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鳴素の共鳴  作者: 佐々木勇二


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第二十一章 視察

工場街の朝は、湿気っていた。

蒸気が低く溜まっている。煙突から白い柱が何本も立ち上がっている。鉄を打つ音がどこかで連続して鳴っていた。レイクの鎧兵器の関節を融かして作った、と聞いた炉の音だった。

レムは外套の襟を立てた。手帳は内側にある。歩くたびに、布越しに角が当たった。

横を歩いているのは、ヤナという女だった。ジイの紹介で、今日の視察を受け入れる工場の、現場代理人をしている。

「視察団は十時に来る。あんたは見学者の振りでいい。喋らなくていい」

「分かった」

「気をつけることは一つ。投資家のセイガ氏。話しかけられても、長く返さないこと」

「セイガ」

「中央資本と地元資本の橋渡しをしてる人だ。ジイは会わない。あんたも会わなくていい。ただ、見ておく」

レムは頷いた。

工房の中央に、大型の旋盤があった。レイクの装甲板を切り出して使っているらしい。表面に見覚えのない刻印が残っていた。レムは目を逸らした。

職人たちは手を止めずに働いていた。視察団の到着に合わせて整列するような気配はなかった。これが新生カルナだ、とレムは思った。台頭しているが、媚びない。

十時を少し過ぎた頃、扉が開いた。

四人が入ってきた。前を歩いていたのは中央政府の役人らしい背広姿。後ろに地元の出資者が二人。一番後ろが、その男だった。

外套は着ていなかった。灰色の上着。黒い手袋。頭には何もかぶっていない。

レムは息を止めた。

ジイの語った男を、絵で見たわけではない。それでも、分かった。その立ち方。重心が前に出ない、軽い立ち方。歩き出さない時の静けさ。

役人が職長に挨拶していた。男は黙って、旋盤の前に立った。指でその刃に触れた。手袋越しに、何かを確かめるような触れ方だった。

それから、こちらを見た。

レムを見たのではなかった。ヤナを見たのでもなかった。レムが片手を当てている、外套の内側を、見た。

一拍。

男の目が、わずかに細くなった。

「失礼」

声がした。低く、整っていた。年齢の出ない声だった。

「お持ちのものは、古いものですね」

レムは答えなかった。男は近づかなかった。三歩離れた位置から、もう一度言った。

「近頃は、古い書物の蒐集家が増えていると聞きます。手元にあるうちは、どうかお気をつけて」

それだけだった。

男は旋盤に向き直った。地元の出資者と、低い声で何か話していた。技術的な話だった。レムには内容が掴めなかった。掴ませる気のない話し方だった。

ヤナがレムの肘を突いた。

「行くよ」

二人で工房を出た。

外の光が眩しかった。レムは外套の上から、手帳の角を強く押さえた。冷たかった。ジイの言った通り、男は会いに来たわけではない。来たついでに、確かめた。それだけだった。

「あの人」

レムが言った。

「知ってるの、手帳のこと」

ヤナはレムを見た。少し間を置いた。

「私は、知らないことにしておく」

それだけ言って、ヤナは別の通路へ歩いて行った。

工場街の蒸気が、足元を流れていた。レムは立ち止まって、外套の内側に手を入れた。手帳は、まだそこにあった。

帰り道、煙突の影が長くなっていた。レムは振り返らなかった。一度だけ、振り返りそうになった。やめた。

その夜、レムはジイに何も言わなかった。

ゼンには言った。

ゼンは右手を懐から出した。動かない指を、左手で握った。

「カイに送る」

「うん」

「明日の朝までに、出資元の照合を頼む」

「うん」

ゼンが通信機に向かった。レムは外套を椅子の背にかけた。手帳を取り出して、机の上に置いた。

布の温度は、戻ってきていた。



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