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第7話:昇進と狂信者

全身の骨という骨が、まるで何トンもの岩の下敷きになって乱暴に押し潰されたかのように、悲鳴を上げていた。


いや、骨だけではない。筋肉も、関節も、神経の先から指先の爪に至るまで、身体中のすべての細胞が強烈な疲労と鈍痛を発信している。


「う、ぐぅ……痛ぇ……」


サトーが重い意識を取り戻したとき、最初に感じたのは、かつて地球で経験したことのないほどの強烈な全身の痛みだった。

前職のブラック企業で、三日連続の徹夜と取引先での土下座営業を終えた後の疲労感すら、今のこの凄まじい痛みに比べれば、高級ホテルの羽毛布団に包まれているようなものだ。


重い瞼を薄く開けると、細い十字のスリット越しに、上等な白い布で作られた天幕(テント)の天井が見えた。

どうやら、どこかの野戦病院か、あるいは司令官クラスが使う豪華な天幕のベッドに寝かされているらしい。背中の下には、スラムの酒場の屋根裏にある硬い麦わらベッドとは比べ物にならないほど、ふかふかで上質なマットレスの感触があった。


(……生きてる。俺、あの地獄の大爆発から生還したのか……)


奇跡としか言いようがなかった。

三十キロの錆びついた全身甲冑(フルプレートアーマー)を着たまま、急斜面をボウリングの鉄球のように転がり落ち、魔王軍の幹部である巨漢ザルバの膝裏に激突。

その直後に起きた極大魔法『地獄の業火』の暴発という、致死率一万パーセントの状況下で生き残れたのは、完全に偶然と悪運の産物である。

ザルバの三メートルを超える巨体がちょうどサトーの上に覆い被さる形となり、最悪の爆風と熱波を遮る『肉の盾』となってくれたのだ。それに加えて、スラムのゴミ捨て場で拾ったこの分厚い鉄の鎧が、周囲の瓦礫や衝撃波からサトーの貧弱な肉体を辛うじて守り抜いたのである。


(悪運が強すぎる……。いや、そもそもあんなスラムのゴミ捨て場で小遣い稼ぎのためにこの鎧を拾わなければ、こんな目に遭わなかったんだ。俺のバカ! 浅ましい貧乏性のバカ!)


サトーが心の中で過去の自分の愚行を全力で殴り飛ばしていると、天幕の中に誰かの気配を感じた。


「おお! 意識を取り戻されましたか、スミス将軍!」


サトーの耳に飛び込んできたのは、ひどく興奮した、聞き覚えのある若い男の声だった。

痛む首をわずかに動かすと、そこには銀色の真新しい鎧を着た、あの鋭い目つきの騎士――サトーをスラム街から最前線へと強制連行した張本人であり、今やすっかりサトーの専属副官に収まってしまったレオンが立っていた。

彼はなぜか、ひどく感動した様子で目元を赤く腫らしている。


「スミス将軍! 本日のご朝食、お持ちいたしました。……貴方様の崇高なる『誓い』を尊重し、固形物ではなく、兜の隙間からでも摂取できる特製の流動食をご用意しております」


レオンが恭しく差し出してきたのは、細い竹のストローが刺さった木製の水筒である。


「…………(コクッ)」


サトーは無言のまま、重々しく頷いた。

そして、震える両手(※兜と腕当てのせいでカシャンカシャンと情けない音が鳴る)でそれを受け取ると、兜の十字スリットの隙間にストローをねじ込み、チュウチュウと必死に中身を吸い上げた。


(う、美味い……! なんだこれ、すりおろしたリンゴとハチミツの味がする! シルヴィママの劇薬プロテインと違って、めちゃくちゃ優しい味がするぅぅぅ!)


サトーは兜の中で、感動のあまりボロボロと大粒の涙を流していた。

丸二日ぶりの、まともなカロリーと水分の摂取である。三十キロの甲冑の重圧と、内部に充満するブルーチーズとカビの悪臭で限界を迎えていたサトーの身体の細胞一つ一つが、歓喜の産声を上げていた。

乾き切った腹の底に、甘く冷たい液体が染み渡っていく。


そんなサトーの必死な食事風景(※外から見れば、微動だにせずストローから静かに栄養を補給しているだけの不気味な鉄仮面)を、レオンは熱を帯びた尊敬の眼差しで見つめていた。


「ああ……食事の際も決して兜を脱がず、最低限の栄養だけを摂取して己の肉体を縛り続ける。その徹底した禁欲の精神、まさに騎士の鑑……! このレオン、改めてスミス将軍の副官となれたことを誇りに思います!」


(違うから! 誓いとか禁欲じゃなくて、留め具が完全に錆びついてて物理的に脱げないだけだから! 早く誰か鉄ノコギリとか持ってきてこの首元の金具を切断してくれ!)


