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刺客のこだわり  作者: 実茂 譲
サキの滋味
48/51

葱の羹 四

 虫の出る季節ではない。

 それでも蚊帳を使うのは何かの信条だろうか。

 とりあえず、この使者をわたしとヒュンガで一日じゅう、見張って分かったことは見た目がグエに似ていることと、口を開けば文句ばかり吐いていたこと。

 いまはいびきをかいている。薬を混ぜて深く眠らせるつもりだったのだけど、自分で馬乳酒を瓶ごと三本も飲んだので、すっかり泥酔していた。

 こんな辺境の騎兵へ遣わされるくらいだから、使者としての位はあまり高くないのだろう。

 誰かを四位に引き上げるのはいろいろしきたりがあって、衣装も決まっている。任命書の入った銀の筒と一緒に、胸に宮殿の平面図を描いたものを縫い付けた紫色の長衣も持っていくことにした。

 顔を隠す覆面をとって広げると、一枚の大きな布になる。盗んだものをこれで包んで荷物にして、窓から飛び降りる。ストッと小さな音を立て、下で待っていたヒュンガの鞍の後ろに着地する。わたしが飛び降りても、馬は驚きもしない。そういう修行をしたのだ。馬ではなくて、わたしが。

「首尾は?」

「上々」

 ヒュンガが馬のお腹を蹴って、宿舎から離れる。路地からは五百銭もらえるはずが三百銭しかもらえなかった酌婦のわめき声がきこえる。光の灯る居酒屋のまわりには職人や農夫、下級役人が集まっていて、塩茹でした獣肉を食べている。お酒は米か馬の乳でつくったものだ。

「ここには本当に葱の羹がないんだな」

「というよりは羹がない。食べたいなら、わたしが作ろうか?」

「それも考えたが」

「が?」

「サキに葱の羹をつくらせるのはもったいない気がする」

「その通り。ヒュンガはわかってる」

「でも、葱の羹は深い料理だ」

「それはわかるけど、ヒュンガは食べ過ぎ」

「そんなに食べていない。一週間に六回くらいしか食べていない」

「食べすぎ」

「むぅ」

 ヒュンガは討論が苦手だ。

 でも、最近、よくしゃべったり、言葉と言葉のあいだに感情が出るようになった。

 わたしもそんなふうに見えていたらいいな。


「なんてこった」

 グエ、もとい、都からの使者は文句を言った。

「お前が余計なことを言ったからだぞ!」

 都の使者に変装するものは先頭を行き、一番槍で敵の砦に斬り込む。だから、自分が使者役をしたいというものが二十人くらい出て、なかなか決まらなかった。そこで、わたしは本物の使者がグエに非常によく似ていると言った。

