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李牧(りぼく)転生する  作者: ヴァンドール


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42/48

42話(匈奴の単于)

 その後、一行は匈奴(きょうど)の本営(単于庭(ぜんうてい))へと到着していた。


 各天幕の脇には、数頭ずつの馬が繋がれ、独特の馬の毛で作られた旗が風に靡いている。


 その中心にある、最も大きな天幕の前に立っている男こそが、匈奴の王、老上単于(ろうじょうぜんう)だ。

 (匈奴では王のことを単于という)


 彼は皇女を見るとすぐに笑顔を見せた。


「なかなかよい目をしている」


 その声は低いが、満足をしているのがわかる。


 皇女は丁寧に頭を下げた。

 単于はその様子を見て、口元を緩めた。


「気に入った」


 その一言で、周囲の空気がわずかに緩んだ。


 李牧は内心でほっと息を吐いた。


(まずは一つ、越えましたね)


 隣で韓信が目で合図を送りながら、李牧に耳打ちをした。


「どうやら気に入ったらしいな」


 その後、簡単な宴が開かれた。

 酒が注がれ、肉が振る舞われた。荒々しくも、どこか陽気な雰囲気だ。


 しかし、その中で一人、様子を窺う男がいた。それは中行説(ちゅうこうえつ)


 彼は、気づけば単于の近くにいた。

 そして、深く頭を下げた。


「単于様」


 その声は、これまでとはまるで違っていた。

 低いが従順で、そしてどこか媚びを売る気配。


 単于が目を向けた。


「何だ」


「恐れながら、申し上げます」


 中行説は顔を上げた。


「私は元より漢の宮中に仕えておりました」


「ほう」


「ゆえに、漢の内情、制度、思惑すべてを存じております」


 その言葉に、周囲の空気がわずかに変わる。


「もしお許しいただけるのであれば」


 一歩、踏み込んで真剣な眼差しを向けた。


「これよりの漢とのやり取り、この私にお任せいただきたく」


 単于の目が細められた。


「任せる、だと?」


「はい。私は漢を知りつくしております。だからこそ」


 ほんのわずかに、笑った。


「匈奴にとって、損はないかと」


 沈黙が落ちた。そして。


 単于は、ゆっくりと笑った。


「なかなか面白い男だ」


 その目には、明らかに興味が隠れていた。


「よかろう。話を聞こう」


 その瞬間、中行説の目に、かすかな光が宿った。


 それは忠義などではない。もっと冷たい、何かだった。


 


 一方で、そのやり取りを、少し離れた場所から見ていた者がいた。


 皇女だった。彼女はじっと、その光景を見つめていた。


 その表情は、変わらない。しかしわずかに、何かを疑っていた。


(もしかしてあの方は)


 言葉には出さない。それでも理解はしていた。

 あの男は、もう『漢の者』ではない。そう、『漢を裏切った者』だと。


 そしてそれは、この先の不穏を、はっきりと予感していた。


ーーーー


 帰路の道中、草原を離れ、再び漢の領へと戻る道すがら。

 風は穏やかだった。しかしそんな中、韓信がふと笑った。


「なあ、李牧殿」


「何です」


「面白い話を聞いた」


 韓信は肩をすくめた。


「匈奴の連中が言っていたよ。『お仲間は、随分あっさり裏切るのだな』ってな」


 短い沈黙が落ち、李牧は目を細めた。


「やはり、そうなりましたか」


「気づいてたのか?」


「ええ。中行説(ちゅうこうえつ)、あの男の目は、最初から危うかった」


 韓信は鼻で笑った。


「放っておくのか?」


 李牧は少しだけ空を見上げた。


「いいえ。いずれ、必ず手を打つ必要があります。ただし、今ではない」


 韓信がにやりと笑う。


「なるほどな。悪意を持って向かってきた時に潰すんだな」


 李牧は頷いた。


「ええ。そのためにまずは、よく見ておくことです」


 遠くに、漢の空が見え始めていた。


 今はまだ静かだが、その中にはすでに、次の戦いの火種が眠っていた。

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