心の中で血の涙を流して絶叫しながらも、サトーは絶対に真実を口にすることはできなかった。

すでに『自らを犠牲にして魔将ザルバを討ち取った、顔のない英雄』という設定が、軍の最上層部にまで行き渡ってしまっているのだ。

今更「ただの勘違いです、兜も脱げないポンコツです」などと言えば、あの般若王女に即座に報告され、どのような残酷な処刑が待っているか想像もつかない。


「さて、将軍。お食事が済んだところで、さっそく本題に入らせていただきます」


レオンがスッと姿勢を正し、一枚の分厚い羊皮紙のリストをテーブルの上に広げた。


「ギュンター司令官より、我が『独立遊撃部隊』に配属される兵士たちの名簿が届いております。……しかし、その面子を見て、私は司令官の意図を疑いました。これはあまりにも、スミス将軍に対して失礼極まりない、ふざけた人選です」


レオンがギリッと歯を食いしばり、悔しそうに拳を強く握りしめる。


「リストに載っているのは、軍の規律違反者、上官への暴行を繰り返す命令無視の常習犯、味方の被害などお構いなしに暴れ回る戦闘狂、あるいは横領や窃盗で他の部隊からつまみ出された『ならず者』ばかり。たった百名の小規模部隊とはいえ、これではまるで軍のゴミ捨て場、最悪の懲罰部隊です! スミス将軍ほどの偉大な英雄に、このようなクズどもをあてがうなど……!」


(えっ? ならず者部隊? 懲罰部隊?)


サトーはストローを吸うのをピタッと止めた。

前職のブラック企業で言えば、各部署から見放された窓際族や、問題行動ばかり起こすクラッシャー社員だけを集めた『追い出し部屋』のような新部署の立ち上げである。

普通の管理職(将軍)からすれば、頭痛で夜も眠れなくなるような最悪のシチュエーションだ。


しかし、サトーの思考はすぐに逆方向へと猛烈に回転し始めた。


(……いや、待てよ? これはむしろ、俺にとって都合がいいんじゃないか?)


サトーは冷静に計算した。

規律正しいエリート部隊を任されれば、隊長である自分も常に完璧な指揮を求められ、最前線に立って彼らを統率しなければならなくなるだろう。

しかし、命令を一切聞かない、身勝手なならず者部隊であればどうだ。

「あいつらが勝手に命令を無視して突っ走った」「俺の制止を振り切って勝手に戦場に行った」という完璧な言い訳が成立する。うまくいけば、ならず者たちが勝手に暴れ回っている間、自分は安全な後方の天幕で「待機だ」と称して震えているだけで済むかもしれない。


(よし、このならず者部隊は、俺の『安全なモブ将軍ライフ』を確立するための、最高の隠れ蓑になるぞ!)


サトーは兜の中でニヤリと卑屈な笑みを浮かべると、リストを指差し、レオンに向かって重々しく(※首が痛いのでゆっくりと)頷いてみせた。


「……スミス将軍?」


レオンがハッとしてサトーの鉄仮面を見る。


「将軍……まさか貴方様は、このクズどもを『あえて』受け入れるとおっしゃるのですか?」


サトーは無言のまま、もう一度深く、力強く頷いた。

(そうだ。そいつらでいい。むしろそいつらがいい。俺は天幕から一歩も出ないから、適当にお前らだけで戦ってこい)という、完全なる責任放棄の意思表示だった。


しかし、その沈黙は、レオンの狂信的なフィルターを通ることで、またしても真逆の、あまりにも壮大な意味へと変換された。


「おおおおっ……! スミス将軍! 貴方様という人は、どこまで海より深く、空より広い慈愛と自信をお持ちなのですか!」


レオンは感極まってテーブルに両手をつき、ポロポロと涙をこぼした。


「どんなはぐれ者や世間から見放されたクズであろうと、戦場に立つ限りは同じ王国軍の兵士。己の圧倒的な実力と、死線を潜り抜けたその背中で、彼らを最強の戦士へと鍛え直して見せる……というのですね! わかりました! このレオン、将軍の底知れぬ壮大な御心に、どこまでもついていきます!」


(だから違うってば! なんで毎回そんな少年漫画の熱血主人公みたいな解釈になるんだよお前は!)


