11話(項羽と劉邦)
李牧が次に目覚めた時、そこには兵士たちが倒れていた。
地面には折れた槍。割れた盾。死体は山のように積み重なっていた。
李牧はゆっくりと体を起こした。
(なるほど……)
すぐに悟った。
ここは、神の啓示どおりの世界。
秦が滅びたのちに訪れた動乱の時代。
(つまり私が生きた時代の後の時代ということか)
やがて漢王朝へと続く乱世。楚漢戦争の時代だ。
神は言っていた。
その始まりは彭城の戦いだと。
劉邦が一度は彭城を制圧した。
しかし、それを聞いた項羽が三万の精鋭で引き返し、急襲して奪い返した。
五十六万とも言われた劉邦軍は壊滅。
そして今。
(ここは、まさにその戦場か……)
李牧はすぐ目の前に倒れている若い兵士に目を向けた。
彼はまだ子供だ。槍を握ったまま動かない。
その横を、馬が駆け抜けていく。
「まさしくここは……」
立ち上がった瞬間、理解した。ここは間違いなく戦場だ。遠くで雄叫びが上がっている。
そしてその中心に、一人の男がいる。巨大な槍を振るい、敵を斬り捨てる。
近づく者は、誰もいない。皆が項羽様と呼んでいる。
あれが、項羽か。彼は超名門の出で、天才と言われた男。
項羽は強い。迷いがない。後ろを振り返らない。敵は逃げ惑う。そして、兵士たちは叫ぶ。
「我が君主、万歳!」
しかし、李牧の心に冷たいものが落ちた。
逃げ遅れた兵士が、背中から斬られている。そして武器を捨てた者も、斬りつけられている。
(勝っているのに、なぜまだ斬る?)
戦は既に終わったはずだ。なのに今なお人を斬りつけている。
李牧は目を細めた。
(この男は、自分で全てに決着をつけないと気がすまない人間だ)
強すぎる者は、人を頼らない。自分で決め、自分で進み、自分で斬る。それは確かに早い。
しかし、流れる血があまりに多すぎる。
一方、離れた別の場所から怒鳴り声が聞こえた。
「劉邦様! どうなさいますか!」
「引け! 今は退け!」
彼は迷いなく言った。
兵士たちが慌てて引き上げる。その中心にいるのは劉邦。確か彼は平民の出で、酒と女が大好きだと聞いていた。しかし、人に好かれるカリスマ性だけはずば抜けているとか。
彼は汗だくで、怒鳴り散らしている。
格好は悪い。だが、逃げる判断は早い。彼のひと声で皆、きれいに引いた。
若い兵士が、肩で息をしている。だが彼は生きている。
李牧はその兵士を見た。
さきほど倒れていた少年と、年は変わらない。
(今の撤退で、何人助かった?)
劉邦は部下の進言を聞きながら、苛立った顔で腕を組む。
「くそ……だが、仕方ねぇな」
彼は悔しそうに歯を食いしばる。それでも、退いた。
(自分一人で勝とうとはしていない。必ず勝てると確信するまで待てる男だ)
胸の奥で、声が甦る。
《劉邦を導け》
李牧は思い出しながら笑った。
「なるほどな……。神の言葉はどうやら間違いではなさそうだ」
(つまり無駄な戦いは減らせということだ。だからこそ劉邦を導けと言ったのか)
項羽が勝てば、確かに戦いは早く終わるだろう。
彼は圧倒的に強い。しかし、彼は敵の息の根を止めるまで戦う。
必要のない血までを流してしまう。
劉邦が勝てば、彼は遅い。何故なら彼は仲間の声に耳を貸しながら、迷い、立ち止まるからだ。しかし、その遅さゆえに、生き残る者は多い。
どちらが強いかではない。どちらが、多くを生かすかだ。
確かに戦は早く終わる方がいい。しかし早く終わらせても流れる血が多いならその早さの意味はない。
暫く経った頃。
劉邦は追撃を止め、部下の進言を聞き入れ、陣を固めた。
兵士たちが、ほっと息をついている。
李牧は遠くからそれを見ていた。
(一人、いや、十人か。確かにそれは小さな差だ。だが、戦はその小さな差の積み重ねだ)
空を見上げると灰色の雲。
「私は勝ちたいのではない。減らしたいだけだ。流される血を。恨みを。そして最終的には戦いそのものを」
しかし、この時代はまだ荒れている。強い者がぶつかり合う。
『やれやれ、人間というやつは、いつの世も争いが絶えないらしい。ここがその『楚漢の戦い』の舞台。世に言う楚漢戦争か』
風が吹く。血の匂いは、まだ暫く消えることはない。それでも私は……
李牧は歩き出す。劉邦の陣へと。




