戦記 二十四
夜が明ける。
東天よりのぼる旭を見つめ、隆景は手を合わせた。
「ゆくぞ」
隆景率いる一万五千の軍勢が進軍する。
一万五千の足音は大地を揺るがし。領民たちはその振動を感じ取って、得物を手にして「わあ」と叫びながら駆け出した。
もう兵法もあったものではない。領民たちは、ただ必死であった。毛利軍を相手にして勝てるかどうかなど、悩む者はいなかった。
ただただ、必死さが領民たちを動かしていた。
それを傍観する元宅ではなかった。
「ゆくぞ」
そう言うと領民たちに続いて城を出た。義光ら和田の郎党も元宅のあとにつづく。
「摩利支天よ我らを守りたまえ」
最初は豪気にかまえていた義光も、小早川隆景と戦うとなるとひどく緊張するのを禁じ得なかった。もしかしたら、自分はこの戦いで死ぬかもしれないのだ。
で、当の元宅といえば、もう死を覚悟している。
(死して摩利支天に導かれんことを)
と念願したほうが合っているのであろうが、さすがに心から念願するのははばかられる。
が、動き出したのだ。どう言えばいいのであろうか、運命と言うべきか、宿命と言うべきか。ともあれ、生死を超えたなにかが動きだし、それは止めることはできなかった。
元宅らは駆けた。馬に鞭をくれひたすらに駆けた。義光らもあとにつづく。
いつしか領民たちの中に飛び込み、間をかき分けていた。
喉から絞り出される叫び声があたりをつつみ、天まで轟いているかのようだ。なのに、義光は自分たちが蚊帳の外にいるような疎外感を覚えてしまった。
これは金子元宅の戦いであり、自分たちは所詮はよそものの見物人でしかないのだ、と。
かと言って、小早川隆景が見逃してくれるという道理はないが……。
元宅の目は前をしっかと見据えていた。領民たちの間をかき分けて駆けて、その先には、小早川隆景の軍勢。
「金子元宅、見参!」
大喝するとともに先頭に躍り出て、先頭の武士に一番槍をくらわした。
おお、というどよめきが起こる。一番槍を果たした元宅らとともに領民らは、真向から小早川隆景の軍勢にぶつかった。
「この首が欲しいであろう、だが我が首は安くないぞ!」
迫りくる毛利武士を薙ぎ倒しながら元宅は叫んだ。同時に血風も吹き荒れた。
「金子の殿様は討たせねえぞ!」
領民らは口々にそう叫びながら相手につかみかかった。しかし玄人の毛利軍に次々と討たれてしまった。それでも、退かなかった。
「あれが元宅殿か……!」
義光ら和田の郎党も隆景の軍勢を相手に懸命に戦っていたが、元宅の奮戦はそれ以上だった。
その強さで名を轟かせた毛利武士を、次々と討ち取ってゆく。普段はおとなしそうな学者のような人が、鬼に憑かれたかというほどに。
領民らもそれに引っ張られて、素人ながらも毛利武士につかみかかり、あるいは噛みついたりまでして、懸命に戦っていた。
それは戦よりも肉弾戦であった。
「こやつら、獣か!」
隆景は思わずうなった。
覚悟はしていたが、これほど凄惨になろうとは。
軍勢は止まらない。しかし、止まらないかわりに、進むたびに血風吹き荒ぶ。まるで石鎚山から吹き下ろす風が血を運んできているかのようだ。
行く先に領民らの屍があふれて、それを踏み越えてゆかねばならぬほどだった。
こんな凄惨な戦は、歴戦の隆景といえども初めてのことだった。
「うむ!」
軍勢を掻き分けてこちらにむかってまっしぐらに突っ込んでくる一団があり、隆景は近習から槍をぶんどり身構える。
「我こそは金子元宅、小早川隆景殿はいずこ!」
「なんと」
まさかとは思ったが、そのまさかだった。領民をこれだけ奮い立たせるだけあり、元宅はやはり勇将であった。下々の者にだけ戦をさせて己は安全なところで休んでいるような者に、誰がついてくるのであろう。
人は、必死の一人についてゆくのだ。
元宅を見据えるや、馬を駆けさせる。「あ、殿!」という声が背後から聞こえたが無視した。
「小早川隆景でござる!」
互いの顔がはっきり見えるところまで近づくとともに、槍を繰り出せば、
「応!」
と元宅はこたえて己の槍で隆景の槍を弾き返す。
それからはひたすらの槍の応酬となった。
「とおう」
「えおう」
と、両者の掛け声が響き渡り槍とともにぶつかりあう。
隆景の家来は慌てて助太刀にゆこうとするが、
「この一騎打ち、何人なりとも邪魔立てならぬ!」
と義光ら和田の郎党が刃を振りかざしながらふたりを囲んで、邪魔者を払いのける。
とはいえ、相手は強豪毛利武士である。和田の郎党らはひとり、またひとりと討たれて。気がつけば義光とあと三人しか残っていなかった。




