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第19話:落下と魔将圧殺

アーゼンベルフ王国の最下層、スラム街の暗黒要塞『踊る豚亭』。


王都からの特使が、狂信的な部下たち(特務大将直轄・独立遊撃部隊)の放つ異様な殺気と、全裸で土下座する暗殺者というこの世の地獄のような光景に耐えきれず、白目を剥いて泡を吹き、完全に気絶してから数分後のことである。


「皆の者! 武器を取れ! 出陣の準備を急ぐのだ!」


レオンの血に飢えた、しかしどこか神聖な使命感すら帯びた狂気的な号令が、鋼鉄で密閉された酒場のフロアにびりびりと木霊した。

百名のならず者たちは、鈍く光る剣や斧を天に突き上げ、これから始まる大殺戮に猛獣のような雄叫びを上げている。


「スミス将軍の『王都への教育』のための、あえての遅参(おし)の時間は、十分に稼いだ! 腐敗した王都の連中も、今頃は死の恐怖に震え上がり、己の無力さを骨の髄まで思い知っていることだろう!」

「おうよ! 大将の完璧なシナリオ通りだぜ! これより俺たちは、絶望のどん底にある王都の連中の前に神のごとく降臨し、圧倒的な力で魔王軍を蹂躙する!」


狂戦士バルタが巨大な戦斧を振り回し、床の大理石を粉砕する。

フロアの隅では、シルヴィママから「全裸でウロチョロすんな不潔!」と情けで投げ渡された『空のワイン樽』をスポッと被り、樽から手足だけを出した滑稽な姿になった魔法暗殺者ヴェインが、「わ、私も! このヴェインも、空間の覇王たる将軍の奴隷として末席に加えてくださいませェェ!」と泣きながら床にすがりついていた。


その、むせ返るような異常な熱狂の中心で。


(やめて! 待って! 本当に出陣する気なの!? 四天王クラスのバケモノが三体もいる戦場なんて、体力3の俺が行ったら一瞬で肉片になって消し炭になるに決まってるだろ! しかもあの般若王女がいるんだぞ! お願いだから誰か冗談だと言ってくれ! 俺はここで芋の皮を剥いていたいんだよ!)


サトーは三十キロの錆びついた全身甲冑(フルプレートアーマー)の中で、激しい過呼吸を起こし、心臓が肋骨を物理的に突き破りそうなほどの危険な四拍子のビートを刻んでいた。

全身の血の気が完全に引き、神経という神経が荒いヤスリで削られるような極限のストレスに晒されている。

だが、彼が恐怖のあまりガタガタと小刻みに激しく震え、膝が笑って一歩も動けずにいるその姿は、狂信者たちの目には『出陣を前に、静かに闘気を極限まで練り上げている軍神のオーラ』として完璧に自動翻訳されてしまっていた。


「見ろ、バルタ……。将軍のあの武者震いを。これから屠る数万の魔王軍の血を思い、闘争本能が抑えきれないご様子だ」

「ヒャハハ! 大将の背中から立ち昇る死のプレッシャーで、俺まで息が詰まりそうぜ! 全員、将軍に遅れをとるんじゃねえぞ!」


(違う! ビビって腰が抜けてるだけだよ! 闘気じゃなくてただの致死量の冷や汗だよ! 誰か俺の甲冑を脱がせて脈を測ってくれ、間違いなくショック死寸前の数値が出てるから!)


サトーが心の中で血の涙を流して天を仰ぎ、声なき絶叫を上げた、その時だった。


ズゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!


突如として、鋼鉄の要塞全体が、直下型の大地震に見舞われたかのように激しく揺れ始めた。

酒場の床の大理石がメキメキと音を立ててひび割れ、地下貯蔵庫に続く階段の方向から、圧倒的な質量を持つ『何か』が、凄まじい地鳴りと熱気を伴って這い上がってくる。


『グルルルルルルル……!』


「な、なんだ!? 地下から何かが来るぞ! 構えろ!」

ならず者たちが一斉に武器を構え、警戒して後ずさりした。


ドバキィィィィィィッ!!