サトーが心の中で盛大にツッコミを入れ、激しい頭痛を覚えたその時だった。


「おいおい! 新しい部隊の隊長殿ってのは、どこのどいつだァ!」


鼓膜を劈くような乱暴な怒鳴り声とともに、天幕の入り口がバサァッ!と開け放たれ、一人の巨漢がズカズカと足を踏み入れてきた。


身長は二メートル近くあり、スキンヘッドの頭部から顔の右半分にかけて、刃物で深く切り裂かれたような巨大な傷跡が走っている。

上半身は簡素な革の鎧しか着けておらず、丸太のように太く隆起した腕には、人間の背丈ほどもある巨大な両刃の戦斧(バトルアックス)が担がれていた。

全身から、血の匂いと暴力のオーラがむせ返るように放たれている。


「貴様ッ! スミス将軍の御前であるぞ! その無礼な振る舞い、即刻叩き斬ってくれる!」


レオンが素早く腰の剣を引き抜き、強烈な殺気を放って立ち塞がる。


「ヒャハハハ! 堅苦しいエリートのお坊ちゃんが、この俺に剣を向ける気か? 抜くなら命を捨てる覚悟をしろよ。俺は気に食わねえ上官を殴り殺して懲罰房に入れられてた『狂戦士のバルタ』だ。……で?」


巨漢のバルタは、立ち塞がるレオンを完全に無視して、ベッドの端に腰掛けているサトー(※錆びた全身甲冑)を値踏みするように、品定めするように睨みつけた。


「そこの、サビだらけのポンコツ鎧から酷え異臭を放ってる薄汚い案山子が、あの魔将ザルバを倒したっていう噂の英雄殿か? 笑わせるな。俺は自分の目で見た強者しか認めねえ。過去の栄光なんてクソくらえだ。……おい、大将。てめえの本当の実力、俺の斧で直接確かめさせてもらうぜェ!」


バルタは凶悪な獣のような笑みを浮かべると、担いでいた巨大な戦斧を両手で構え、一切の躊躇なく、ベッドに座るサトーの脳天めがけて全力で振り下ろした。


「スミス将軍ッ!?」

レオンが悲鳴のような声を上げる。


ブォンッッッ!!!


空気を切り裂く轟音。

脳天を叩き割る、死の軌道。


しかし、その鋼鉄の戦斧の刃は、サトーの兜に触れることはなかった。


「……あ?」


バルタの口から、間抜けな声が漏れた。

彼が全力で振り下ろした最速の斧の刃は、サトーが座っていたベッドのマットレスを深くえぐり、その下の分厚い木の板にガッチリと食い込んで止まっていたのだ。


肝心のサトーの姿は、バルタの目の前にはない。


「どこだ……?」


「バルタァァァッ! 貴様、将軍に対して何という真似を!」


レオンが怒り狂って斬りかかろうとした瞬間、バルタの足元から、「カシャン……」と微かな金属音が聞こえた。


バルタが視線を下に向けると、そこには。

ベッドのすぐ横の床に、両手両膝をつき、額を地面に擦りつける完璧な『スライディング土下座』の姿勢のまま、微動だにしないサトー(ポンコツ甲冑)の姿があった。


「な、なんだと……!?」


バルタの顔から、一瞬にして血の気が引いた。


バルタの全力の唐竹割り。並の騎士なら反応すらできずに両断されているはずの、最速にして必殺の一撃。

それを、この錆びた甲冑の男は、斧が振り下ろされる直前のコンマ一秒のタイミングで、あえて『姿勢を極限まで低くする』という最小限の動きだけで、完璧に回避したのだ。

しかも、ただ避けるだけではない。

その姿勢は、床に張り付くように身を低くし、いつでも下からバルタの急所(喉元や心臓)を、隠し持った短剣で突き上げることができる、無駄のない完璧な『暗殺の構え(※ただの土下座)』であった。


「ば、馬鹿な……。俺の、俺の最速の斧が、まるで見えていたというのか……。しかも、この体勢……いつでも俺の命を刈り取れるというのに、あえて反撃せず、俺の武器がベッドに食い込んで無防備になるのを待っていた……? まるで、赤子の手をひねるような余裕だ……!」


(ヒィィィィィィィッ!! 死ぬ! 殺される! ごめんなさいごめんなさい! 殺さないでくださいィィ!)


