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李牧(りぼく)転生する  作者: ヴァンドール


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45/51

45話(賈誼《かぎ》)

 それから暫く経った頃。

 匈奴へは、約束した通りの貢ぎ物が送り続けられた。


 食糧、酒、絹。それ以上でも、それ以下でもない。皇帝は中行説(ちゅうこうえつ)の『もっと寄越せ、さもなくば攻め込むぞ』という執拗な揺さぶりには、決して乗らなかった。


 ただ淡々と、関係を繋ぐための品だけが、匈奴へと運ばれていった。


 そして月日は流れた。


 長安の空は変わらず穏やかで、民の暮らしもまた、確実に豊かになっていった。


 しかし、その裏では、不満は確実に積もっていた。


 ある日。朝廷は、朝からどんよりとした重たい空気に包まれていた。


「陛下」


 一人の官僚が進み出た。


「このままでよろしいのですか」


 その声は、抑えてはいるが、明らかに苛立ちが感じられた。


「匈奴に貢ぎ続け、言われるがまま、これではまるで、我らが下に見られているようではありませんか」


 別の者も声を上げた。


「民の税を減らしながら、匈奴へは財を貢ぐ。このようなことが、いつまで続くのか」


 さらに声が増える。


「陛下は、あまりに」


 一瞬、言葉をためらったが、我慢できずに吐き出した。


「弱腰過ぎます」


 その言葉に一瞬、広間が静まり返った。誰もが息を呑んだ。


 しかし、皇帝劉恒は、怒らなかった。


 ただ黙ってその者を見ていた。


「続けよ」


 その一言に、場の空気が緊張に包まれたが、官僚は意を決して言葉を発した。


「このままでは、いずれ匈奴はさらに要求を強めるでしょう。いずれ戦は避けられぬ。それならば今、備えるべきではないのですか!」


 沈黙が、落ちた。

 そして。


「官僚たちも皆、ずいぶんと溜まっていたようだな」


 韓信が場違いな一言を言ったが、李牧は何も言わず、ただ様子を見ていた。


 その時だった。

 皇帝が、ゆっくりと口を開いた。


「そなたの言うことは、もっともだ」


 ざわめきが起きたが、皇帝は続けた。


「だが、問おう」


 その眼差しが、官僚たちを射抜く。


「戦とは、何だ」


 誰も答えはしない。ただ黙って皇帝を見つめる。


 皇帝は静かに言った。


「金と命を、最も多く消費するものだ。では、聞こう」


 さらに続ける。


「匈奴へ送っている財と、戦をした場合に失う財と命。どちらが多い」


 皆、誰も答えられない。


 そんな中、李牧が一歩前に出た。


「戦になれば、農民は兵となり、畑は荒れ、収穫は減ります。若者は死に、村は疲弊し、税は上げざるを得なくなる」


 韓信が肩をすくめた。


「その上、勝てる保証もないしな」


 皇帝が頷く。


「だが今はどうだ」


 皇帝がゆっくりと広間を見渡した。


「税は軽くした。免除も増やした。農業は盛んになり、民は増え、村は潤っている」


 官僚たちの顔が、わずかに変わった。


「これが、答えだ。私は、すでに示している」


 皇帝は迷いなく言い切った。


 しかし、それでもなお、一人の若い官僚が進み出た。


「ですが!」


 その目は、真っ直ぐだった。


「匈奴を放置するのは危険です。それに……匈奴だけではない、各地にいる皇族たちにも……この国は、火のついた(まき)の上で寝ているようなものだ」


 強い言葉だった。すると広間がざわめいた。


「面白い奴だな」


 韓信が笑った。


 李牧はその男を見て思う。


(若い……だが、彼の考えていることは間違っていない)


 皇帝は、その男をじっと見つめた。


「もっともだ。そなたの言う通り、この国は危うい。匈奴という火種とそして身内の……」


 言い淀みながらもそのまま続けた。


「だからこそ、燃やさぬようにしているのだ。火に油を注げば、どうなる」


 誰も答えない。


「戦とは、そういうものだ」


 若い官僚は、言葉を失った。


 だが、皇帝は、怒らずに聞いた。


「名は何という」


「……」


「申せ」


「…… 賈誼(かぎ)にございます」


(賈誼……いつだったか、呉公が『自分の教え子に、年少ながら非常に優れた才を持つ者がいる』と語っていた。その時に聞いた名だ)


 皇帝は頷いた。


「よい。そのまま、続けよ」

 

 賈誼は己の考えを端的に述べた。


 そして、ざわめきが広がる中、皇帝は言った。


「言いたいことも言えぬなら、いつか限界が来て大爆発してしまう。だから、そうなる前に少しずつ言葉にして吐き出せ。それが結果的に国の平穏を守ることにもつながる」


 李牧が、わずかに目を細めた。


(見事だ……)


「なるほど。これがガス抜きってやつか」


 韓信が呟いた。


 太后薄姫(楊端和)は、その様子を見ながら、心の中で笑った。


(うまいねぇ……。不満を溜めさせず、反乱にさせない。これもまた戦術か)



 そしてその後、皇帝は朝廷での議論において、ベテランの学者たちが答えに詰まる中、 賈誼だけはスラスラと完璧な回答を提示したため、彼をいたく気に入り、わずか1年で『太中大夫』という高官にまで引き上げた。


 それ以来、皇帝は政務の公的な相談はもちろん、私的な悩みについても、何かにつけ賈誼の意見を求めるようになっていく。


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