分厚い鋼鉄の床板を内側から紙屑のように突き破り、酒場のフロアに巨大な姿を現したもの。

それは、黒曜石の鱗に覆われ、全身から超高熱のマグマの息を吐き出す、神話の時代の災厄――『古代地竜(エンシェント・アース・ドラゴン)』であった。


地下の底でサトーにテイム(※プロテインの悪臭による偶然の服従)されて以来、大人しく丸まっていたはずのバケモノが、地上の異常な騒がしさと、何よりサトーの『心拍数の異常な上昇(極限のパニック)』を本能で察知し、「ボスの身に危険が迫っている!」と勝手に勘違いして、床をぶち破って護衛に現れたのである。


「ヒィィィィッ!?」

サトーは情けない悲鳴を上げそうになり、両手で必死に兜の口元を押さえた。


古代地竜は、家ほどもある巨大な頭をサトーの足元にすり寄せると、「キューン、キューン」と、その凶悪で恐ろしい外見からは想像もつかないほど情けない、甘える子犬のような声を出した。


(熱い熱い熱い! 鼻息が完全に業務用の火炎放射器! 甲冑の表面が赤熱し始めてるから! 頼むからすり寄ってこないでくれ、俺は焼肉じゃないんだ!)


サトーは兜の中で、熱中症と恐怖で視界を明滅させながら、ガタガタと痙攣した。

しかし、その圧倒的な光景を見たレオンは、雷に打たれたように目をカッと見開き、全身の毛を逆立てた。


「……おおおおおっ! なんという事だ!」

レオンが、銀の剣を天に突き上げ、感涙に咽び泣きながら絶叫した。


「将軍は! 王都までの数キロの道のりを一瞬で駆け抜けるため、自ら服従させたこの神話の竜を『軍馬(マウント)』として地上へ喚び出されたのだ! 見よ、この古代地竜の、将軍に対する絶対的な忠誠と服従の姿を!」


「す、すげえ……! 魔将どもを相手にするには、自分の足で走るより、コイツに乗って空から強襲した方が手っ取り早いって計算か! さすがは大将だ、戦術のスケールが人間じゃねえ!」

バルタが狂ったように高笑いを上げる。


(違う! 勝手に下から出てきただけだよ! 乗るわけないだろ、こんなマグマの塊みたいなバケモノに! 落ちたら確実に死ぬし、乗ってるだけでも熱で焼け死ぬわ!)


サトーが必死に首を横に振って拒絶しようとした瞬間。


「さあ、スミス将軍! ご出陣の時です! 我らも死に物狂いで、将軍の竜の影を追いますぞ!」


「おう! 大将の神話の騎乗、しかと目に焼き付けさせてもらうぜ!」


レオンとバルタが、サトーの両脇をガシッと力強く掴むと、三十キロの甲冑ごと「フンッ!」と軽々と持ち上げ、古代地竜の巨大な背中の上――ゴツゴツとした黒曜石のトゲとトゲの間に、ドスン!と乱暴に鎮座させたのだ。


「あばばばばばっ!?」

サトーの口から、もはや言語ではない奇妙な悲鳴が漏れる。


背中からダイレクトに伝わってくるのは、鉄板の上で焼肉にされる牛の気持ちが痛いほどわかる、絶望的な超高熱。

さらに古代地竜は、「ボスが背中に乗ってくれた! ボスと一緒にお散歩だ!」と歓喜に打ち震え、嬉しそうに巨大な翼をバサァッ!と広げた。


『グォォォォォォォォォォッ!!』


神話の竜の咆哮が、鋼鉄の要塞の壁をビリビリと震わせ、周囲の空気をプラズマのように焦がす。


「開門ォォォ! スミス将軍の御出陣だァァァァ!」


レオンの号令とともに、酒場の正面の分厚い鋼鉄のバリケードが、鎖を引きちぎるような音を立てて左右に大きく開け放たれた。


次の瞬間。

古代地竜は、凄まじい脚力で酒場の大理石の床を粉砕し、背中にサトーを乗せ(そして尻尾の先には、樽を被った全裸のヴェインが「私もお供しますぞォォ!」と勝手にしがみついている状態のまま)、弾丸のような恐るべき速度で、王都の中心部へと向かって夜の闇の中を猛ダッシュで駆け抜けていった。


「将軍に続けェェェェッ!」

百名の狂信者たちが、凄まじい土煙を上げてその後を狂ったように追走していく。


(死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬゥゥゥッ!)


サトーは、振り落とされないように古代地竜の背中のトゲに必死にしがみつきながら、音速に近いスピードで顔面に叩きつけられる凄まじい風圧と、下から容赦なく焼き尽くしてくる超高熱のマグマに、完全に意識を遠のけさせていた。

ジェットコースターの最前列で、シートベルトなしで火炙りにされているような、究極の拷問である。労災が下りるレベルではない。


(誰か……助けて……定時退社させて……いや、もう有給休暇でいいから休ませてくれ……)