「似ているってどのくらい?」

「生き別れの兄弟くらい」

「おれには生き別れの兄弟が三人くらいいるけど、みんな似てなかった」

「それ、兄弟じゃなかっただけ」

 グエは馬にまたがって、絵版付きの衣に赤い房飾りがついた平らな帽子をかぶっていて、四位の任官書の入った銀筒を高く掲げている。

 その後ろに三十騎のわたしたちがいる。何年かかけて、コツコツ盗んで貯めた官軍の服を着ている。

 五位の武官の砦は土煉瓦でできていて、古いものだから少し壁がかけていた。四隅に円塔を配していて、弓兵がわたしたちを見下ろしている。その利き腕には何も巻いていない。

 わたしたちはみな黄色い布を巻いている。乱戦になったら、これが目印だ。

 砦の門は水濠を渡す橋にもなっていた。鎖がつないであり、橋の終わり、砦の門の脇に鎖を巻き上げるための機械がある。

 いま、砦の中庭では任官の儀式のことなど、これっぽっちも知らないグエが適当なことを言っているはずだ。

 そろそろ行こう、と騎兵のひとりがうなずいた。

 ヒュンガもうなずき、馬をゆっくり進めた。

 わたしはヒュンガの後ろにくっついて、革の細い包みを手にしている。

 橋には槍を持った番兵がいて、橋のたもと、巻き上げ機のそばには騎兵士官が白い息を吐きながら、手をこすっていた。

 ヒュンガは士官のほうへゆっくりと近づいていった。

 士官の目が後ろにくっつくわたしを見た。

 ヒュンガが手綱をくわえ、剣を抜いた。

 士官が怪訝な顔でたずねた。

「それも儀式か何かなのか?」

 こたえは斬撃で返った。額を割られた士官はよろめき水濠に落ちた。

 わたしは馬の尻から飛び降りて、包みを解いた。金槌と鑿。鑿を巻き上げ機の車輪の脇につけ、金槌で三度叩く。巻き上げ機はこれで動かせない。

 槍を持った番兵が別の騎兵に斬り倒されると、外にいた残りの二十七騎が弓を手に取り、円塔の弓兵へ一斉に射かけた。

 わたしは中庭に駆け込んだ。ふたりの騎兵が首をなくして転がっている。血が砂地に大きな池を作りつつあった。

 怒鳴り声と金属のぶつかる音。

 ヒュンガは手綱をくわえたまま、五位の武官を追っている。

 だが、官軍が次々と邪魔をして、なかなか追いつけないでいた。

 一方、偽使節のグエは三人の兵士に追いかけられていた。

 敵の落とした弓と矢筒を拾った。膠で最低でも五種類の材料をつなぎ合わせたいい弓だ。

 矢羽根のあいだに指を添えるやり方で矢をつがえ、放つ。

 グエに上段から斬りかかる寸前まで来ていた兵士の胸に矢じりが深々と刺さった。

 次にすぐ後ろの兵士の顔を射る。叫び声。後ろへたたらを踏んだ。

 残りひとりはウィチウィルの矢が仕留めた。

 統領の後に偽ゴドンの騎兵が雪崩れ込む。

 砦のなかは偽ゴドン軍の騎兵と官軍の騎兵で乱戦になった。

「ヒュンガ、どこにいるの!」

 官軍たちは制服に惑わされ、同士討ちをするものもいれば、同士命乞いをするものもいた。

 腕に黄色い布を結んでいない兵士がひとり、草葺きの兵舎から出てきた。ひとりは壺から取ったらしい銀貨を握りしめていた。その腕を斬り飛ばしたが、銀貨はこぼれるどころかますます強く握られた。

 兵舎のなかには寝台が並んでいて、煙逃がしの筒の下で炉が焚いてあった。鉄板の上では鉄串に刺された肉が焦げている。

 ウワァッ。

 寝台に隠れていた兵士が斜め下から突き上げてくる。

 逆手持ちの払いで切っ先をそらし、そのまま、押し込むように前へ一歩進むと、刃が首の付け根に刺さる。ひねって、抜くと、血が天井まで飛んだ。

 兵舎から隊舎へ。廊下。喉を切り裂かれたふたりの死体。顔は自分が死んだことに気づいてないように穏やかだ。剣は骨のわずかなあいだに入って、血の道と気道をひと息に切り裂いている。

 ヒュンガだ。

 銀貨がこぼれた部屋の前を通り過ぎ、階段を上ると、踊り場にまた死体。二階。

 手斧を持った男が横に払ってくる。

 貴人に対してひざまずくようにしゃがんで足を甲から刺し貫き、絶叫をあげる喉に向かって立ち上がりつつ掌打。もう一度、手刀を打つと、ぽきっと折れる音がして倒れた。

 廊下には油紙を貼った覗き窓のある扉が並んでいる。

 ひとつずつ蹴り開けた。

 第一の部屋。書卓。竹簡が散らばっている。

 第二の部屋。何もない。

 第三の部屋。書卓。組み立てかけた材木。

 第四の部屋。板で蓋をした酒甕。調理台の影に料理婦。

「ひっ!」

「抵抗しなければ殺さない。五位はどこに?」

「五位さまはあちらに」

 彼女は指を廊下へ差した。

 それに気をとられて、遅れた。

 酒甕が割れて、剣が閃く。

 咄嗟に避けたが、背中から倒れた。

 それでも五位の白い口髭を狙って蹴りを見舞う。

 五位が吹っ飛ぶ。

「きゃははははは!」

 料理婦が笑う。両手を振ると、袖から短剣。

 同業者だ。

 飛び起きようとする。

 刃が閃く。

 腕が熱い。

 剣を投げつける。

 弾かれる。

 両手の短剣を一度にふるう。二刀で斬り、二刀で突き、二刀で払う。まともに食らったらバラバラだ。

 投刀を放つが、体勢が悪い。

 浅い傷をなめ、同業者は狂ったように笑う。

 車輪。調理台の下。

 体でかばうようにして、左の袖のなかの鉄線の滑車をまわす。端を調理台に引っかける。

「きゃはははは!」

 左腕を振った。滑車が鋭く鳴く。鉄線が首に巻きつく。

 調理台を窓へ蹴った。日干し煉瓦の欄干が崩れ、社のかなえくらいの重さのある調理台が外へ落ちる。

 同業が窓へと飛ぶ。足が窓枠に引っかかる。首が飛び、鮮血をふりまきながら落ちていく。

「ぐぁっ!」

 息ができない。

 五位がわたしの首を踏みつけている。

 歯が折れて血だらけの顔。

 わたしの剣を手にしている。

 ふりかぶる。

 ごめんなさい。ヒュンガ。

 わたし——、


 ぎゃあっ!

 叫んだのは五位のほうだった。

 膝から崩れ、両手を投げ出して倒れる。

「――ヒュンガ?」

 違う。

 老婆だ。

 すらっと背筋の伸びた、長い髪をひとつに編んでいる。

 目はヒュンガにそっくりだった。

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