4話(水霊の女王レイヴァ)
勝利の翌日。
アザニール王都は歓声に包まれた。と言いたいところだが、実際は王城の一部だけが静かに賑わっていた。
それもそのはず、李牧が次に王に求めたのは祝宴ではなく、各地の情報と地図だったためだ。
「一度勝ったくらいで浮かれている場合ではありませんよ、陛下」
「り、李牧殿、勝利に酔いしれる間もなく、もう次なる一手を考えておられるのですか?」
若き王ソマリオは半ば呆れ、半ば尊敬の眼差しで李牧を見る。
「敵将はまだ諦めていません。小国相手にあの程度で完全に退くはずはありません。言ったでしょう? 敵の二度目の攻勢を迎え撃つ準備をしますと」
(こちらの本当の勝利は、まだ先だ)
李牧はそう思いながら、国境を流れる大河の辺りを指差した。
「今、どうしても味方がほしい場所があります」
「味方? まさか……このアザニール川を支配している《水霊の民》のことですか?」
「ええ」
ソマリオの顔が、急に曇った。
「彼らは昔、先王に河の権利を奪われた恨みで、今でも王国とは関わろうともしません」
「なら、こちらから関わりを持てばいい」
李牧は説明を始めた。
「古い記録によると、彼らには『強き者に従う』という掟があるそうです。つまり、力を示せば協力してくれる可能性があります」
「そ、それを……李牧殿が?」
「ええ。少し挨拶に行ってきますよ」
王は一瞬ためらったが、すぐに真剣な眼差しになった。
「貴方が来てくれて、本当に良かった」
その言葉に、李牧の胸が少し温かくなった。
ーーーー
王都から離れた大河。
濃い霧が広がる川辺を抜けると、川の真ん中に大きな島が見えてきた。
立ち並ぶ見張り台や、水面に浮かぶ舟。そこには川と共に暮らす人々の村が作られていた。
水霊の民。
アザニールでも恐れられる戦士たち。
彼らが舟を操れば風よりも速く、川を渡れば深海のように静か。そう、彼らの動きは素早く、そして音もない。
まさに、水の上を自由自在に駆ける伝説の民たちだった。
そして、その中心に、圧倒的なオーラを放つ人物がいた。
彼女は、一本の巨大な流木の上で、退屈そうに爪を磨いていた。
白銀の髪が風に揺れる。透き通るような白い肌。肩には狼の毛皮。
まるで川の流れがそのまま化身になったかのような、冷たい雰囲気の美しい女性だった。
彼女こそが、水霊の民の女王、レイヴァ。
李牧が近づくと、レイヴァはわずかに口角を上げた。
「河を汚す平地の人間が、何の用だい」
鋭い視線が李牧を貫く。
「お前……ただのひ弱な男には見えないね」
「初めまして。李牧と申します。貴女方に協力をお願いしに参りました」
(李牧……まさか、こいつがあの李牧か? ずいぶん若返ったもんだね。へぇ……神が言ってた通り、向こうから来たってわけか)
レイヴァは流木から軽やかに飛び降り、李牧の顔を覗き込んだ。
「なんだ。王が土下座でもしに来たのかと思ったら、王じゃないのかい」
「ええ。ただの軍師です」
「へぇ……」
レイヴァはじっと李牧を見つめた。
「面白い目をしてる。あんた、この世界の人間じゃないね」
「……」
「まあいいさ。あんたの目は、勝ち方を知ってる者の目だ」
彼女はニヤリと笑った。
「あたしは、そういう男が嫌いじゃない」
「それは光栄です」
李牧は軽く頭を下げた。
「それにしても鋭い直感ですね。私がこの世界の者ではないと感じるとは」
「何をぶつぶつ言ってるんだい」
(ふん。神は、あたしがレイヴァの中にいることを奴に教えていないはずさ。今の李牧は、あたしが楊端和だなんて夢にも思うまい)
レイヴァは腕を組んだ。
「あんた、強い匂いはする。でもね」
その瞬間、彼女の体から獣のような気配が立ち上る。
「あたしより強いと証明できなきゃ、仲間にはしてやらないよ」
「承知しています」
李牧は静かに頷いた。
「力比べ、ということでしょうか」
レイヴァは笑った。
「さすが策士。話が早い」
(あの頃の李牧は、とんでもない軍師だったからね)
レイヴァは指を鳴らす。
「あたしを倒せたら、協力してやる」
その瞬間、川風がざわりと揺れた。
獣のようにしなやかな女王。
対するは、異世界に転生し若返った軍師。
平地最強の軍師と、河を支配する女王が、霧の中で向き合う。
(この者たちを味方につければ、帝国軍は川を渡れない)
李牧は静かに構えた。
「では始めましょう。レイヴァ女王」
レイヴァは愉快そうに笑った。
「ふふ。期待してるよ、異世界の軍師殿」
次の瞬間。二人の気配が、同時に動いた。




