EP 3
ポポロ村から数キロ離れた、静寂に包まれた夜の森。
そこには、不快な獣の体臭と、安っぽい酒の匂いが立ち込めていた。
「ヒャハハッ! 聞いたかよ。ポポロの村長は、レオンハートから逃げ出した『月兎族』の女だってよ!」
「マジか! 王族が血眼になって探してる極上のタマじゃねぇか。こりゃあ、高く売れるぜぇ!」
下卑た笑い声を上げているのは、数十人からなる獣人族の非正規傭兵部隊だ。
彼らは闘気をまとい、粗末だが使い込まれた武器を手にしている。
本来なら国境警備に当たるはずのならず者たちが、小遣い稼ぎのために緩衝地帯であるこの村に目をつけたのだ。
部隊長である猪耳族の男が、歪んだ笑みを浮かべて指示を出す。
「いいか、野郎ども。狙いは『月見大根』と『太陽芋』の備蓄蔵だ。だが、それだけじゃねぇ。あの村には、月兎族の他にも、シーランの『人魚姫』が住み着いてるらしい」
「人魚姫!? おいおい、ルナミス帝国の貴族どもに売り飛ばせば、遊んで暮らせる金になるぞ!」
「そういうこった。村の男どもは殺せ。だが、女とガキは生け捕りにしろ。女どもは高く売る。あわよくば、俺たちが先に『味見』してやるのも悪くねぇなぁ!」
「「「ヒャッハー!!」」」
欲望に塗れた歓声が、暗い森に響き渡る。
彼らはポポロ村を、ただの無防備な農村だと舐め腐っていた。自警団がルナミス製の魔導ライフルを持っていることなど知る由もない。
いや、仮に知っていたとしても、夜襲で奇襲をかければ一瞬で制圧できると、闘気に溺れた脳で過信していた。
「よォし、月が雲に隠れたら突入だ。一匹たりとも逃がすなよ!」
惨劇の足音が、確かな悪意となってポポロ村へとにじり寄っていた。
* * *
同時刻。ポポロ村、村長宅。
「すぅ……すぅ……お代わり、むにゃむにゃ……」
「にんじん……おいひぃ……」
リビングのソファでは、リーザとキャルルが毛布にくるまり、幸せそうな寝息を立てていた。
美味しいシチューで腹を満たし、完全に無防備な寝顔だ。
そんな二人の寝顔を横目に、俺——リアン・クラインは、キッチンで静かに食器を洗っていた。
蛇口から落ちる水滴の音だけが、部屋に響く。
平和な夜だ。
……表向きは。
スゥ……ッ。
俺の足元の『影』が、不自然に揺らめいた。
ろうそくの火が風に揺れたわけではない。影そのものが意思を持ったように立ち上がり、俺の耳元で何事かを囁いたのだ。
俺の召喚獣(中)、影丸。
索敵と暗殺に特化した、忠実なる影の騎士。
「……そうか。西の森から、ネズミの群れが三〇匹ほど」
影丸からの報告に、俺は皿を拭いていた手を止める。
タオルで水気を拭き取り、静かに、そして冷たく息を吐き出した。
月兎族の拉致。人魚の売買。村の略奪。
影丸が拾い集めてきた敵の会話内容は、一切の同情の余地がない純度100パーセントのゴミだった。
「……せっかくの食後のコーヒーが、不味くなるな」
ガチャリ、と。
俺は空間を開き、『ネット通販』の画面ではなく、別の魔法ポーチに手を入れる。
引きずり出したのは、漆黒のドワーフ製マグナギア。
そして、銃モードと剣モードを切り替えられる凶悪な兵器——『銃口剣』。
「影丸。喰丸も起こせ。……残業(夜の仕事)の時間だ」
俺の足元の影が、喜悦するようにグニャリと歪み、大きく広がった。
昼間の温厚な料理人の顔は、もうない。
あの馬鹿どもは、世界で一番手を出してはいけない村の、踏んではいけない虎の尾を踏んだのだ。
一人残らず、この世界の裏側で『処理』してやる。
俺は影丸の広げた暗黒の影の中へと、音もなく沈み込んでいった。




