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《完結》李牧(りぼく)転生する  作者: ヴァンドール


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47話(賈誼の死)

 それから、しばらくして。


 宮廷には、奇妙な空気が流れていた。


 表向きは、匈奴の侵攻も退け、内乱の火種も抑え込まれた。

 誰の目にもうまく収まったと映る結果だった。


 しかし……。


「ほら見たことか」


 誰かが、そう呟いた。


「あの若造の言った通りになったではないか」


 声は小さい。それでも確実に広がっていく。

 賈誼 の言葉は、現実となった。


 匈奴の侵入。

 そして、済北王 の反乱。あまりにも、見事なまでに。

 それが、面白くない者たちがいた。


「若造が、あまりに目立ちすぎる」


「このままでは、あやつが朝廷を牛耳るやもしれぬ」


「陛下のお気に入り、というのも気に食わぬ」


 陰で囁かれる声は、次第に形づけられていく。

 やがてそれは、ひとつの流れとなった。


ーーーー


 数日後。

 玉座の前に、賈誼が呼び出された。


 静かな空間だった。

 そこにいたのは、皇帝ただ一人。


 賈誼は礼をした。


「お呼びでしょうか、陛下」


 皇帝は、しばらく何も言わなかった。

 その沈黙に、すべてが含まれているようだった。


 そして、口を開いた。


「賈誼」


「はい」


「そなたを……地方へ赴任させる」


 その言葉に一瞬、空気が止まった。


 しかし、賈誼の表情は、まったく変わらなかった。


「……左遷、でございますか」


 淡々とした問いかけだった。


 皇帝は、賈誼から目を逸らさなかった。


「ああ」


 短く、ただそう返しただけだった。


 賈誼は、ゆっくりと頭を下げた。


「承知いたしました」


 その声には、恨みも、驚きもなかった。

 ただ、理解だけがあった。


(ああ、そうか、私が正しかったからこそ、邪魔になったのだな)


 そしてもう一つ。彼は誰よりも皇帝の優しさを知っている。


(陛下は……守ろうとしてくれている。自分を。そして、宮廷そのものを)


 賈誼は、心を込めて深く一礼した。


「必ずや、どこにいようとも、私は漢に尽くします」


 その言葉に皇帝は、何も返さなかった。

 ただ、彼を見つめながら心に誓った。


『これは別れではない。お前の才はこの国に不可欠だ。必ず……必ずや時を稼ぎ、お前をこの長安に呼び戻してみせる』


 そして去って行く賈誼のその後ろ姿を黙って見送った。


ーーーー


 それから、月日が流れた。


 賈誼の名は、いつしか都から遠ざかったが、完全に消えることはなかった。


ーーーー


 さらに、時は過ぎた。

 そんなある日。


 再び、賈誼が長安に呼び戻された。その理由はただ一つ。

 皇帝の息子、皇子の教育係として。


 再び皇帝の前に立った賈誼は、静かに頭を下げた。


「……戻ることを許していただき、恐悦至極にございます」


 皇帝は、穏やかにそして優しく言った。


「そなたに息子を任せたい」


 たった一言。それだけだった。だが、その一言で十分だった。


 賈誼は、深く、深く頭を下げた。


「この命に代えても、務めを果たします」


 それは、誓いにも似た言葉だった。


ーーーー


 皇子は、賢い子だった。皆から愛され、よく笑顔を見せた。

 彼は皇帝の四男で、末子であったが、非常に利発で読書を好んだ。そんな息子を皇帝は最も愛した。

 皇子はいつも賈誼の言葉に耳を傾け、その教えをよく理解した。

 たとえ難しい教えであっても、決して投げ出すことはなく、わからぬことがあれば素直に問い、納得するまで考え続ける。


 その姿は、まだ幼い皇子とは思えぬほど落ち着いており、賈誼は教えるたびに、この子の行く末に大きな期待を抱かずにはいられなかった。


 そして何より、時折見せるそのあどけない笑顔は、周囲の者たちの頬を緩めた。


 そんな二人の姿に、宮中にも穏やかな空気が広がっていった。


 皇帝も、どこか安心したように見えた。

 李牧もまた、静かにそれを見守っていた。


(このまま、何事もなければよいが)


 しかし、運命は、時に残酷だった。


ーーーー


 その日、不意の事故が起きてしまった。

 突然、馬が暴れた。その馬は制御を失い、転倒した。


 そして……小さな命が、あっけなく奪われてしまった。


 静まり返る宮中。誰も、言葉を発せなかった。

 その中心にいたのは、賈誼だった。


「……すべては私の、責任です」


 声にならない声だった。


 誰かが言う。


「違う」


 また別の誰かが言う。


「あれは事故だ」


 しかし……。


 賈誼は首を振った。


「私が……目を離してしまった。私が……守ると誓ったのに」


 その瞳は、すでにどこか遠くを見ていた。



 日が経った。しかし、賈誼は変わらなかった。


 食事を取らず。眠らず。ただ、それを繰り返す毎日。いや、食べられず、眠れなかったのだ。

 そして段々と衰弱していった。


「私の責任だ」


 誰が何を言っても、届かない。


 皇帝は、何度も足を運んだ。


「賈誼」


 しかし、その声にも、応じない。


 李牧も、言葉を尽くした。


「賈誼、あなたの責任ではありません」


 それでも、賈誼は、ただ首を振る。


 韓信は、皆に言葉を求めた。


「……どうにもならねえのか」


 そして、ある朝。


 とても静かな朝だった。その日……賈誼は息を引き取った。

 それはまるでその静寂と引き換えにするかのように。



 そして、すぐにその一報が広がった。宮中は、深い沈黙に包まれた。


 皇帝は、長く言葉を発しなかった。やがて、ぽつりと呟く。


「……惜しい男を失った」


 その声は、かすかに震えていた。息子を失い、そしてかけがえのない臣下までをも失った。

 その悲しみは計り知れない。


ーーーー


 李牧は、目を閉じた。


「陛下は、国を救うことはできる。だが、一人の人の心までは救えぬ。……それが、王というものか」


 韓信は、天を仰いだ。


「あの王でも救えねえのか。人間一人の方が、戦よりよほど厄介だな」

 

 そしてぽつりと言った。 


「本当に馬鹿な奴だ」


 しかし、その声は、悲しみを帯びていた。


 そして太后、薄姫。その中に宿る楊端和の魂もまた、悲しみに暮れていた。


(ああ……戦場で死ぬのも辛いが、こういう死に方も、なんて辛いんだ)


 誰もが、それぞれの形で悲しんでいた。


 それは、戦ではない。しかし確かに心を削られていくもう一つの戦いだった。


 この日。漢は一人のかけがえのない天才を失った。

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