最弱の社畜を乗せた暴走特急(ドラゴン)は、数万の魔王軍が包囲する絶望の最前線へと、一直線に空を引き裂きながら突き進んでいった。


◆ ◆ ◆


その頃、王都の正門前。

アーゼンベルフ王国の防衛戦は、文字通り『崩壊』の二文字を突きつけられていた。


「ひぃぃっ! ば、化け物だ! 結界が、王都の第一結界が完全に破られたぞ!」

「逃げろ! 魔将の炎だ! 触れただけで灰になるぞ!」


燃え盛る巨大な城壁。

阿鼻叫喚の悲鳴を上げて逃げ惑う王国軍の兵士たち。

彼らを無慈悲に、そして遊ぶように蹂躙しているのは、魔王軍が誇る数万の軍勢、そしてその先頭に立つ、三体の恐るべき『魔将』たちであった。


全身を灼熱の炎で包み、周囲の空間ごとすべてを灰に変える『炎将イグニス』。

触れるものすべてを絶対零度で凍てつかせ、命の鼓動を停止させる『氷将グラキエス』。

そして、雷を纏い、音速で戦場を駆け抜けて兵士をミキサーのように切り刻む『雷将トニトルス』。


かつて建国の勇者によって封印されたはずの、四天王クラスの災厄が三体同時に現れたのだ。王国軍の誇る剣技や高位魔法など、彼らの前では子供のシャボン玉遊びにも等しかった。


「……ここまで、ですか」


燃え落ちる王都の正門の前に立ち、絶望的な地獄の光景を見つめている一人の少女がいた。

太陽の光を編み込んだような黄金色の縦ロールヘアを血と泥とススで汚し、最高級の純白のドレスの上からミスリル製の美しい軽鎧を纏った、アーゼンベルフ王国第一王女――セレスティアである。


彼女の手には、王族に代々伝わる聖剣が握られていたが、その刃はすでにボロボロに刃こぼれし、彼女自身の体力も魔力も完全に底を突いていた。

周囲を守っていたはずの近衛騎士たちは、三魔将の圧倒的な力の前に次々と命を散らし、もはや立っているのは彼女一人となっていた。


(ああ……最悪。本当に最悪だわ。なんでこんなことになってるのよ)


セレスティアは、迫り来る魔将たちを睨みつけながら、心の中でどす黒い、ヘドロのような悪態をついていた。


(なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの? 私の完璧な人生計画はどこに行ったの? 次期女王として、贅沢三昧で毎日高級エステとティータイムを楽しみ、イケメンの騎士たちを侍らせるはずだったのに! なんでこんな泥臭くて血生臭い最前線で、無能な兵士たちの尻拭いをして死ななきゃいけないのよ!)


表向きは「民を守るために最前線に立つ慈愛の王女」を完璧に演じているが、彼女の本性は、サトーをゴミ捨て場に不法投棄したあの日の『般若』のままである。


(だいたい、あの日召喚した勇者が、体力3のゴミだったのがすべての間違いなのよ! あいつのせいだ! どこの誰かも知らない佐藤とかいう薄汚いドブネズミのせいで、私の人生はめちゃくちゃよ! 呪ってやる、あのゴミを地獄の底まで呪ってやる!)


自らの八つ当たりと責任転嫁を極限までブーストさせながら、セレスティアは奥歯をギリッと噛み締めた。


そんな彼女の前に、三体の魔将が悠然と、獲物を甚振るような足取りで歩み寄ってくる。


『ククク……哀れな人間の王族よ。貴様のその美しい顔が、絶望と熱と苦痛に歪む瞬間を、我が炎でじっくりと焼き尽くしてくれるわ』

炎将イグニスが、掌に巨大な太陽のような火球を生み出しながら、残酷な笑みを浮かべた。


「……ふざけないで。私を誰だと思っているの。私はアーゼンベルフの次期女王、セレスティアよ! 貴方たちのような下等な魔物に、屈するとでも思って……!」


セレスティアは必死に虚勢を張り、最後の力を振り絞って聖剣を構えた。

だが、恐怖で震える腕では、剣の切っ先すら満足に上がらない。足の震えをごまかすのが精一杯だった。


(死ぬ……! 本当に死ぬ! 誰か、誰でもいいから助けなさいよ! 給料の無駄飯食らいの兵士ども! 盾になりなさいよ! それに……そうだ、あの噂の『スミス将軍』とかいう無敵のバケモノはまだ来ないの!? 使者を出したはずでしょ! 使えないわね、全員クビにしてやる! この私が死にそうなのよ!?)


王女の心の中の身勝手なヒステリーが最高潮に達した、まさにその瞬間だった。


『死ね、人間の小娘! 我が炎の塵となれ!』

炎将イグニスが、王都の城壁すら一撃でドロドロに溶かすほどの巨大な業火を、セレスティアに向けて放とうと右腕を大きく振り上げた。


セレスティアは、迫り来る死の熱風に、思わず目を固く閉じた。


――ドゴォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!


