第四章:準備
廃工場の大倉庫に、逃げ延びた人々が集まっていた。
守衛、職人、顔見知りの商人。誰もが黙って床を見ていた。
子供が泣く。母親が必死に宥めるが、食料はない。腕輪の光が、弱く、弱くなっていく。
誰かが立ち上がる。
「もう、黙ってられない……!」
外へ出ようとする。だが、すぐに兵士の影が見えて、戻ってくる。
廃屋の隅で、誰かが低く言った。
「……あいつらめ」
別の声。
「戦えそうなのは何人いる」
「見渡す限り、ろくな武器もない」
「でも、このままじゃ食い物も刻命も尽きる」
しばらく沈黙があった。
「……レンってやつ、知ってるか」
誰かが顔を上げる。
「ああ。あの守衛か」
「まだこの辺にいるらしい」
「……あいつなら、何か知ってるかもな」
期待でも希望でもない。
ただ、それだけだった。
腕輪の光が、わずかに揺れた。
廃屋の扉が開いたのは、夜になってからだった。
若者が三人、入ってきた。煤だらけで、息が上がっている。
「……レンって人、ここにいるか」
誰かが指を差した。
レンは壁際に座っていた。
若者たちが近づいてくる。一人が口を開いた。
「逃げてきた連中の間で、名前が出てた。あんたなら何か知ってるかもって」
「何を知りたい」
「どうすれば、あの戦艦を止められるか」
沈黙。
レムがレンを見た。ゼンが天井を見た。
レンはしばらく、若者たちを見ていた。
それから立ち上がった。
「来い」
大倉庫の扉が軋む。レムが声を上げた。
「……でか」
飛行船だった。
古い。錆びている。どう見ても動かない。だが、天井まで届くその巨体には、確かな存在感があった。
若者たちが集まってきた。
「これで戦うのか」
「動くのか、これ」
レンは飛行船を見上げたまま言った。
「動かす」
レムが首を傾けた。
「どうやって。燃料もないのに」
「相棒に機械の流れに割り込ませる。単純な構造ほど簡単だ。この船は古い分、余計な回路がない」
「……割り込むって、どういうこと」
「振動を植え付ける。機械が生きてるみたいに動く」
レムはしばらく考えた。
「じゃあ、外に落ちてた鉄の虫も?」
「ああ。壊れた個体は戦艦との通信が切れてる。その隙間に入り込める」
「攻撃もできる?」
レンは少し間を置いた。
「……できない」
「なんで」
「あいつは人を攻撃できない。そういう理だ」
レムはそれ以上聞かなかった。
若者の一人が口を開いた。
「で、この飛行船で戦艦に突っ込むのか。死ぬだろ」
「突っ込むのは飛行船だけだ」
レンは倉庫の奥を指さした。
布をかぶった、小さな機体があった。
「飛行船は囮だ。戦艦の迎撃システムを引きつける。壊れた昆虫型も囮に使う。その隙間を、こっちで抜ける」
「抜けてどうする」
「戦艦の中枢に届けばいい」
「一人で?」
レンは答えなかった。
「燃料はどうする」
別の若者が尋ねた。
「ある程度の時間なら、燃料に依存しない」
「……なんだそりゃ」
「振動を動力にする」
「らしい?」
レンは少し間を置いた。
「相棒がそう言っている」
沈黙。
若者たちが顔を見合わせた。
レムだけが、小さく笑った。
レムが小さく言った。
「……相棒がいるから、一人じゃないんでしょ」
誰も笑わなかった。
でも、腕輪の光が、少しだけ揺れた。
その夜。
レンはゼンの案内で、静まり返った街を駆け抜けた。
放置された蒸気自動車のボンネットに手を置く。建設途中のクレーンのワイヤーに触れる。ガソリンスタンドの給油ポンプをなぞる。
触れるたびに、銀色の光が走る。
『……定着、完了。スタンバイ』
汗が流れ、熱が奪われていく。機械に意志を植えるたびに、自分の中から何かが削られていく感触があった。痛みではない。ただ、軽くなっていく。自分が少しずつ薄くなるような。
「レン、顔真っ白だよ」
レムが心配そうにタオルを差し出す。
「……まだだ」
「無理しないで」
「無理じゃねえ。これは、俺たちにしかできない」
レムが黙った。タオルを押しつけてきた。レンは受け取って、額を拭った。
最後に、大倉庫に戻った。
飛行船とプロペラ機が、暗がりの中で待っていた。
夜の倉庫。風が弱い。
遠くの地上に、レムの姿が見えた。
群衆の中に立ち尽くし、こちらを見上げている。
まだ逃げ遅れている。
脳の奥に、声。
『……レム氏が、離脱できていません』
レンは答えない。
『このままでは、個体レムの生存確率が低下します』
一拍。
「……あいつは大丈夫だ」
レンは操縦桿を握り直した。
前だけを見ていた。




