27話(若き領主)
韓信は肩をすくめた。
「せっかく城が落ちたのに、一番の功労者である叔父は家臣に殺された。ずいぶん物騒な国だな」
李牧は目を瞑り、何かを考えていた。
「信長様の命ではありません」
韓信が横目で見る。
「ほう」
「恐れた家臣が勝手に動いたのでしょう。まだ国が固まっていないのです」
韓信は笑った。
「つまり、あの男はまだ大した主じゃないってことか」
李牧は首を振った。
「いいえ」
少し上を見上げてから言った。
「むしろその逆です」
韓信の眉がわずかに上がる。
「この乱世で、あれほど家臣を動かす主は珍しい」
そして真剣な眼差しになった。
「いずれ尾張は、この男の国になります。今はまだ若き城主が領主になったばかりですがね」
韓信は笑った。
「なるほど。面白い」
「この男は戦を恐れていません。ですが、戦そのものを目的にしているわけでもない」
韓信が同意する。
「ああ、そうだったな」
李牧は城を見上げた。
「彼にとって戦はあくまで手段に過ぎない、ということです」
「この国の武将は、皆戦が好きそうだがな」
韓信は鼻で笑った。
「ええ。ですがあの男は違う。常に戦の先を見ています」
韓信は腕を組んだ。
「先、か」
そして楽しそうに口の端を上げた。
「天下を狙う男だろう?」
「そうです。あの男なら、いずれこの天下を取り、戦乱の世を終わらせる礎となるでしょう。
それこそが、我々の使命なのですから」
韓信は笑った。
「違いない」
二人は並んで信長の待つ奥座敷に向かった。
中から声が聞こえる。そこに、無遠慮に韓信が障子を開けた。
部屋の中にいたのは、二人だった。
上座に座るのは、織田信長。
その隣に、座っていたのは正室の濃姫。
信長がちらりとこちらを向いた。
「遠慮という言葉を知らぬのか」
「知ってはいるが、呼ばれたから来たまでだ」
韓信はそう言って、肩をすくめた。
その後ろから、李牧が一礼する。
「失礼いたしました。少し早すぎましたかな」
「別に構わぬ。ちょうど話は終わったところだ」
そう言って、信長は二人を見た。
「今回の清須城の件、見事だった」
それははっきりとした礼だった。
韓信がにやりと笑う。
「内通者がいたから楽勝だ。城門が開くと分かっていれば、戦は半分終わったようなもんだ。俺たちが裏切り者を作るまでもなかったな」
信長は首を振る。
「韓信殿の奇襲と李牧殿が武器庫を真っ先に抑えた機転、それらがあったからこそ、この要塞も一夜で落とせたのだ」
そして韓信が信長を試すように言った。
「信光殿が清須城の元主、信友を自害させたと聞いたが」
それを聞いても、信長の視線は微動だにしない。
(さすがだな。……やはり、この男。底がしれぬ)
濃姫の中の楊端和は心の中で呟いた。
織田信光。
主を裏切り、清須城内に内通し、内側から城門を開いた男。
そして、清須城陥落の後、命を落とした男でもある。
部屋の空気が、わずかに緊張した。
その沈黙を破ったのは濃姫だった。
「信光殿のことなら聞いている。命を落としたとか」
濃姫は微笑んだ。
ふっと視線を信長に向ける。そして、その笑みは、どこか意味深だった。
「殿。これで邪魔者はすべて消えましたね」
韓信が目を細めた。
李牧は黙っている。
信長の表情は変わらない。
濃姫はあくまで淡々と続けた。
「清須を落とした功労者は信光殿。同時にその信光殿がいなくなって、一番都合のよいのは……殿という事実」
部屋が静まり返り、韓信が笑った。
「ずいぶん怖いこと言うな、奥方」
「さすが蝮と呼ばれた男の娘だな」
信長が笑う。
濃姫は肩をすくめた。
「ただの噂話にすぎません」
そして、窓の外の夜を見る。
「もっとも……真実は、誰にもわかりませんが」
もし信光が生きていれば、あの男は、決して侮れない存在だった。
城を落とす知略。兵を動かす力。
どちらも持っていた。
いずれ信長にとって、危険な存在になった可能性は大きい。
しかし、誰一人として聞いていない。
信長が命じた、という話を。
ただ一つ確かなのは、信光が自らの家臣によって、寝込みを襲われ果てたという非情な事実のみ。
濃姫はゆっくり立ち上がり、そして李牧と韓信を見た。
「尾張の夜は、まだまだ騒がしくなるでしょう」
(濃姫、あんたもなかなか食えない女だな。なんだかあたしと同じ匂いがするよ)
楊端和が心の中で囁いた。
そして、信長が静かに笑った。
「まだまだ、こんなものではないぞ」
この後、尾張の一領主に過ぎない若者が、やがて戦国の世を大きく動かすことになる。




