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刺客のこだわり  作者: 実茂 譲
サキの滋味
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葱の羹 六

 旅のあいだ使っていた鍋は便利な鍋だった。

 両端に取っ手があって、底には〈竈いらず〉と呼ばれる、短いが太い脚があったので、火の上に置くだけでいい。官軍に取り上げられ、硯と一緒に戻ってきた。

 これで鶏を煮たし、豚の脂で鯉の切り身を焼いたこともあったし、桃を素焼きにしたらおいしいというのも教えてもらった。

 その鍋に近くの泉で水を四合ほど入れ、塩とひしお、干したシイタケを入れて沸かす。

 あらかじめ切っておいた葱を入れる。大き目なのがおいしい。

 一本線香をつける。葱の羹専用はとっくに使い切って、これはただの線香だ。

 線香が灰になり、風に吹かれて消える。

 さじで湯の味を見て、少し塩を入れる。

 そのまま煮させて、さじ一杯の片栗粉を水に溶いた。これが最後の片栗粉だ。

〈竈いらず〉では泡立つ湯のなかで葱が泡になぶられている。

 葱を救う方法はただひとつ——かき混ぜながら、水に溶いた片栗粉を入れる。

 急ぎ過ぎず、遅すぎず。

 とろみのついた汁のなかで葱はゆっくり泳ぎ始める。

 葱の羹の出来上がりだ。

 草を食べていた馬が鼻を鳴らす。そんなことに使うくらいなら葱を自分にくれればいいのにとでも思っているようだ。

「うまそうなにおいがするな」

 ヒュンガが戻ってきた。

「いま、できた。座って」

「ああ」

 ヒュンガは鍋を挟んで、胡坐をかく。

 木の椀にほのかに甘味を出した葱の羹をたっぷり注ぎ、手渡した。

「ありがとう」

 ヒュンガは木さじですくった葱をふうふうと冷ましている。それを口にする。

「うん。うまい」

「……」

「食べないのか?」

「食欲がない。怖いから。旅が終わる。殺されて。それとも、殺して? わからない。わからないことが怖い。わたしは」

「サキ」

「……」

「お前に礼を言わないといけない」

「羹のお礼ならさっき——」

 ヒュンガは首をふった。

「違う。旅を始めたとき、おれはエンを殺すつもりだった。それが当然だ。そう思っていた。でも、お前と旅をしているうちにおれは本当は何がしたいのか分からなくなってきた。そして、おれはいま、ここにきて、エンに生きてくれと言えた」

 なぜ、わたしはこんなに安心しているのだろう?

 なぜ、ヒュンガがエンを殺さなかったのがうれしい?

 理由はわかっている。

 ヒュンガは、

「生まれ変わった気分だ」

 変わったんだ。わたしみたいに。

 だから、うれしい。

 変わったからこそ、わたしはこうきくことができる。

 ヒュンガ、わたしと——

「その、この旅が終わったわけだが」

「うん」

「王都に帰ったら、新しい家を見つけないとならない」

「うん」

「それで、……葱の羹をつくってくれないか?」

「わかった。片栗粉はないけど、なんとか——」

「いや。おかわりじゃない。その……明日も、明後日も、その先の日も。都に帰ってからも、ずっと」

「それって……」

「すまない。嫌ならいいんだ。忘れてくれ」

「わたしもつくりたい」

「え……」

「でも、葱の羹以外もつくりたい。まだ、つくっていない料理がたくさんある。松の実のおまんじゅう。ヤン太守のカラシ菜炒め。ウナギのお吸い物。ゴマういろう。明日も、明後日も、その先の日も。都に帰ってからも、ずっと」

 体が炭火になったみたいに熱い。

 わたしは間違えた?


 そうではない。

 ヒュンガの潤んだ目を見て、分かった。

 わたしは間違っていなかった。

 かれいの一尾揚げ。山椒玉子。鷹の爪キュウリの漬物。海老の子まぶしの羹。鱒と胡桃のピリ辛炒め。燻製豚の切り身。厚塗りひしおの焼き麦。牛の糸切り麺。

 まだ、ほんの一部。

 ヒュンガがおいしいって言ってくれるものを毎日つくりたい。もっと、もっとたくさん!

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