7話(ザイール将軍の決断)
捕虜となったザイールは、アザニール王城の一室に通されていた。
そこは牢とは少し違っていた。質素だが、将軍としての身分を考慮したような部屋だった。
それがかえって、彼には理解できなかった。
(なぜだ……)
戦いに敗れた将など、普通なら見せしめに処刑される。それが戦というものだ。
足音が近づき、扉が開いた。入ってきたのは李牧だった。
ザイールは李牧を睨みつけた。
「……貴様か」
「ザイール将軍、お怪我は?」
「敗軍の将に心配など無用だ。用件を言え」
李牧は椅子に腰掛けた。
「あなたの軍の話です」
ザイールの目が鋭くなった。
「戦いはまだ終わっていない。これからだ」
李牧は窓の外を見た。
遠くに、帝国軍の陣営が見えている。
「兵力だけを見れば、まだ帝国軍が上です」
その言葉をザイールは鼻で笑った。
「分かっているなら聞くまでもない」
「ですが将軍。あなたも分かっているはずです」
「何をだ」
「この戦は、もう普通の戦ではありません」
しばらく沈黙が続いた後、ザイールはすべてを察したようだった。
「水霊の民のことか」
李牧は黙って頷いた。
「あの川で戦ったからこそ分かる」
あの光景がザイールの脳裏によみがえる。
激流の中から現れる影。彼らの動きは水の流れと一体になっていた。
そして兵の悲鳴が耳に蘇る。
『逃げ場がない! 奴らの動きは人のそれとは違う!』
ザイールはゆっくり息を吐いた。
「まるで川そのものが敵になったようだった」
それでも李牧は黙って聞いていた。
ザイールは窓の外の川を顎で指した。
「この川は、この地方の要だ。交易も軍の移動も、すべてこの川を使う。だから帝国はアザニールを攻めた。全てはこの川を支配するためにな。まったく、何でこの川がアザニールの領土なんだ」
ザイールは諦めたように笑った。
「その上、その川を最も知る水霊の民が、お前たちの側についたというのか」
彼は悔しそうに言った。
「それでは勝てるわけなどないな」
ザイールはゆっくり息を吐いた。
「兵がたとえ十倍いようと関係ないということか。それにしてもあの水霊の女王をよく味方に引き込めたな」
(やはりお前はあの李牧なのか? まさかな)
長い沈黙のあと、ザイールは再び口を開いた。
「兵士は……若者が多い」
李牧はまだ、黙って聞いていた。
「奴らは皇帝の命令で来ただけだ」
ザイールは窓の外を見た。遠くに帝国軍の陣がある。
「若い兵士がこの川で死ぬのを、これ以上見たくはない」
ついに彼は腹を括るように言った。
「軍師」
「はい」
「わしが死んでも戦いは続くだろう。皇帝は別の将軍を立てるだけだ」
「でしょうね」
「だが、わしが生きていれば戦を終わらせることができる……勘違いするなよ、命が惜しくて言っているわけじゃない」
李牧は頷いた。
ザイールは窓の外を見つめたまま言った。
「呼びかけてやろう、降伏しろとな。これ以上若者の命を無駄にはできん。水霊の女王が敵についた戦に、勝ち目などないからな」
そして翌朝。
帝国軍はアザニールの王都の外側を包囲していた。
川で大きな損害を受けたとはいえ、兵力では依然としてアザニールを上回っていた。ただ一つ、逃げ帰った兵からの『敵にはあの水霊の女王が味方についた模様』その言葉だけが脳裏から離れなかった。
副官が、震える声を押し殺して言った。
「あの軍師の罠は恐ろしい。それに『水霊の女王』も。だが、このまま引けば我らに未来はない。残った兵の全てを投じ、王都を強襲する」
別の兵も、後に引けない覚悟で頷いた。
「囲んで持久戦に持ち込めば、勝機はもしや……」
しかし、その時だった。
城壁の上で、何かが動いた。
「あれは確か……」
見張りの兵が目を凝らした。次の瞬間、帝国軍の陣営にざわめきが広がった。
「あれは、将軍なのか?」
城壁の上に立っていたのは、鎧を外したザイールだった。その姿は、一人の将軍というよりも、部下たちの命を背負った一人の父親のようにも見えた。
「ば、馬鹿な……」
「生きておいでだったのか?」
兵たちの間に動揺が走る。
ザイールは城壁の上から、帝国軍を見下ろしていた。その隣には李牧の姿がある。
やがてザイールは、大きく息を吸った。
「コザイル帝国軍、聞け!」
その声は城壁から戦場へと響いた。その瞬間ざわめきが止まる。
「わしは生きている」
兵たちの間にどよめきが広がる。
ザイールの声は低いがはっきりとしていた。
「そして命じる。武器を捨てろ!」
一瞬、戦場が凍りついた。そして副官が叫んだ。
「将軍!? いったい何を」
ザイールはその言葉を遮った。
あの日、副官は遠くに待機させていたからあの川での光景を目にしていない。
だがあの場にいた兵士たちならわかるはずだ。
「この戦は既に終わった!」
城壁の上から、川の方角を指す。
「お前たちは見て、知っているはずだ」
あの、川での戦いを経験した兵士たちは皆、黙った。
「水霊の民だ。奴らはこの川の主だ。その水霊の女王が、完全にアザニールについた」
兵士たちの顔に動揺が走った。
ザイールは大きな声で告げた。
「将軍として断言する。この戦に、もはや勝ち目などない。これ以上命を無駄にするな!」
沈黙が落ちた。
やがて一人の兵が、ゆっくりと剣を捨てた。そしてその金属の音が響く。
まるでそれが合図のようだった。
次々と武器が地面に落ちていく。
帝国軍の陣営は、戦うことなく崩れていった。
城壁の上で、李牧はその光景を見ていた。隣でレイヴァが笑う。
「いやぁ、最後は本当に戦わずに終わらせたね」
(やっぱり、あんたはあの李牧だよ)
川の向こうに広がる帝国軍の陣を見つめながら李牧が言う。
「彼らはある意味、良い将軍に恵まれました。彼の決断がなければさらに無駄な血が流れていたでしょう」
アザニールの戦いは、こうして終わりを迎えた。
一人の軍師の知略と、一人の将軍の決断が、数多くの命を救ったのである。