サトーは兜の中で、涙と鼻水を撒き散らしながら、極限の恐怖で震え上がっていた。

バルタが斧を振り上げた瞬間、サトーの脳裏に、前職のパワハラ上司が分厚いキングファイルのバインダーを全力で投げつけてきた記憶がフラッシュバックした。

身体が勝手に動き、『理不尽な上司に対する絶対防衛本能(土下座)』が発動。三十キロの甲冑の重さに引っ張られる形で、ベッドから滑り落ちただけである。

下から急所を狙うどころか、恐怖で完全に腰を抜かし、一歩も動けない状態だった。


「ス、スミス将軍……!」


レオンが、震える声で感嘆の声を漏らした。


「なんという恐るべき神速の回避……! 私の目にも、将軍が動いた軌跡すら見えませんでした! まるで空間そのものを跳躍したかのような……! しかも、この無礼なクズを即座に殺すことはせず、あえて圧倒的な力の差を見せつけて降伏を促すという、その海より深い慈悲……!」


(ちがう! 腰が抜けてるだけだ! 助けてレオン! 今すぐこのハゲを叩き出してくれぇぇぇ!)


サトーの全身の震え(ガタガタという甲冑の音)は、バルタの目にも、圧倒的な強者が放つ『底知れぬ怒りと殺気の波動』にしか見えなかった。

もし、この男がその気になれば、自分など瞬きする間に首を落とされている。


圧倒的な、絶対的な実力差。


ガシャン、と。

バルタはベッドに食い込んだ斧から手を離し、サトーの前に両膝を突いた。


「……俺の、完敗だ」


バルタは額を床に擦りつけ、まるで全能の神に許しを請う信者のような声で言った。


「スミス将軍。アンタの強さは本物だ。いや、強さだけじゃねえ。この俺の無礼な一撃を笑って許し(※笑ってない)、殺さずにチャンスを与えてくれたその器のデカさ。……アンタこそが、俺が一生をかけて仕えるべき『真の王』だ」


(えっ? 真の王? 何言ってんのこいつ)


「このバルタ、今日からスミス将軍の忠実な番犬として、命の限り戦うことを誓います! 命令とあらば、どんな地獄へも一番槍で突っ込んでみせましょう!」


狂戦士バルタの目に、先ほどの反抗的な色は微塵もなかった。

そこにあるのは、レオンと全く同じ、いや、それ以上に厄介な『狂信者』の瞳だった。


「素晴らしい! バルタ、貴様もようやくスミス将軍の偉大さに気づいたか!」

「ああ、レオン副官。俺はとんでもない愚か者だった。将軍のこの錆びた甲冑すら、今では神々しいオーラを放っているように見えるぜ!」


二人の屈強な戦士(狂信者)が、土下座の姿勢で固まっているサトーを囲んで、熱い涙を流しながら固い握手を交わしている。


(終わった……俺の寿命が縮む音がした……)


サトーは兜の中で、完全に魂が抜けかけていた。

レオンだけでも対応に苦慮しているのに、こんな好戦的な狂戦士のハゲまで副官ポジションに加わってしまった。

『ならず者部隊を後方待機させて、自分は安全な場所でサボる』というサトーの完璧なモブ計画は、たった一つのスライディング土下座によって、完全に崩れ去ってしまったのである。


◆ ◆ ◆


「さて、スミス将軍。部隊の編成も完了したところで、我々『独立遊撃部隊』の初任務について、ギュンター司令官より通達が来ております」


数時間後。

天幕の中央に置かれた巨大な作戦地図(マップ)の前に、レオンとバルタ、そして椅子に座らされたサトーがいた。


「現在の戦況ですが、ザルバを討ち取ったとはいえ、魔王軍の本隊は依然として強大です。我々独立遊撃部隊には、敵の補給線を断つための『自由な奇襲作戦』の権限が与えられています。将軍、最初の標的はどこに定めましょうか!」


レオンが目を輝かせて作戦地図を指し示す。

バルタも「俺の斧が敵の血を吸いたがってますぜ」と、危険な笑みを浮かべて鼻息を荒くしている。


(標的って言われても……俺、この世界の地理なんて何も知らないし、軍事知識もゼロなんだけど……)


