EP 12
(サクッ……ホロロッ……)
村長宅のダイニングに、軽快で心地よい音が響き渡っていた。
「はむっ……! んんんんん〜っ!!」
キャルルが目を丸くして、両手で持った三日月型のパン——『クロワッサン』を見つめている。
「外側は羽みたいにサクサクなのに、中はもっちりしていて……噛むたびに、濃厚なバターの香りがお口いっぱいに広がりますぅ!」
「り、リアンさん! これ、本当にパンなんですか!?」
リーザが、こぼれ落ちたクロワッサンの欠片まで愛おしそうに拾い集めながら叫んだ。
「私がルナミス帝国の裏路地で齧っていたパンの耳とは、完全に別の物質です! パンの皮を被った、バターの暴力ですぅぅ!」
「大げさだな。熱いから、カフェオレと一緒に流し込めよ」
俺は、一晩寝かせた生地を何層にも折り重ねて焼き上げた極上のクロワッサンと、たっぷりのミルクを入れたカフェオレをテーブルに追加した。
昨夜、三人の暗殺者を『完全処理』した直後に仕込んでおいたものだ。
暗黒の死闘の成果が、この最高のサクサク感を生み出していると思うと、なかなか感慨深い。
「ん〜っ、甘くて美味しいわぁ。リアンのお料理、世界樹の蜜より好きかもぉ」
ルナがのほほんと微笑みながら、クロワッサンをカフェオレに浸して食べている。
今日もポポロ村の朝は、圧倒的な平和とカロリーに包まれていた。
* * *
その日の午後。
ポポロ村の入り口に、不釣り合いなほど豪奢な馬車が土煙を上げて乗り込んできた。
車体には、ルナミス帝国の紋章。
降りてきたのは、神経質そうなモノクルをかけた痩せ型の貴族と、護衛の騎士たちだった。
「……忌々しい辺境の土の匂いだ。おい、この村の責任者を出せ!」
広場で畑仕事をしていた村人たちが、怯えて後ずさる。
俺はエプロンのまま前に出ようとしたが、それより早く、凛としたヒール(靴)の音が響いた。
「おや、ルナミス帝国の外務局長殿ではありませんか。こんな辺境まで、どのようなご用件で?」
タイトスカートのスーツを完璧に着こなし、片手に優雅なティーカップを持った女性——桜田リベラが、ふわりと微笑みながら歩み出た。
「貴様は……この村の顧問弁護士とかいう女か。ちょうどいい、貴様に問う」
モノクルの貴族が、扇子でリベラを指差した。
「昨夜、我が帝国の『極秘調査員』三名が、この村の周辺で消息を絶った。魔力通信も途絶え、痕跡すら残っていない。……村ぐるみで何か隠蔽しているのではないかね?」
(……なるほど。昨夜の暗殺者の元締めか)
俺は少し離れた場所から、いつでも空間の『マグナギア』を引き抜けるように構えた。
だが、リベラは涼しい顔で紅茶を一口啜っただけだった。
「はて。極秘調査員、ですか? それは奇妙ですね」
「何が奇妙だ!」
「ルナミス帝国、レオンハート獣人王国、アバロン皇国。この三国間不可侵条約の第十二条において、『緩衝地帯であるポポロ村への非公式な武装兵力の投入』は、他二国への明確な【宣戦布告】と見なされるはずですが?」
リベラが眼鏡を押し上げ、レンズの奥で冷たい光を放った。
「つまり局長殿は今、『帝国が条約を破り、宣戦布告の引き金を引いた』と自白されたわけですね? ……よろしい。直ちにアバロン皇国とレオンハート獣人王国へ、国際法廷への提訴と、帝国への軍事制裁の要請を通達いたします」
「なっ……!? ば、馬鹿な! 私はそんな事は言っていない! ただの迷子だ、そう、視察中の迷子だ!」
モノクルの貴族の顔面から、一気に血の気が引いた。
ポポロ村に手を出せば、他二国が「待ってました」とばかりに帝国へ牙を剥く。その地政学的な『火薬庫のスイッチ』を、リベラは的確に、そして無慈悲に押そうとしたのだ。
「詭弁を弄するな、小娘が! 帝国をコケにする気か!」
焦りと屈辱で激昂した護衛の騎士の一人が、リベラに向かって大剣を振りかぶった。
「リベラ!」
俺が動こうとした瞬間。
(スッ……)
リベラはティーカップを一滴もこぼすことなく、流れるような動作で半歩踏み込んだ。
騎士の振り下ろす大剣の軌道を『手首の返し』だけで逸らし、そのまま相手の闘気のベクトルを利用して、胸倉を掴む。
「——『合気道』は、淑女の嗜みですよ」
(ドゴォォォォォォォンッ!!)
重武装の騎士の巨体が、まるで羽虫のように宙を舞い、広場の地面に頭から激突して白目を剥いた。
純粋な物理法則と円の動き。魔法も闘気も使わない、現代日本の武術の洗練された一撃。
「ひっ……!?」
「暴行未遂の現行犯ですね。これ以上の武力行使は、正当防衛として徹底的に『処理』させていただきますが……どうされますか?」
リベラが冷ややかに見下ろすと、モノクルの貴族は腰を抜かし、ガチガチと歯を鳴らした。
「ひぃぃっ! お、覚えておれ! こんな無法地帯、二度と来るか!」
貴族は気絶した騎士を引きずりながら馬車に逃げ込み、逃げるように村から走り去っていった。
それを見送った後、リベラはふぅと息を吐き、俺の方を振り返ってウインクをした。
「……というわけで。法的なもみ消し(正当防衛)は完了よ、リアン君」
「見事なカウンターだ。助かったよ、リベラ」
俺は苦笑しながら、エプロンのポケットから手を抜いた。
力武が経済を回し、リベラが法と外交の盾となる。
そして夜の闇は、俺と優太、SWATの連中が物理的に掃除する。
「ふふっ。その代わり、今日の三時のおやつは期待しているわよ? 私、甘いものには目がないの」
「ああ、任せておけ」
俺は空間に『ネット通販』のウィンドウを展開し、魔石を投入した。
「最高級の『アールグレイ』と、口の中でとろける『特製ガトーショコラ』を出してやる」
「まぁ! 最高ね。……地獄(戦争)なんて、この村には絶対に見せないわ」
リベラが嬉しそうに微笑む。
昼はケーキと紅茶の香りに包まれた、甘く平和なスローライフ。
ルナミス帝国の暗部がどれだけ歯ぎしりしようと、ポポロ村の美味しい日常は、俺たちが完璧な布陣で守り抜く。




