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鳴素の共鳴  作者: 佐々木勇二


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第八章 廃屋の二階

月光が床の埃を白く照らしていた。

一階ではゼンが入り口を背にして外を警戒している。競技場の裏口からくすねてきたパンを齧りながら。

「特別室のやつだぞ。カルナのよりマシだろ」

レムとタウに放り投げて、また外を向いた。

タウが受け取る。少し、迷う。

レムが先に齧った。

タウも齧った。

ゼンは見ない。

誰も何も言わなかった。

夜が深まった。

タウの視線が、レムの手元で止まった。

手帳だった。

少し間があった。

「……それ」

言いかけて、止まる。

レムは手帳を開いた。

「レンの」

短く言った。ページをめくる。荒い字。整った字。交互に並んでいる。

「……中に、もう一人いた。ずっとこうして話してたの」

タウが覗き込んだ。

「……最後の、読んでいい?」

レムは頷いた。

タウは声に出した。

「『彼は行きました。自分の足で。』」

沈黙。

タウの瞳から、涙が落ちた。

「……羨ましい。自分の足で行く場所があって」

膝を抱えて、声を殺して泣いた。

「お父さんが死んでから、ずっと自分がどこにいるかわからなかった。ただ怖くて、誰かに合わせて、消えないように歌ってただけ」

レムはタウの背中に手を置いた。

しばらく、そのままでいた。

タウが顔を上げた。

「……決めた。歌い手になりたい。怖くて歌うんじゃなくて、誰かに届けるために歌いたい。そうでもしないと、心が持たない気がするの」

「タウさんの歌、聴きたいな」

レムが言った。

「いつか、絶対に」

その時。

「おい」

階下からゼンの声が落ちてきた。

「囲まれた」

裏口を蹴り開けた。逆方向の路地を目指して走る。だが、そこにも暴徒がいた。

赤い瞳。整然とした動き。

出口がない。絶望が足を止める。

その前に。

影が落ちた。

一人立っていた。漆黒の外套。

「下がっていろ」

剣を抜いた。音がしなかった。

舞うように。一人ずつ。触れるたびに、敵が弾かれる。

斬れていない。

ゼンが眉をひそめた。「……斬ってねえぞ」

ブラスは答えない。ただ、動く。

その足元に、赤いものが落ちた。

一滴。また一滴。

レムが気づいた。「……血?」

外套の内側が、静かに濡れている。

それでも止まらない。もう一歩。踏み込む。わずかに、遅れる。

ゼンの顔が歪む。「おいっ、無理してんだろ」

返事はない。

最後の一人に触れる。崩れる。

静寂。

足が止まった。一歩、出ない。剣が、わずかに下がる。

レムが叫ぶ。

膝から、崩れた。

「……なんで……」

レムの声が震える。

周囲を見る。まだいる。数も減っていない。誰も、次の手を持っていない。

「やめて」

泣き声だった。

その横で。

タウは立っていた。

震えている。指先が冷たい。足が動かない。

(どうする)

わからない。戦えない。倒せない。

視線が落ちる。

倒れているブラス。血が広がっている。

でも。

敵は、誰も傷ついていない。

(……倒してない)

タウは目を閉じた。

(こんなので)

(止まるわけない)

一歩、下がる。

その中で一つだけ、残る。

レムの声。「やめて」

タウは目を開けた。

「……聞いて」

声が出た。かすれていた。形になっていなかった。

最初の一音。弱い。でも、消えない。

敵が動く。迫る。その足が、ほんの少しだけ止まる。

二音目。震える。崩れる。「……やめて」

言葉が混じる。

三音目。広がる。強くない。押し返さない。それでも。

一人が、手を下ろした。もう一人。また一人。

崩れない。倒れない。ただ、動きを、やめる。

ゼンが息を呑む。「……なんだ、これ」

レムは涙のまま、タウを見る。

タウは歌い続ける。止めない。ただ、続ける。

「……戻って」

最後の言葉が、こぼれた。

赤い瞳が揺れる。色が、わずかに戻る。

「今だ。あの人も連れていかなきゃ」

レムが立ち上がった。

その時、曲がり角の向こうから足音が響いた。

まだ歌の届いていない群れだった。

ゼンが立ち止まった。鉄パイプを握り直して、逆方向を向いた。

「おとりになる。お前らはブラスを連れて逃げろ」

ゼンは振り返らなかった。黙って、群れの方へ駆けていった。

その瞬間、屋根の上から影が舞い降りた。

「……やれやれ。隊長の頑固さも困りものだけど、この子たちの意地も相当なものね」

ダリだった。

手際よくブラスの肩を貸し、レムたちを路地の奥へ促した。

「急いで。私が支える」

一方、競技場側の喧騒の中。

「生きてたか」

ルオだった。セナがその後ろにいる。カルナで守衛をやっていた二人だ。

ゼンは折れかけた鉄パイプを構え直した。

「……なんで来た」

「用があって」ルオが言った。「お前に、じゃないけど」

ゼンは少し黙った。

「行くぞ」

三人で包囲を切り抜け、暗がりへと消えた。


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