28話(今川義元 動く)
それから、しばらくの時が流れた。
清須城を手に入れたことで、尾張の情勢は大きく変わった。
逆らう者は姿を消し、城には人や物が溢れかえった。
かつては若き城主と侮られていた男、織田信長の名は、尾張の内外で徐々に知られるようになっていた。
しかし、それは同時に、新たな敵を増やしてもいた。
ある日、清須城の広間で軍議が開かれていた。
重臣たちが顔を揃える中、一人の家臣が慌ただしく駆け込んできた。
「申し上げます!」
広間に緊張が走った。
「駿河の大名、今川義元が軍を動かしました!」
周囲からどよめきが起こった。
「何だと?」
「まさか尾張へ?」
家臣たちの声がざわめいた。しかし、使者は続けた。
「すでに三河を抜け、兵は二万とも三万とも言われております!」
広間は一瞬で静まり返った。それは、尾張の兵力をはるかに上回る数だった。
「なるほど。ついに来たか」
信長が落ち着いた声で言った。
「信長様、今川は大軍です。ここは籠城し、援軍を待つべきかと!」
重臣の一人が言った。
しかし信長は首を振る。
「籠もってどうする」
そして笑いながらさも楽しそうに言った。
「せっかく向こうから来てくれるのだ」
家臣たちはその言葉に息を呑んだ。
そして信長が、真向かいに座る二人を見た。
李牧と韓信だった。
「さて。軍師殿、どう戦う?」
信長は楽しそうに尋ねた。
そしてもう一人を見た。
「韓信殿はこの戦どう見る?」
「久しぶりに面白い戦になりそうだ」
しかし、その時、李牧は冷静だった。
「いいえ。これはただの戦ではありません」
広間の視線が一斉に集まった。そして信長の眉がわずかに動いた。
「ほう」
「これは、討ち取るための戦です」
李牧の言葉に広間が凍りついた。
「討ち取るだと?」
信長は面白そうに笑った。
「はい。相手は大軍ですが、今川軍は戦いに来たのではありません」
「ほう」
「勝ちに来ているのです」
家臣の一人が眉をひそめた。
「それの何が違う」
「勝つと思っている軍ほど、油断します」
韓信が笑った。
「なるほどな。そういうことか」
「三万の軍を動かすとなれば、進軍は遅くなります。さらに尾張へ入れば、すぐに戦になるとは考えないでしょう」
李牧は冷静に説明した。
「まずは休憩をとるということか」
信長がすぐに反応をした。
「はい」
それから李牧は地図を指した。
「この辺りで」
そこは低い丘と谷に囲まれた場所だった。
すると韓信が地図を覗き込んだ。
「ここは?」
家臣の一人が顔をしかめた。
「桶狭間です。こんな狭い場所で?」
「だからです。大軍ほど、動きが鈍くなります」
李牧が淡々と答えた。
韓信が腕を組みながらじっと地図を眺めた。
「そこを叩いて、討ち取るということか」
「はい」
李牧は信長を見た。
「沢山の兵は、必要ありません」
「何だと?」
家臣が驚く。
「必要なのは速さです」
それを聞き、韓信の口元が吊り上がった。
「なるほど。久しぶりに将の首を取りに行く戦だ」
家臣の一人が叫んだ。
「馬鹿な! 相手は今川義元だぞ!」
「だからだ」
韓信は肩をすくめながら家臣を睨んだ。
「大将を取れば、戦は終わる!」
信長は黙って聞いていた。そして笑った。
「なるほど。いいだろう」
信長は刀の柄に手を置き見渡した。
「やるぞ!」
家臣たちはざわめいている。
「信長様、本気で?」
「大軍に勝つ方法は一つだ。大将を討つ! さすがだ。気に入った」
信長は振り返り、笑った。
「では準備を」
韓信が笑いながら言う。
「兵の数は?」
信長が聞く。
「二千もあれば」
李牧は信長に淡々と答えた。すると広間が凍りついた。
「に、二千?」
「それだけあれば十分です」
李牧は落ち着いていた。
今度は韓信が面倒くさそうに言う。
「多すぎても邪魔になるだけだ。兵の数で勝負が決まるなら、俺はこの場にはいない」
「よし、なら俺が行く!」
信長が言うと広間が騒然となった。
「なりませぬ!」
しかし、信長は笑っていた。
「面白い戦になりそうだ」
そして李牧と韓信を見てにやりと笑った。
「天下一の大軍を、この手で叩き潰してやろう!」
こうして、尾張のわずかな兵が動き出した。
その先に待つのは、駿河最強の大名、今川義元。
そしてこれこそが後に戦国史を揺るがす戦いとなる。
こうして、後に戦国史に名を残す桶狭間の戦いが今、始まろうとしていた。




