8話(捕虜の交換)
その後。アザニール王都の城門の外、川へ続く大地に両軍の使者が集まっていた。
その中に、将軍ザイールがいた。手枷は外されていたが、周囲にはアザニール兵たちが囲んでいた。
向こう側には、コザイル帝国の兵士が並んでいる。その列の中には、以前の戦いで捕らえられたアザニール兵の姿もあった。
ザイールはそれを見て、すぐに悟った。
「捕虜交換か」
隣に立つ李牧が頷いた。
「はい」
ザイールは少し驚いたような顔をした。
「こちらの捕虜の方が、数が多いようだが?」
「降伏した者は殺さない、と約束しましたから」
ザイールは少しだけ笑った。
「それだけか?」
「それに、兵士は国の財産です」
ザイールは一緒に捕らえられた兵を見た。
帝国兵たちは疲れているだけで皆生きている。
「連れて帰れば、奴らはまた戦うぞ」
李牧は苦笑気味に答えた。
「ええ。ですが、たとえ捕虜であっても彼らには食糧が必要です」
「なるほど」
アザニールの兵の方が、返される数は少ない。しかし帝国兵は多い。
「つまり」
今度はザイールが苦笑する。
「我々を帰す方が、そちらにとって都合がいいわけか」
李牧は否定しなかった。
「だがな、軍師よ。普通このような場合、捕虜は殺されるものだ。戦場に約束などないに等しい」
そう言って、ザイールは笑った。
「その甘さ、覚えておこう」
やがて合図が出た。
両軍の兵が、ゆっくりと互いの陣へ歩き始める。すれ違う捕虜たち。帝国兵は帰り、アザニール兵は王都へ戻ってくる。
ザイールは最後に立ち止まり、李牧を見た。
「軍師」
「はい」
「次に会う時は敵としてだ」
李牧はわずかに微笑んだ。
「ええ。楽しみにしてますよ」
ザイールは黙って頷いた。
そして彼は振り返り、帝国軍の列へと歩き出した。
アザニールの城壁の上では、兵士たちがその様子を静かに見守っていた。
ザイールの背中が、帝国軍の列の中へと消えていく。
城壁の上で、その様子を兵士たちと共に見ていたレイヴァが、すぐに李牧の隣に来て、肩をすくめた。
「ずいぶんあっさり帰したな。敵の将軍なのに」
李牧はしばらく何も言わなかった。
しかし、ついにため息を漏らした。
「……気がかりなのは、そこです」
レイヴァが首を傾げる。
「何がだい?」
李牧は遠くの帝国軍を見つめたあと、天を仰いだ。
「コザイル帝国の皇帝が、ザイール将軍をどう扱うかです」
李牧はぽつりと言った。
「敗軍の将を、許す皇帝であればよいのですがね」
その声には、わずかな憂いが混じっていた。
隣で腕を組んでいたレイヴァが、あっさりと答えた。
「それは大丈夫だろう」
「そうでしょうか」
レイヴァはまたも肩をすくめた。
「奴は皇帝の実の息子だからな」
一瞬、李牧の動きが止まった。
「……え?」
李牧は珍しく、素っ頓狂な声を上げた。
「だから処刑なんてされないさ。あいつ、コザイルの第三皇子だよ」
李牧は目を見開いた。
「ちょっと待ってください。なんでそれを早く教えてくれないんですか」
レイヴァは不思議そうに眉を上げた。
「なんだ、軍師殿のことだからてっきり知っているものだと思っていたよ」
李牧は思わず苦笑した。
「私は神ではありませんよ」
レイヴァはくくっと笑う。
(そんなあんただからさ、きっと神は魂を天界に上げたくなるんだろうな)
「それにさ、奴の名を考えてみりゃわかるだろう。コザイル帝国のザイールだぞ? 大事な国の名から付けたんだ、皇帝がどんだけ奴に期待してたか想像がつくだろう」
それを聞いた李牧は、なんとも情けない顔をした。
「そういうことでしたか」
そう言いながらも、どこか安堵した様子がうかがえた。
城壁の下では、帝国軍の列がゆっくりと遠ざかっていくのが見える。
誰もが、その背中をただ見送っていた。
かつては互いに刃を向け、命を奪い合った相手だが、それでも今は、振り返ることもなく、それぞれの帰るべき場所へと歩いていく。
そこにあるのは、もう勝ち負けなどではなかった。
ただ、生きて帰れるという安堵と、再び刃を交えずに済むことを願う、それだけだった。
李牧は静かに目を細める。
(これでいい)
誰もが救われるわけではない。
戦そのものを、すぐに無くせるわけでもない。
それでも、こうして、刃を交えずに助かった命がある。
今日という一日を、生きて終えられる者たちがいる。
《その積み重ねこそが、いずれ戦を遠ざける》
そんな願いを胸に、李牧は、遠ざかる帝国軍の列を、ただ静かに見つめていた。
その表情は、決して勝者のものではない。
ただ、わずかに安堵した、一人の人間のものだった。