鼓膜が破裂するかと思うほどの、天を物理的に裂くような凄まじい轟音が、戦場のど真ん中で弾け飛んだ。


「……えっ?」


セレスティアが恐る恐る目を開けると。

目の前にいたはずの、炎将イグニスの姿が、跡形もなく消滅していた。


代わりに、彼女の目の前の地面には、巨大な隕石が落下したかのような、すり鉢状の巨大なクレーターが穿たれていた。

そして、そのクレーターの中心。

完全にペシャンコに圧縮され、ピクピクと痙攣している炎将イグニス(だったもの)の頭の上に。


三十キロの赤錆びた全身甲冑(フルプレートアーマー)が、ガシャンッ!と重々しい音を立てて、両膝を突いた姿勢のまま鎮座していたのである。


『なっ……!? イグニスが、上空からの謎の一撃で、一瞬で潰されただと!?』

『ば、馬鹿な! いったい何が起きたのだ!? 魔法の気配など一切なかったぞ!』

残された氷将と雷将が、驚愕に目を見開き、数歩後ずさりした。


そして、その直後。

戦場の上空を、太陽を完全に覆い隠すほどの巨大な影が通り過ぎた。


『グォォォォォォォォォォォォォッ!!!』


神話の時代から蘇りし災厄、古代地竜である。

地竜は上空でホバリングしながら、眼下の魔王軍に向かって、すべてを灰にする超高熱のマグマの息(ブレス)を一斉に吐き散らした。


『ぎゃあああああっ!』

『熱い! 逃げろ! なぜ神話のドラゴンが人間側に味方しているのだ!?』


数万の魔王軍の強固な陣形が、たった一体のドラゴンのブレスによって、一瞬にして崩壊し、阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わっていく。


その圧倒的な破壊と大混乱の中心で。

クレーターの底に鎮座する、錆びついた全身甲冑の男。


彼こそは。


(痛えええええええええええええっ!!! なんだこれ!? なんで空から落ちたの俺!?)


サトーである。

彼は、古代地竜の背中に必死にしがみついていたのだが、ドラゴンが音速を超えたことによる凄まじいG(重力加速度)と、極限の恐怖による手の痺れにより、完全に握力を失って手が滑ってしまったのだ。

そして、地竜が王都の戦場へ向けて上空へ大きくジャンプ(飛翔)した瞬間、三十キロの甲冑の重さに耐えきれず、上空数十メートルの高さから、真っ逆さまに自由落下してしまったのである。


そして、重力加速度を味方につけた『三十キロの鉄の塊の落下エネルギー』は。

運悪く(サトーにとっては極めて運良く)、セレスティアを殺そうとしていた炎将イグニスの脳天に、物理法則の暴力としてクリティカルヒットした。

どれほど強力な魔法の防御結界を張ろうとも、純粋な『上空からの質量兵器(落下する甲冑)』の前では紙クズ同然であり、魔将は一瞬にしてトマトのようにペシャンコに潰されてしまったのだ。


「い、痛い……腰打った。足も痛い。首もむち打ちだ。……ここ、どこだ……?」


サトーはクレーターの底で、全身の骨が軋む痛みに涙を流しながら、フラフラとカシャン、と立ち上がった。

そして、兜の十字スリット越しに目の前を見た瞬間。

彼の心臓は、上空から落下した時の十倍の速度で、限界突破のバクバクという警鐘を打ち鳴らした。


(は、般若王女ォォォォォォォッ!?!?)


目の前。わずか数メートルの距離。

泥だらけになりながらも、その圧倒的な美しさを保っているセレスティア王女が、信じられないものを見るような、大きく見開かれた目でサトーを見つめていたのだ。


(終わった! バレる! 俺があの日ゴミ捨て場に捨てられた「ゴミ」だってバレる! 逃げなきゃ! 今すぐこのクレーターから這い上がって、一秒でも早くここから逃げなきゃ、絶対に処刑される!)