サトーは細いスリット越しに、テーブルの上に広げられた複雑な地図を見下ろした。

無数の赤い駒(魔王軍)と青い駒(王国軍)が入り乱れて配置されている。どこを指差しても、激戦地に放り込まれるのは目に見えていた。


(ダメだ。適当に選んだら絶対に死ぬ。どこか、敵が絶対にいない、安全で、後方で、平和な場所……)


サトーは地図の端から端まで必死に視線を走らせた。

そして、王国軍の陣地よりもさらにずっと後方、戦線から最も遠く離れた地図の隅っこに、赤い駒も青い駒も一切置かれていない、謎の空白地帯を見つけた。

地図には『第八区画・底なしの泥沼』と記されている。


(ここだ! 底なし沼なんて、人間も魔物も近づかないに決まってる! ここを「調査する」とか適当な理由をつけて陣取れば、戦争が終わるまで泥遊びして安全に過ごせるぞ!)


サトーは震える右手をゆっくりと持ち上げると、迷うことなく地図の隅にある『第八区画・底なしの泥沼』を、ガシャンと甲冑の指で叩いた。


「…………」


無言で沼地を指差すサトー。

天幕の中に、水を打ったような静寂が流れた。


レオンとバルタは、サトーの指差した場所を見て、一瞬ぽかんと口を開けた。


「しょ、将軍……? そこは、我々の陣地よりも遥か後方、ただの悪臭漂う泥沼地帯ですが……」

「大将、まさかそこで泥遊びでもしようってんじゃないでしょうね……?」


(その通り! 泥遊びして定時退社したいんだよ! 頼むから文句言わずにそこに行かせてくれ!)


サトーが心の中で必死に祈りながら、指をビシッと沼地に押し付けたまま微動だにせずにいると。


レオンの顔つきが、突然ハッとして青ざめた。


「……ま、まさか……! そういうことか!!」


レオンは作戦地図を食い入るように見つめ直し、ガタッと激しい音を立てて立ち上がった。


「バルタ! 見ろ、この地図の等高線と、魔王軍の最近の不自然な部隊配置を!」

「あ? なんだよ……って、おい嘘だろ!? 本隊の動きからして、この第八区画の泥沼は完全に『死角』になってやがる!」


「その通りだ! 我々王国軍は、泥沼など行軍不可能だと完全にノーマークだった。だが、もし魔王軍の工作部隊が、あの泥沼の地下に魔力で空間を作り、『秘密の地下トンネル』を掘り進めていたとしたらどうなる!?」


「なっ……! トンネルが完成すれば、魔王軍の奇襲部隊が、我々の防衛線を完全にすっ飛ばして、直接本陣の背後を突けるじゃねえか!! ギュンター司令官の首が危ねえ!」


「そうだ! スミス将軍は、敵のわずかな動きと地形から、魔王軍の誰も気づかなかった恐るべき『極秘の奇襲ルート』の存在を、完全に看破されていたのだ!!」


「おおおおおっ!! さすがは大将だ! なんだその神懸かった戦術眼は! 俺の鳥肌が止まらねえぜ!!」


(ええええええええええええっ!?)


サトーは兜の中で、恐怖のあまり完全に白目を剥き、心臓が口から飛び出しそうになっていた。


ただ安全な泥沼でサボりたかっただけなのに。

なぜそれが『敵の極秘奇襲ルートの看破』という、最も危険な最前線任務へと超解釈されてしまうのか。


「全軍に緊急出動の号令をかけろ! 我々独立遊撃部隊はこれより、スミス将軍の指揮のもと、第八区画の泥沼へと急行し、地下に潜伏しているであろう魔王軍の工作部隊を強襲・殲滅する!!」


「おうよ! 大将の初陣だ、俺たちが一番槍で敵の首を綺麗に刈り取ってやるぜ!」


「スミス将軍! ご下問いただき、ありがとうございます! 貴方様のその恐るべき知略に、改めて感服いたしました! さあ、出陣の号令を!」


目をキラキラと輝かせる二人の狂信者を前に、サトーはもはや逃げ出すことすら許されなかった。


「……(コクッ)」


サトーは魂が抜け殻になったように、ただゆっくりと、絶望の深淵に向かって頷くことしかできなかった。


かくして、安全な後方待機を狙った最弱のモブのささやかな願いは、狂信者たちの恐るべき超解釈によって木っ端微塵に砕け散り。


ならず者ばかりを集めた独立遊撃部隊は、敵の極秘部隊が潜む死地(泥沼)へと、英雄スミスを神輿として担ぎ上げながら、狂喜乱舞して突撃していくのであった。



―――つづく。

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