんの愛情の賜物だろう。
こちらを見つめる茶色の瞳には、鋭い容姿に似合わない穏やかな色が宿っていた。
『……おい!』
「え?」
どうやら、何度も声を掛けてくれていたらしい。
先程よりもどこか強張っている気がする彼の表情に、不躾に見過ぎたかと慌てて視線を逸らす。……どんだけ観察してたんだ、自分。
しかし、この犬……思わず聞き惚れるようなバリトンボイスだ。
『大丈夫か?』
その問い掛けで彼が声を掛けて来た理由が分かった。
たぶん、彼はどこからか子猫のことを見ていたのだろう。私が助けようとして盛大の倒れたので、無事かどうか心配になったに違いない。
「ええ、大丈夫よ。怪我一つないわ」
腕の中で未だ気を失っている子猫の姿を見せる。黒と白の小さなぶち猫はすぅすぅと呑気な寝息を立てていた。
『……猫もだが、お前も怪我はないか?』
「えっ……私?」
『ああ。背中から勢い良く落ちただろう?』
私のことも心配してくれているらしい彼の言葉にちょっと感動してしまう。
これが生徒達だったら“うっわー、先生ドジー”で終わりだ。そして、教頭あたりからは“生徒が真似するのでやめてください”とかお説教を食らうんだ……。
しかし……まさか、サドルに膝立ちしてたところも見られていたのだろうか。あの間抜けというか、無様な姿を。
そう思うと、なんとなく決まりが悪くなってしまい、気付いたらやたらと早口になっていた。日々の授業の成果か、わりと滑舌が良いのが私の細やかな自慢だ。
「大丈夫、大丈夫。確かに落ちた瞬間は痛かったけど下が土だったおかげかあんまりダメージなかったしもう足首がちょっと痛いくらいで全然大丈夫」
『そ、そうか』
私の勢いに気圧されたのか、彼は小さく相槌を打って後退った。……ビビらせてどうする。
「あっ、ごめんね。でも、本当に大丈夫よ」
『……怪我がないなら良かった』
「心配してくれて、ありがとね」
『いや……本当は、お前がバランスを崩したのを見て助けようとしたんだが……間に合わなかったんだ。俺の方こそ、助けられなくてすまなかった』
「いやいや、いくら大型犬でも無理でしょ! そんなことしたら一緒に潰れちゃってたよ」
“大丈夫だ”という彼には悪いが、普通に無理だ。
座り込んでいる私と目線が同じくらいなので、体高は60㎝以上あるんだろうが、いくらなんでも彼の体格で成人女性の体重は支えられないと思う。
でも、その心遣いが嬉しいよ。
優しい心根の彼に勝手に好感を抱いていると、腕の中の子猫が身動ぎした。
起きたのかと視線を向けるが、相変わらず気持ち良さそうに眠っている。寝返りでも打ったんだろう。……この子猫、人の腕の中でリラックスし過ぎじゃないか。
人に慣れてるのかな?
……って、これからこの子どうしよう。
助けたは良いが、そのあとどうするかまでは考えていなかった。
このウサギのように短く丸まった尻尾は、たぶんジャパニーズボブテイルだろう。所謂“日本猫”と言われる種類の猫だ。
野良猫にも多い種類なので、飼い猫なのかどうか判別が付かない。首輪もないし。
「ねえ、キミはこの子のこと知ってる?」
動物のことは動物に聞こうと、とりあえず目の前の彼に問い掛けてみた。この子が野良猫なら、散歩の途中などで見かけたことがあるかもしれない。
『いや……俺は知らないな。この辺りでは見たことがない』
「そっか。……うーん。飼い猫なのかなぁ?」
『起こして聞いたらどうだ?』
「うん? いや、良いよ。よく寝てるし、起きてから聞いてみる」
なんとなく起こすのは可哀想な気がする。
……起こして、またパニックになっても困るし。
“大人しく眠っててよ”という念を込めながら子猫を見つめていると、小さな声で何か呟かれた。
『……お前は、優しいんだな』
「え?」
よく聞き取れず、顔を上げる。
“何?”っと、問い返すように視線を向けるが、彼はなぜか眩しげに眼を細めてこちらを見つめるだけで、先程の言葉を教えてくれる様子はなかった。
……なんて言われたんだろ? ただの独り言?
何も反応してくれない彼の前で、訳が分からず首を捻る。
しかし、それも再び口を開いた彼の言葉を耳にするまでだった。
『一目惚れだ。俺の伴侶になってくれ』
「……………」
『誰よりも大切にする、一生』
真摯で熱烈な求婚の言葉は、人間の男性から言われたなら胸の熱くなるようなものだ。……同族の男性からだったなら。
正直、異種族から求婚されてもどう対応して良いのか分からない。人生初の経験に軽くパニックである。その所為か、やたらとぞんざいな口調で断ってしまった。
「いや、アンタ犬でしょ」
『ああ、自己紹介していなかったな。俺の名前はヴォルフという』
「へぇ、狼ね。なんかピッタリ……って、違うわよ!」
誰が名前を聞いた!!
謎のボケに、思わず盛大なノリツッコミを入れてしまう。
どうやら、彼にとっては“犬だから無理だ”というのは断り文句にはならなかったようだ。……いや、そこは諦めてよ。
『お前の名は?』
「……はぁ。莉佳……新條莉佳よ」
『莉佳、では改めて言おう。俺の伴侶となってくれ』
“莉佳”っと、まるで大切なもののように私の名前を口にし、彼――ヴォルフはどこまでも誠実な愛の言葉を口にする。
今まで誰にも言われたことのないような求婚に、微かに心がトキめ……いたりはしなかった。いや、相手が犬とか無理だ。
『もう心に決めた相手でもいるのか?』
「いや、そんな重い相手いないけど」
一応、彼氏がいたことはあるが。……大学生の頃なら。
『なら、今すぐに返事をする必要はない』
「えっ、いや、私の答えは決まって……」
『これから、ゆっくりと口説いていけば良いだろう?』
「……………」
そう言って笑ったヴォルフの顔を見ながら、私は気付いた。
……コイツ、さっきはワザと惚けたのね。
どうやら私は、意外と食えない性格の男を引っ掛けてしまったようだ。……そうだ、忘れてたよ。春は――――恋の季節でもあったんだ。
ヴォルフはアラスカン・マラミュートという種類の犬です。
作者はシベリアン・ハスキーよりコイツらのが好きだな。マジでヤバいくらいイケメンで、カッコ可愛い感じなんで。
気になった人はぜひググってください。
ちなみに、ヴォルフはドイツ語で狼という意味です。




