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離縁して半年、幸福すぎて振り返る時間がありません  作者: 九葉(くずは)


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第三話 妹の言い分

新しく仕立てた耳飾りを鏡に映し、イレーネは満足げに頷く。義姉が去ってから、三か月余りが経っていた。それでも屋敷の空気は、ずいぶんと楽になっていた。誰かと自分を比べられることもなく、誰の目も気にせず選んだ品を、心置きなく身につけられる。


耳飾りだけではない。ここひと月ほどで、扇も、靴も、寝室の壁紙まで新しくした。先週も、隣国から届いたばかりのレースを、値も見ずに買い求めている。似合うかどうかより、誰よりも早く手に入れたことのほうが、心を満たした。どれも、月々の手当てでは到底足りない額だ。それでも宝石商や仕立屋には「兄が承知している」とだけ伝え、支払いを先延ばしにしてもらってきた。今までは、それで通っていた。


書斎の帳簿はいつも義姉が締めていて、細かい項目まで目を通す者は誰もいない。イレーネが何をどれだけ使おうと、帳尻を合わせるのは義姉の仕事だった。比べられる兄嫁がいる限り、自分の浪費は目立たない染みでしかなかった。


その均衡が崩れたのは、義姉が去ってひと月も経たないうちのことだ。誰も帳簿を締めなくなり、支払いの催促が屋敷に届き始めた。取り立ての使者が三度、玄関先で押し問答をする羽目になり、噂は使用人の口から屋敷じゅうに広がっていく。使用人たちの視線も、心なしか刺々しくなっている気がした。誰も面と向かって何かを言うわけではないが、廊下ですれ違うときの会釈が、心持ち浅くなった。


その日の午後、イレーネはエドヴァルドに書斎へ呼ばれた。机の上には、宝石商や仕立屋からの請求書が何枚も広げられている。壁紙の見積書まで、几帳面に並べられていた。


「イレーネ、これに見覚えは」


エドヴァルドの声は、いつもより低い。イレーネは請求書に目を落とし、すぐに顔を上げた。


「存じません。宝石商や仕立屋が、どこかで間違えたのでは」


とっさに、そう答えた。声が、自分でも分かるほど早口になっている。


「間違いにしては、金額も日付も細かすぎる。お前の名で仕立てさせたものばかりだ」


エドヴァルドは、請求書を一枚ずつ卓に並べていく。すべて、この一月のあいだにイレーネが誂えたものだった。合計すれば、月々の手当ての数か月分に届く。並べられた紙の数だけ、言い逃れの余地が狭まっていく。


「この宝石商への支払いだけで、半年分の手当てに相当する。何に使った」


「お友達との集まりで、少し見栄を張っただけですわ」


軽く笑ってみせたが、エドヴァルドの表情は動かなかった。


「壁紙まで張り替える必要が、本当にあったのか」


「以前のものが、すっかり色褪せておりましたので」


苦し紛れの言い訳だと、自分でも分かっていた。たった数枚の請求書が、こんなにも雄弁なものだとは思わなかった。義姉がいた頃は、こうした支払いの穴も、いつのまにか埋まっている。埋めていたのが誰だったのか、これまで深く考えたことはなかった。


「兄妹だから、多少は目をつぶってきたつもりだった。だが、これは看過できる額ではない」


エドヴァルドの声に、苛立ちが混じり始める。イレーネは、膝の上で指を組み直した。今までなら、涙のひとつも見せれば、この程度の話は流れていた。今日は、様子が違う。


お兄様は、いつもそうだった。ヴィオラの戸棚から首飾りが出てきたと告げたときも、確かめもせず頷いただけだった。あのときの容易さが、まさか自分に向けられる日が来るとは思わなかった。信じられていたのではなく、確かめる手間を惜しまれていただけだったのかもしれない。


「本当のところを聞かせてくれ。あの首飾りは、本当にヴィオラの戸棚にあったのか」


イレーネの背筋が、一瞬だけ強張った。ここで揺れを見せれば、すべてが一本の線で繋がってしまう。宝石商への未払い、仕立屋への言い訳、そして首飾りの一件。線が繋がれば、兄はきっと、自分の言葉のどこまでが本当だったかを、一から数え直すだろう。


「お義姉様のことは、本当に慕っておりましたのよ」


声が上ずった。取り繕う笑みを浮かべたが、頬の筋肉が思うように動かない。


エドヴァルドは、何も言わずにイレーネを見ていた。請求書の束を、静かに机の端へ寄せる。


「調べさせる。今日はもう下がっていい」


それだけ告げられ、書斎を追い出された。廊下を歩くあいだ、膝が笑っていた。それを誰にも気づかれたくない。


自室に戻ってから、イレーネは鏡の前に座り込んだ。耳飾りを外し、化粧箱に戻す手が、思うように動かない。兄の視線が、今日はいつもと違っていた。窃盗の疑いをかけたときの、あの静かな追認とは違う。今度は、自分に向けられた疑いだった。


比べる相手がいなくなれば、自分の浪費は自分ひとりの問題として、そのまま卓の上に並べられる。当たり前だったはずの余裕が、急に足元から崩れていくのを感じた。これから先、誰が自分の代わりに帳尻を合わせてくれるというのか。答えは、ない。


慕っていた、という言葉が、こんなに軽く響いたことはなかった。

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