33話(幕間)
白い光の世界。
静寂が広がるその場所に、一人の影が現れた。
「やれやれ……」
現れたのは、かつて『黄河の女王』と呼ばれていた楊端和だった。
彼女は辺りを見回した。
「神よ、いるんだろ?」
「おや? お帰りなさい」
光の奥から神の声が聞こえた。
「帰ったよ。帰ったけどさ、いくら濃姫の中にいるのがあたしだって知らないとはいえさ、さっさと二人で帰るなんて、随分じゃないか」
神は思わず笑った。
「彼ららしいではありませんか」
「まあね」
楊端和は肩をすくめた。
「でもさ、少しぐらい待ってくれてもよかっただろうに」
そしてふと、思い出したように言った。
「それにしてもさ。濃姫、いや、日ノ本の女って、すごいね」
神が興味深そうに問う。
「ほう?」
楊端和は腕を組んだまま話を続けた。
「側室がいるのに怒りもしない。その上、それぞれ役割がある、なんて言ってのけるんだ」
彼女は感心したように笑っている。
「いやあ、まったく驚いたよ。あたしなら絶対、許さないがな」
その言葉を聞き、神は少しだけ考えていた。
そしてゆっくりと語り始めた。
「……もし、 呂雉がそのような女性であったなら」
楊端和が眉を上げた。
「呂雉?」
「ええ」
「彼女は劉邦の妻でした。ですが、夫が亡くなった後、権力を握り、漢の朝廷を呂一族だけで支配しました」
楊端和の瞳が、驚きに変わった。
「その統治は、あまりに残酷でした。自分を脅かした側室の 戚夫人を捕らえると、手足を切り落とし、目をくり抜き、薬で声を奪って便所に投げ捨て……それを『人豚』と呼んで嘲笑ったのです。実の息子である恵帝ですら、その母の所業に絶望し、若くして病に倒れ、亡くなったほどです」
楊端和の瞳は今度は怒りに変わった。
「その後、彼女が亡くなったあと、臣下たちは恐れました。再び呂一族が国を支配するのではないかと」
神は詳しく楊端和に語り続けた。
そこで重臣たちは動いた。
呂一族を排除し、次の皇帝を決める会議が開かれた。そこで選ばれたのが、 劉恒だった。
「彼は後に漢の文帝として語り継がれる人物です」
楊端和が頷く。
「どうしてそいつが選ばれたんだ?」
「理由は二つあります。一つは、人柄。彼は非常に謙虚で、賢明な人物として知られていました。
そしてもう一つは外戚です」
楊端和が首を傾げる。
「外戚?」
「母方の一族のことです」
「臣下たちは恐れていました。再び呂雉のような強い外戚が現れることを。しかし劉恒の母は『薄姫』と呼ばれ、その実家は家格が低く、政治に介入する力もありませんでした」
楊端和が吹き出す。
「なるほど。強すぎる女を避けたってわけか」
なぜ彼女が『薄姫』と呼ばれたのか。
本来、劉邦の側室たちは皆、彼の死後に正妻、呂雉の手で無惨に殺された。
しかし、戦利品として連れて来られた彼女は、一度たりとも劉邦の寵愛を受けることがなかった。
唯一授かった男子に対しても、劉邦は一切の情を向けなかった。
親子は城を追われ、北辺の地、『代』へと追いやられる。そこは、王の暮らしとは名ばかりの、寒風吹きすさぶ貧しい国。彼らはそこで、平民と変わらない生活を余儀なくされた。
皮肉にも、その『忘れ去られた存在』であったことが呂雉の嫉妬から彼らを遠ざけ、唯一、生き延びることができた。
光が揺れた。
「李牧殿と韓信殿は、まさにその時代、その親子の元へと向かいました」
楊端和の目が光った。
「へえ?」
そしてにやりと笑った。
「戦の少ない時代、だっけ?」
「ええ」
「それはなんだか、あたしにはつまらなそうな時代だな」
楊端和はもう一度腕を組んだ。
「神よ。まあ、それでもいい。私もそこへ行かせておくれ」
神は少し黙った。
「……」
「何だいその沈黙は。さすがに続けて三人の転生はまずいか?」
「あなたはすでに魂を浄化し、天へ上がっています。本来ならば転生する必要はありません」
楊端和は笑った。
「退屈なんだよ。それにさ」
彼女は少し真面目な顔をした。
「李牧殿は、あたしの友であり、まだ勝負の決着がついていないのさ。それに何より放っておけない」
神は少し困った顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「分かりました」
楊端和の目が輝く。
「本当か?」
「ただし。貴女は彼らと同じ立場では転生できません」
光が大きく揺れる。
「次の世界での貴女の器は『薄姫』すなわち未来の皇帝、文帝の母です」
楊端和は一瞬黙った。
そして、豪快に笑った。
「ははっ! 面白そうじゃないか」
「ではさっそくですが、行ってください。次の世界へ」
光が広がった。
楊端和の姿が、その中へ消えていく。
神はため息混じりに呟いた。
「さて、三つの魂が再び交わる時、この平和な時代は、どう動くのでしょうか」
光の世界は、再び静寂に包まれた。




