3話(若き王ソマリオ)
いざ、出陣の時を迎える。
城の執務室で、若き王ソマリオは、地図を前に、背筋を伸ばしては丸めたり、落ち着かない様子だった。
「本当に、この三百の兵で、敵の二千を防げるのですか?」
「防ぐのではありませんよ、陛下」
李牧は優しい笑みを浮かべた。
「後退させるのです」
「後退させる?」
「弱い軍が強い相手に勝つための簡単な方法は、地形を使って相手を欺くことです。相手に状況を勘違いさせ、不利な場所へ誘い込む。これが『待ち伏せ』という作戦です」
「ま、待ち伏せ? ですが敵は精鋭です!」
「精鋭ほど、弱い軍を侮って慎重になりません。その思い込みを、利用するのです」
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敵軍が王都へ進むには、アザニール川を渡るしかない。
その川は幅こそ広くないが、流れは早く、両岸は切り立った崖になっていた。
李牧はまず、浅瀬に二百五十の兵を配置し、残る五十を上流へ回す。
「上流からは、合図と同時に、丸太を流します」
兵たちは緊張した面持ちで頷く。
「いいですか。敵が来てもこちらから攻めてはいけません。半数が川に足を踏み入れるまで待つのです」
「半数、ですか?」
「はい。軍というものは、その瞬間こそ、最も油断するものです」
兵たちは一斉に応じた。
その動きは、三日前まで農民も同然だったとは思えぬほど、見事に揃っていた。
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一方、敵軍であるコザイル帝国軍。
「焦る必要はない。我らは二千。相手はたかだか三百の弱兵にすぎん」
ザイール将軍は鼻で笑った。
「この川が王都への最後の一線だ。越えれば我が軍の勝利は決まったも同然」
副官が川を見つめる。
「ですが将軍、この流れは……」
「怯むな。渡れ!」
兵が川へと入っていく。
冷たい水が膝を突き刺し、速い川の流れに足を取られ、隊列が自然と崩れ始める。
その瞬間、鋭い笛の音が響いた。
「敵襲!!」
川岸の岩陰から兵が一斉に現れた。
同時に、上流から丸太が流れ込んだ。
「なっ!?」
激流に流され、兵が次々と体勢を崩していく。
逃げ場のない川の中で、矢が降り注ぐ。
鎧を貫き、肉を裂く音が響いた。
先頭の騎馬が倒れ、後続が折り重なる。
浅瀬は瞬く間に塞がれ、川は赤く染まっていった。
李牧は浅瀬に配置した二百五十のうち、さらに五十をあらかじめ対岸へと渡らせていた。退路を断ち、完全な包囲網を敷くためだ。
木々の間から、その光景を見つめながら李牧が囁く。
『川を渡る軍は、兵ではなくただの標的にすぎません。動けぬ兵は、数ではなく足枷にしかなりません』
そして李牧は不敵に笑う。
『だからこそ、渡りきる前を狙うのです。その列を断つことができるなら、数の差など何の問題でもありません。敵が軍として機能する前に戦を終わらせます』
その言葉が終わると同時に。
対岸の茂みから伏兵(敵を待ち伏せするために隠しておいた兵士)が一斉に姿を現した。
四方から矢が降る。
『……計算通りですね』
李牧は呟く。
『敵は、数に溺れた』
先に渡りきった者、後ろで動けなくなった本隊。その真ん中を断てば、敵はただの『標的』にすぎない。
既に軍としての統率などどこにもなく、それはもはや、混乱に陥った群れでしかなかった。
「全軍、突撃!」
号令とともに、最後に潜んでいた兵が斜面を駆け下りる。これは既に戦ではない。処刑に近かった。
川の流れに足を取られ、死体に足止めされた敵兵たちに、逃げ場はない。
迫る刃が、確実に命を奪い、僅かな時間で叫び声は消えた。
残るのは、絶え間ない川の水音と、勝者の息づかいだけ。
血の匂いが漂う中、李牧は岸に立つ。
地に落ちた敵の旗を見下ろしながら、沈みゆく夕陽を見つめた。
『兵法にはない、新しい戦を私がお教えしましょう』
その横顔に驕りはなかった。
あるのは、すべてをあるべき形に導けた、ほんの少しの満足感だけだった。




