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李牧(りぼく)転生する  作者: ヴァンドール


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30/51

30話(歓声)

 それから。

 城へと近づくにつれ、城門の外に集まった人々から歓声が上がった。


「殿がお戻りになったぞ!」


「義元討ち取り!」


 そして、城中が一気に沸き立った。


 その後、広間には重臣たちが集められた。


 そこへ現れたのは、血と泥で汚れた鎧姿の男。尾張の主、織田信長だった。


 広間は一瞬静まり返った。

 そして、一人の家臣が声を震わせて尋ねた。


「殿……本当に……」


「義元の首はすでに運ばせている」


 信長はあっさりと言った。

 その一言で広間が爆発した。


「おおおっ!」


「まさか……!」


「三万の軍を……!」


 歓声とどよめきが入り乱れる。


 ある者は涙を浮かべ、ある者は拳を握り締めた。


 尾張の小さな国が、駿河の大大名を討った。

 それはまさに奇跡だった。


 しかし、その中でただ一人だけ、静かに座っている女性がいた。


 信長の正室、濃姫だった。

 信長はそれに気づき、口の端を上げた。


「何だ。お前は驚かぬのか」


「殿が勝つと思っておりましたので」


 家臣たちが振り向き、信長は笑った。


「ほう」


「ただ」


「何だ」


「殿は少々、派手すぎます」


 広間に笑いが起きた。

 信長は満足そうに頷くと、突然立ち上がった。


「話は終わりだ」


 家臣たちが顔を見合わせる。


「殿、どちらへ?」


「吉乃のところだ」


 広間が一瞬静まり返る。

 しかし、信長は気にも留めず歩き出した。


「しばらく城を空ける」


 そう言い残し、信長は城を出ていった。


 庭へ出ると、三人の者たちがその後ろ姿を見送っていた。


 李牧。韓信。そして濃姫。

 信長の姿が遠ざかっていく。


「堂々としたものだな」


 韓信が肩をすくめた。


「何の話です?」


 李牧が聞いた。


「側室だろう。吉乃とかいう」


 韓信は答え、そしてチラリと濃姫を見た。


「正室の前で堂々と会いに行くとは。なかなかに酷い男だ」


 濃姫は少しだけ沈黙し、そして、ふっと笑った。


「酷い?」


「普通はそうだろう」


 韓信が答えた。


「いいえ。殿にとって、清須城にいる側室たちは、政のため」


 濃姫は淡々と言っている。


「政?」


「ええ。家を繋ぎ、織田の血を取り引きの道具に使うための」


 濃姫の目には覚悟が滲んで見えた。


「そして、私は殿の同志です。既に父が亡くなった今、美濃との縁は切れましたから」


 濃姫はあくまで表情を崩さない。


「そして生駒吉乃は……殿にとっての癒やし」


 一瞬だけ声が詰まった。


「それぞれ役割というものがあるのです」


 暫くして韓信が苦笑した。


「なるほど。見事なものだ」


 李牧も頷いた。


「殿には、あなたのような方が必要なのでしょう」


「別に日ノ本では珍しいことでもありません」


 その言葉を聞きながら、濃姫の中で、別の声が笑った。


(本当に日ノ本の女は強いな。見事としか言いようがない)


 楊端和は心の中でそう呟いていた。


「奥方のような妻がいたなら殿は安心だ」


 韓信が笑う。


 その言葉に濃姫も微かに笑いながら、彼女はふと何かを思い出したように語り始めた。


「そういえば……美濃からこの尾張へ嫁ぐ際、父、道三から短刀を渡されたのですよ。『信長が真のうつけであったなら、これで刺せ』と。父は私を、織田の内情を探るために送り込んだのです」


 唐突に語られた昔話に、韓信は驚き、李牧は静かにその言葉の重みを理解しようとした。


 濃姫は自嘲気味に笑った。


「あの時、私は父にこう言い返しました。『この短刀が、父上を刺すことになるやもしれませぬ』と」


(ははっ! さすがだね。親を脅して嫁に行くとは、よっぽど気が強かったと見える)


 濃姫の中の楊端和が愉快そうに声を上げた。


「ですが、父の心配は無用だった。知っての通り、殿は、想像をはるかに超える『うつけ』……いいえ、とても普通ではないお方です。三万の軍勢をたった数千で打ち破る男を、どうして刺す必要がありましょう」


 濃姫の表情には、微かな、しかし確かな誇りが感じられた。


 短刀は今や、どこにあるのかもわからないまま、使われることはなかった。


「父の目は正しかった。そして、私の目も。……今はただ、殿がこの乱世をどう変えていくのか。その行く先を、一番近くで見届けたいだけです」


 李牧はその言葉に、前世で自分が抱くことのできなかった『主君への絶対的な信頼』を感じ、思わず胸を打たれていた。


「見事な覚悟です。父すらも敵に回して、ここへ来られた貴女のような『同志』がいてこそ、殿の目指す道は開けるのでしょう。戦を終わらせるのは、決して殿お一人の力ではないのですね」


 韓信もまた、苦笑しながら頷いた。


「なるほど。(まむし)の娘は、親父さんよりよっぽど鋭い牙を持っていたわけだ。全くだ、戦国という世は、男も女も油断がならない」


(ああ、本当に気に入ったよ、あたしの器の濃姫が見る『天下』ってやつを、このあたしも一緒に拝ませてもらうとしようじゃないか)


 楊端和の不敵な笑い声が、どこか遠くで聞こえた。


 



 


 

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