6話(補給線を断つ)
川での戦いは瞬く間に片がついたが、その短い時間に起きた光景はあまりに凄惨だった。
激流に流された兵士、矢に射抜かれ倒れる兵士。武器を片手に逃げ惑う兵士。
二千の帝国軍は、その日、壊滅的な打撃を受けた。
しかし、完全に滅んだわけではない。
川岸の森へ逃げ延びた者たちがいた。
そして、その中心にいたのが、将軍ザイールだった。
鎧は泥にまみれ、肩には傷を負っていたが、彼は生き延びた。
それから数日後。
森の中に集められた兵士は、かつての半数近くまで減っていた。
敗北という痛手を負った彼らは口数も少ない。
しかし将軍ザイールは兵士たちを奮い立たせるように口を開いた。
「もう一度、軍を再編する」
それは決意のこもった声だった。
「我々はまだ終わっていない」
そんな中、副官が恐る恐る口を開いた。
「しかし将軍、あの軍師は危険です。再び罠を仕掛けているやもしれません」
他の兵士も口を挟む。
「前回は奇襲も受けました」
ザイールはその言葉を遮った。
「だが今回は違う」
彼は地図を広げた。
「偵察兵を倍に増やす。補給隊にも護衛をつける。同じ罠には二度とかからん」
兵たちは顔を見合わせた。
確かに敗北はした。だがそれでも数だけは、まだ帝国軍が上だった。ザイールは地図の一点を指した。
「アザニール王都まで、あと数日」
その声には、まだ将軍としての威厳が残っていた。
しかし、帝国軍はまだ知らない。
アザニールには今、頼もしい味方がいることを。
水霊の民。そして、その女王レイヴァ。
ーーーー
霧深い道を、コザイル帝国の補給隊がゆっくりと進んでいた。その途中、帝国軍の将軍ザイールは地図を取り出し指差した。
「アザニールへ入るには、やはり前回同様、この大河を渡るしかない」
確かにこの川は広く、流れも速い。しかし、ここが唯一の渡り場だ。ここを越えれば、アザニール王都まで最短で進める。
今回は前回とは違う。全て準備万端だ。
兵士たちは頷いた。
その日、川岸は静まり返っていた。
森にも岩場にも、兵の気配はなかった。
「どうやら、さすがの軍師も今回の進軍は読めてないようだな。まさか我々がまた、こんなにも早く攻めて来ようとは思うまい」
将軍が満足気に笑った。
「進め!」
鎧の音を響かせながら、兵たちは次々と川へ入っていく。
水は膝の高さほどしかない。
重い装備でも問題はなかった。
しかし、川の中央に差しかかったその時だった。
ザァッー!
水面が揺れた。最初に異変に気づいたのは、後方の兵士だった。
「な、なんだ?」
川の流れが急に速くなっていた。いや、違う。
水の中を、何かが動いている。
水面に波紋が広がったかと思うと、音もなく放たれた矢が兵の喉を貫いた。
「ぐあっ!」
一人の兵士が倒れた。
「敵だ! 敵がいるぞ!」
しかし、姿が見えない。どこにもいない。
その時だった。
川の両岸の草むらが、ざわりと一斉に動いた。
水霊の民だった。
腰まで水に浸かり、流木や草に紛れて気配を消していた戦士たちが、一斉に矢を放った。
矢が雨のように降り注ぐ。
「盾を上げろ!」
ザイール将軍が叫ぶ。
しかしすべてが遅かった。
川の中では隊形が組めない。それに盾も構えにくい。そして何より、足が動かない。
「くそっ、戻れ!」
(何故、水霊の民が?……)
水霊の民が川の流れに乗り、後方からも襲いかかってきた。
兵士たちは次々と運んでいた物資を捨て、川へ投げ出した。
その時、ようやく気づいた。ここは渡り場ではない。
処刑場だと。
ーーーー
川の戦いは、一刻もかからず終わった。
攻め込んできた帝国軍は壊滅状態となり、遠くに待機していた兵は逃げ帰り、残りは武器を捨てて降伏した。
川の中央では、なおも一人の男が剣を振るっていた。
帝国軍の将軍ザイールだった。膝まで水に浸かりながら、彼は怒声を上げている。
「怯むな! 盾を上げろ! 隊形を立て直せ!」
しかし、その声に応える兵士は、もはやほとんど残っていなかった。
矢は絶え間なく降り注ぎ、水霊の民は川の流れに乗って、音もなく近づいてくる。
「逃げ場がない! 奴らの動きは人のそれとは違う!」
兵士の悲鳴が川に響く。
やがて、ザイールの周囲にいた最後の兵士も倒れた。
気づけば、彼の周りは水霊の民が取り囲んでいる。
ザイールは歯を食いしばった。それでも剣を握る手が震える。その震えが恐怖なのか怒りなのか、自分でも分からなかった。
目の前の敵は、槍も矢も向けていない。ただ逃げ場を塞いでいるだけだった。
その瞬間、ザイールは悟った。この戦は終わったのだと。
(音もなく近づいてくる水霊の民に、偵察兵を倍に増やしても無駄だったか)
ザイールはため息を吐いた。
そしてゆっくりと、彼の手から剣が滑り落ちた。金属音が水の中に消えていく。
「好きにしろ」
そう言って、ザイールは敵を睨みつけた。
水霊の民は彼に近づき、拘束した。
遠くの丘の上から、その光景を見ている男がいた。
李牧だった。隣には、水霊の女王レイヴァ。
彼女は愉快そうに笑った。
「いやぁ、見事だね。どうだい? 我が水霊の民たちは」
「さすがです。思った以上の働きです」
川では帝国兵が次々と拘束されていく。
李牧はその様子を見ていた。
「川の中では、兵の数など意味をなしません。ただの標的です」
「確かに」
「動けない兵がどれほどいようと、それは数ではなく、味方の足を引っ張る足枷でしかないのです」
レイヴァは肩をすくめた。
「なるほどねぇ。だからあたしたちを味方につけたってわけか」
「水霊の民ほど、この川を知り尽くしている者はいませんから」
レイヴァは満足そうに笑った。
「あんた、本当に面白い男だ」
戦いは終わった。
捕虜となった帝国兵たちは岸へと連れて行かれ、武器を回収されていく。
その中には、将軍ザイールの姿もあった。
「奴の身柄はどうするつもりなんだ?」
レイヴァが問う。
李牧はじっとそれらを見ていた。
「降伏した者は殺しません。たとえそれが将軍であっても」
レイヴァが少し意外そうに見る。
「甘いんじゃないのかい?」
「いいえ。それに、逃げ帰った兵士たちがいます」
李牧は川を見下ろした。
「彼らは必ず報告します。『水霊の女王が敵についた』と」
(そう、それこそが敵に恐怖を与える、今回の戦いの目的でもあった)
川の水は、まだ赤く濁っていた。
「たとえ城を攻め落としても、私は降伏した者は殺しません。だからこそ人は最後に武器を置くのです」
レイヴァはふっと笑った。
「なるほど。怖がらせすぎると、最後まで戦うってわけか。どうせ殺されるならとね」
「ええ」
李牧は遠くを見つめた。
「恐怖だけでは、戦は終わらないのです。僅かでもいい、生き残れるという希望を残さなくてはいけません」
こうして、ついにアザニールは、帝国軍を追い詰めた。
それは、この戦いの流れを決定づける大きな転機となった。




