第三章:崩壊
戦艦の最深部、黄金と鉄で彩られたブリッジに、レイクは一人でいた。
「侵攻準備、すべて完了しております」
部下の声が通信越しに届く。
レイクは自分の掌を見ていた。掌の上で、青白い光の粒が揺れている。北の塔から奪った鳴素の欠片。
「感情は、非効率だ」
「怒り。悲しみ。喜び。それは刻命を削るだけの雑音だ。管理する。統制する。それで足りる。」
光の粒が、掌の中で消えた。選ばせたから、死んだ。
「この世界には、指揮者が必要だ。混沌を秩序に変える者が。」
レイクは立ち上がり、窓の外を見た。
カルナの灯りが、まだ揺れている。
「明朝、始める」
その言葉に、感情はなかった。
夜明けが来た。
空が、少しずつ明るくなる。
いつもと同じ朝のはずだった。
だが。
光が、消えた。
端から。まるで誰かが空に蓋をするように。
レンは窓の外を見た。
影だった。
巨大な、鉄色の影が、空を覆っていた。
最初に落ちてきたのは、音だった。
低い。腹の底に響く。建物の窓が細かく震え、路地の水たまりが波紋を作る。
次に、影。太陽が、消えた。
ゆっくりと。端から。まるで誰かが空に蓋をするように、鉄色の巨体が広がっていく。
戦艦だった。帝都のどんな建築物よりも大きい。
煙突の列が、その腹の下で玩具に見えた。
沈黙。
それから、戦艦の下腹が割れた。
最初に出てきたのは小さかった。
虫だ、とレンは思った。
黒い。羽がある。複眼が橙色に光っている。一体だけなら犬ほどの大きさだ。でも二体、三体、十体、百体。数えるのをやめた頃には、空が黒く塗り替えられていた。
一体が、老婆の腕輪に触れた。
光が、赤に染まった。
「逃げろ」
レンは叫んだ。でも遅かった。
轟音が地鳴りとなって走った。
石畳を砕いて降り立ったのは、四メートルを超える巨大鎧兵器だった。関節の隙間から青い光が漏れる。昨日まで隣で旋盤を回していた職人たちが、鉄の拳に打ち据えられ、次々と地に伏していく。
民衆が逃げ惑う。
子供を抱えた母親が転ぶ。老人は立ち上がれず、瓦礫の下敷きになる。
腕輪の光が、次々と赤く変わっていく。
「レン! ジイの工房が――!」
レムが指差す先で、ジイが兵士たちに囲まれていた。
「ジイ!!」
駆け寄ろうとした瞬間。
鎧兵器の鉄拳が、工房の壁を砕いた。
轟音。瓦礫が崩れる。土埃が広がる。
ジイはレンを見た。
「……逃げろ」
それだけだった。
ジイは瓦礫の中に消えた。
レンは、一歩も動けなかった。
足が、地面に縫い付けられたみたいだった。
街中のスピーカーから、レイクの声が降り注ぐ。
『カルナの市民諸君、静粛に。この街は無駄が多すぎる。感情も、混乱も、非効率な抵抗も。これよりすべて、我が管理下に置かれる』
レンの拳が震えた。
非効率、という言葉が耳に刺さった。自分の中にいる誰かも、同じ言葉を使う。最適化。排除。でも、あいつとこいつは違う。あいつは、レンを守ろうとしている。こいつは――
脳の奥で、冷たい声が響く。
『……退避を提案します』
(この街を明け渡せってのか)
『……違います。奪い返すための、時間です』
レンは歯を食いしばった。
レムの肩を抱いた。
「……ゼン、レム。行くぞ」
レムが頷いた。目が赤い。泣いていない。泣かないようにしている顔だった。
ゼンは何も言わなかった。ただ、先に走り出した。
レンは一度だけ、ジイが消えた方向を振り返った。
瓦礫だけが、あった。
燃える夕陽の中、三人は廃工場へと消えていった。




