17話(戦い方)
天幕の中が静まり返っていた。
蕭何が言った。
「兵を見せろと?」
韓信は頷いた。
「はい。兵を見ずして戦はできません」
その言葉に、李牧は心の中で思った。
本物の将は、まず兵を見る。数でも名でもない。兵の顔を見る。
張良が口を開いた。
「理由を聞こう」
「兵士の飢えも恐怖も知らない者に、戦の勝ち負けを語ることはできません」
劉邦は腕を組んだまま笑った。
「なるほどな。面白い奴だ」
そして立ち上がった。
「いいだろう。今から見せてやる」
劉邦は言った。
蕭何が驚く。
「今からですか」
「どうせみんな暇だろう?」
そう言って劉邦は天幕を出た。
敗戦の後の陣営。兵たちは疲れ果てて眠っている。
劉邦は歩きながら言った。
「どうだ」
韓信は周囲を見回した。
そこにいたのは、泥だらけで、破れた鎧を身につけた、包帯だらけの兵士たちだった。
「しかし、まだ戦えます」
蕭何が驚く。
「この状態でか?」
「はい。この兵たちは負けたのではありません。ただ、項羽にぶつかっただけです」
その名を口にする。
「誰が戦っても、あの戦は負けます」
劉邦は笑った。
「ははっ、正直なやつだ」
「しかし、戦い方を変えれば勝てます」
その言葉に、李牧の口元がわずかに動いた。
張良も静かに韓信を見ている。
そして劉邦が言った。
「どうやって勝つ?」
「楚は強い。だから正面から戦ってはいけません。まずは楚を消耗させます」
蕭何が聞く。
「消耗させる?」
「食糧を止め、小さな勝利を積み重ね、逃げ場をなくす。最後に包囲すれば勝てる。早い話が弱らせてから仕留めるということです」
その言葉を聞いていた李牧は、ゆっくりと目を閉じた。
(間違いないこの男は天才だ)
しばらく誰も言葉を発しなかった。
やがて、劉邦が口を開いた。
「なるほどな」
腕を組み、韓信を見た。
「楚を消耗させるか。随分と簡単に言うじゃねぇか」
「簡単ではありません。ですが、それしか勝ち方はありません」
蕭何が言った。
「では具体的に聞こう。どうやって消耗させるつもりだ?」
韓信は地面にしゃがみ、小枝を拾い土に線を描いた。
「楚は強い」
そう言いながら山を描く。
「だから平地では戦わない」
次に川を描いた。
「楚はあれだけの大軍ですから、補給路さえ断てれば、そこが致命的な弱点になります。」
韓信は線を伸ばして描いた。
「ここを断つのです」
張良が目を細めた。
「補給を断つ。か」
「そうです。戦わずして削ぎます。楚は勝ち続けている。だから慢心しています。そこを狙い、最後は包囲するのです」
その瞬間。
李牧の胸の奥で、かすかな感覚が走った。
(この形は……)
それは、はるか昔。自分が生きた戦場で使った戦法に近かった。李牧は韓信を見た。
(やはり彼は……)
沈黙の中で、劉邦が笑い出した。
「ははは!」
それも腹を抱えて笑っている。
蕭何が呆れる。
「漢王」
「いいじゃねぇか、お前、面白い。気に入った」
蕭何が言う。
「漢王、それは」
だが劉邦は遮った。
「決めた! お前を将にする」
その場にいた兵たちが息を呑む。ただの兵を、いきなり将にするなど前代未聞だった。
しかし韓信は驚かなかった。ただ静かに言った。
「条件があります」
「条件?」
「将にするなら中途半端はやめてください。疑うなら使わない。使うなら任せる。それが出来ないなら、私はただの兵のままで結構です」
韓信はそう答えた。
その言葉を聞いて、劉邦はしばらく韓信を見ていたが、やがてまた笑った。
「ははっ。いい度胸だ。分かった任せてやる。これからここにいる李と協力し合って俺のことをせいぜい驚かせてくれ。期待してるぞ」
その瞬間だった。
李牧は静かに目を閉じた。
(これでいい)
歴史は、確かに動き始めた。
韓信。いずれ、この男こそが乱世を終わらせる真の主役となる。そう彼こそが漢にとって最大の切り札となるのだ。




