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李牧(りぼく)転生する  作者: ヴァンドール


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37/51

37話(皇女の決意)

 それから数日後。

 皇宮の静かな一室に、数人の人影があった。


 皇帝である劉恒。そして太后の『薄姫』、さらに李牧と韓信。


 そして、もう一人。まだ年若い一人の皇女だった。彼女は太后の遠縁にあたる。


 皇女は静かに座っていた。

 その背筋はまっすぐ伸び、少しも怯えた様子はない。


 皇帝はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと話し始めた。


「そなたを呼んだ理由は、もう聞いているな」


 皇女は静かに頷いた。


「はい、陛下」


 匈奴との表向きは親善。しかし実のところ、貢ぎ物で買った縁。

 皇族の姫を嫁がせ、匈奴と縁を結ぶ。それがこの場の議題だった。


 皇帝はすまなそうに話しかけた。


「……本来なら」


 言葉が詰まる。

 韓信がちらりと李牧を見た。


「本来ならば、私の実の娘を送るべきだが、それができぬ」


 皇帝は正直に話した。


「皇族の血を持つとはいえ、そなたは私の娘ではない。それなのに国のために遠くへ行かせる」


 その声には、はっきりとした辛さが感じられた。


「これは、皇帝としての決断だ。しかし父として考えれば、卑怯なことだ」


 李牧も韓信も黙っていた。


 皇女はしばらく皇帝を見つめていた。


「陛下。それは違います」


 彼女は口を開いた。


 皇帝は顔を上げ、彼女の話に真剣に耳を傾けた。

 

「もし戦になれば、多くの民が死にます。父を失う子も、夫を失う妻も生まれます。それを止めることができるのなら」


 そう言ってほんのわずかに、微笑んだ。


「私一人の人生など、取るに足りないものです」


 皇帝の目が揺れる。


 皇女はさらに言った。


「それに、私は皇族です。国のために生きるのは名誉なことでもあるのです。もし戦にでもなったなら、私の父や母、妹の命だってどうなるのかわかりません。ならば、この選択に後悔はありません」


 その言葉は、驚くほど落ち着いていた。


 韓信が呟いた。


「……大した姫だ」


 李牧も頭を下げた。


「お見事です」


 皇女は少し照れたように笑った。


「そんなに褒めないでください。陛下、どうか迷わないでください。これは、私が望んで行く道です」


 皇帝はしばらく言葉を失っていたが、やがて言葉を発した。


「……すまぬ」


「謝らないでください。私は誇りに思っております」


 その姿を太后は静かに見守っていた。そして太后とは別の魂が、ただただ感心していた。


 その魂とは、かつて水を統べていた『黄河の女王』楊端和の魂だった。


(なるほど。なかなか肝の据わった皇女様だ。濃姫を思い出すな)


 あれほどの決意を持っているとはさすがだ。その上、皇帝を励ましている。


(戦場でも通じる気概だね)


 彼女の口元が緩む。そして今度は李牧を見た。


(李牧殿。あんたのやり方は、やっぱり面白い。刃ではなく人の覚悟で戦を止めるとは、なるほどね、たいした男だよあんたはさ)


 太后(楊端和の魂)はわずかに微笑んだ。

 そして尊敬の眼差しで言った。


「陛下。この姫は立派だ。必ずや匈奴でも敬われるに違いない」


 皇女が少し驚いて太后を見た。


「安心して送り出しなさい」


 太后の言葉は不思議な重みを持っていた。


 皇帝はそれに頷いた。


「……そうですね」


 そして皇女を見た。


「そなたの名は、必ず漢の歴史に残る」


 皇女は少し恥ずかしそうにした。


「そんな大げさなものではありません。ただ、戦が減るなら、それで十分です」


 韓信がぽつりと言った。


「李牧殿。なんだか男の俺たちより覚悟があるな」


 李牧は苦笑した。


「ええ。本当に立派です」


 そして静かに思った。


(これが血を流さない戦い方か)


 その日、一人の皇女が国境より遠い草原へ向かう運命を受け入れた。


 李牧は心の中で思った。


(たった一言『嫁げ』と言えば済む話だ。それなのに、こうして礼を尽くすとは。この王の誠実さが、人を変える力になっていくだろう。ならせめて、この皇女の歩む道に、少しでも救いがありますように)

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