サトーはパニックになり、三十キロの甲冑をガシャンガシャンと鳴らしながら、必死に後ろへ後ずさりしようとした。


しかし、そのサトーの『無言のまま、ゆっくりと立ち上がり、魔将の死体を一瞥もせずに、冷徹な視線を周囲に向ける(※パニックで首を振っているだけ)』という行動は。

セレスティアの目には、どのように映ったか。


「あ、貴方様は……まさか」


セレスティアは、震える手で自らの豊かな胸を押さえ、その美しい瞳から大粒の涙を溢れさせた。


「はるか上空から、神話の竜を駆ってこの戦場へ飛び降り……その自らの肉体という圧倒的な質量のみで、防御結界ごとあの魔将を一撃で粉砕した……。そして、救い出した私を一瞥することもなく、残る二体の魔将へと静かに殺気を向けている……。なんて……」


セレスティアのどす黒い心の中で、かつてないほどの激しい感動と、ある種の『強烈なトキメキ』が爆発した。


(なんて……なんてストイックで、恐ろしく、そして頼もしいお方なの……! 王都の軟弱な貴族どもみたいに私の顔色を窺って媚びへつらうこともなく、ただ無言で背中で語る本物の戦士! 間違いないわ、この錆びついた異様な甲冑……彼こそが、噂に聞く王国の救世主!)


「スミス将軍……! スミス将軍ですね! ああ、よくぞ……よくぞ間に合ってくださいました!」


セレスティアは、完全に『悲劇のヒロインを救い出した、無敵の白馬の騎士』を見るような、うっとりとした熱を帯びた乙女の表情で、両手を胸の前で組んで祈るように叫んだ。


(ち、ちげえええええええ! 逃げたいだけだよ! 俺はお前が捨てた佐藤だよ! なんでそんなキラキラした、恋する乙女みたいな目で俺を見てるんだよ、逆に怖いよ!)


サトーは心の中で滝のような冷や汗を流し、今すぐ「違います、人違いです、お弁当温めますか」と言って走り去りたかった。

しかし、そんなサトーの背後に。


『……貴様。よくもイグニスを。人間の分際で、我ら魔将の誇りを泥で汚したな……!』


氷将グラキエスと、雷将トニトルスが、かつてないほどの激しい怒気と殺気を放ちながら、サトーの背後に立ち塞がっていた。

彼らの放つ魔力のプレッシャーだけで、周囲の空気が絶対零度に凍りつき、紫電がバチバチと大気を焦がしている。


(ヒィィィィィッ!? 前にはトラウマの般若王女! 後ろにはどう見ても勝てないバケモノ二体! 挟まれた! 完全に挟まれた! 逃げ場がどこにもねえ!)


サトーが絶体絶命の絶望に白目を剥きかけた、まさにその時である。


「将軍をお守りしろォォォォォッ!! 魔王軍を根絶やしにせよ!」


王都の城壁の向こう側から、凄まじい土煙を上げて、百名の狂信的なならず者たち(遊撃部隊)が、狂ったような雄叫びを上げて戦場へと雪崩れ込んできた。

さらに、上空からは古代地竜が「ボスをいじめるな!」と言わんばかりに、二体の魔将に向けて超高熱のマグマブレスの追撃態勢に入っている。


そして、その大混乱の極みにある戦場に、謎の奇妙な高い声が響き渡った。


「す、スミス将軍の歩む道に、このヴェインの魔法も捧げますぞォォォ!」


樽から手足だけを出した全裸の老人(ヴェイン)が、なぜか古代地竜の尻尾から振り落とされて戦場のど真ん中に見事に着地し、謎の変態的なポーズを取りながら、空間魔法の残滓を周囲にばら撒き始めたのである。


『な、なんだあの樽を被った全裸の狂人は!? まさか、あれもスミスの配下か!?』

『上空には神話の竜! そして、我々の威圧を全く意に介さない、底知れぬ無言の鉄仮面……! こ、これが人間の力だというのか!? 我々が戦うべき相手なのか!?』


魔将たちは、完全に想定外の、あまりにもカオスすぎる状況に思考が追いつかず、完全に戦意を喪失してジリジリと後ずさりし始めていた。


一方のサトーは。


(もうヤダ……帰りたい。ママさんの泥水スープ飲んで、硬いベッドで寝たい。誰か、俺を定時退社させてくれェェ……。もう勇者とかどうでもいいから、休ませて……)


王女からの熱烈な崇拝と恋慕の眼差し。

魔将たちからの圧倒的な恐怖の視線。

狂信的な部下たちとドラゴンの大暴れ。

そして、全裸の老人の謎の舞い。


すべてが極限状態に達した戦場のド真ん中で、最弱の社畜・佐藤一郎は、誰にも見えない兜の奥で、ただひたすらに神経をすり減らし、魂の形を崩壊させながら、無言のまま立ち尽くし(※気絶寸前)続けることしかできなかった。


王都を巻き込む、スミス将軍の超大迷惑で壮大な勘違い無双伝説は、ついに国家の頂点(王女)の心すらも完全に巻き込み、後戻り不可能な絶対的英雄の道へと、完全に固定されてしまったのである。


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