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刺客のこだわり  作者: 実茂 譲
サキの滋味
47/51

葱の羹 三

 偽ゴドンのウィチウィルが支配下に置いている平原には土煉瓦でできた町がいくつかあった。

 駅町と違って、町の中央にあるのは青い陶器をはめ込んだ美しい寺院や神学校だ。

 水にも恵まれ、水門があり、商業も盛んだ。

 瓜、串焼き屋、絨毯、綿入れの外套、祈祷書。

 両替屋はナ国の支配地域で使われている代用貨幣との交換もしていた。

「つまりよ、ナ国とは敵味方の間柄だけど、銭についての慣れ合ってるってことだ」

 グエはわたしたちのお目付け役ということになっていた。

「でも、あんたらが本気になったら、おれ、ぶっ殺されちまうからな。いざ、そのときが来たら、ずらかるからよろしく頼むよ」

「それでいいのか?」

「統領はそれがわかって、おれをあんたたちにつけたんだ。それにあんたらは義士にぶち当たるまで、おれたちの前から消えることはできねえ。違うか?」

「それは間違いない。ところで、ここには葱の羹はないのか?」

「なんだそれ?」

「葱を知らないのか?」

「いや、葱はわかる。アツモノがわからねえ」

 料理についてはわたしが引き受ける。

「羹っていうのは、片栗粉でとろみをつけた熱い汁のことよ」

「わかんねえ。片栗粉ってのはものを揚げるときに使うもんだろ」


 ある朝、まだ日が昇らない暗い時間にわたしたちは目が覚めて、まもなく仮面の歯のあいだから白い息を吐きながら、ウィチウィルが天幕に入ってきた。

「すまない。起こしてしまったかな?」

「気にしないでいい。見てもらいたいものがある」

 見覚えのある平らな漆塗りの箱だ。箱の角に磨いた銅がかぶせてあるのも同じ。

「この箱だが、わたしたちでは使い方、というより組み立て方がわからない」

 ヒュンガがわたしへ視線を流したので、わたしはうなずいて、箱の錠を解いた。

 開けると、狙撃用の弩がバラバラになって、天鵞絨の内張にはめ込まれていた。三十数えるよりもはやく組み立てた。巻き上げ機の爪車と真鍮の望遠鏡を取りつけると、ウィチウィルは感心したように声をあげた。

「これをどこで?」わたしはたずねた。

「以前、官軍騎兵の輜重隊を襲ったときに手に入れた。誰も使い方がわからないからしまっていたのだが、きみたちならわかるかと思ってね」

「これが必要になるようなことが?」

「ああ。偽のゴドンを待ち伏せする」

「あんたたち以外にも偽のゴドンが?」

「もちろん。この平原には大勢の偽のゴドンがいるが、みながまともなわけではない。なかには官軍よりもひどいのがいる。今回はその偽物たちを待ち伏せする。もし、時間が空いていたらきてほしい」

「行ってもいい?」

「おれにたずねるのか? お前が行きたければ行ってもいい。おれにそれを止める権利はない」

「そうじゃなくて、え、と……」

「ああ、そうか。鐙に足が届かないのか」

 そうそう。

「すまないが、ウィチウィル。サキをあんたの馬の後ろに乗せてほしい」

「頼まれた」

 違う!


 むすっとしていたことは認めよう。

 ウィチウィルは平原で見かける鳥や木のことを話したが、わたしはほとんどこたえなかった。こたえたとしても、「ふうん」くらい。

「ヒュンガくんは奥手だね」

「ふうん……え?」

「きみとヒュンガくんが好き合っていることは知っているよ。わかりやすいから」

「べ、別に、そんなことない。ただ、相棒ってだけ」

「そうか。では、ヒュンガくんにそう伝えよう。サキくんはただの相棒としか思っていないから勘違いするなと」

 わたしはウィチウィルの胴にまわしていた手でお腹をつねった。

「すまない。ちょっとからかい過ぎたな。ただ、こんな顔になるまではずいぶん女性を泣かせてきたからわかるのだけど、口に出さず心に秘め、相手を思っているだけでは伝わらない。より大きな価値を得るにはまず価値のあるものを自分から差し出さないといけない」

「価値のあるもの……」

 善の偽ゴドン隊は夜明け頃に待ち伏せ地点に着いた。丘の裏に窪地があり、そこで全員が馬から降りて、十人を馬の面倒に残すと、残り二十人が丘の裾をまわった。

 渇いた豆の草むらが地表を覆っていた。五十尺ほど離れたところにこちらへ角を向けた、緩やかな曲がり道があった。道は奥の南東へと伸びていて、数里先の谷へと消えている。

 ここで待ち伏せを? 遮蔽物がない。岩や木。土地の起伏。

「そこ。気をつけてくれ」

 空の濠があった。濠は道の曲がりに沿って長く掘られていて、弩を手にした偽ゴドン隊の十人がそこに降りた。残り十人は南側に同じように掘られた壕へと降りていく。

 壕の深さは大人の背丈に少し足りないほどで、立ったまま、弩を撃つことができる。だけど、撃たれたほうはどちらから撃たれたのかわからない。

 うまい作戦だ。騎馬民族というと、騎乗で弓を撃つか、甲高い叫び声で相手を威嚇しながら斬り込むくらいかと思っていた。

 ただ、この作戦にはひとつ穴がある。

 わたしが弩を打てない。

 どうして、人の背の低いことをこんなふうに思い知らせるようなことをするのだろうかと少し不満に思う。

 グエが箱を抱えて、ふたつの壕の前で何かを配っている。弩の矢だ。グエはわたしたちの壕で矢を配ると、箱をなかに落とした。

「そいつに乗れば、撃てるだろ?」

 グエはすぐにその場を離れ、つくりものの雑草を縫いつけた布をかぶって、伏せてしまった。この臆病な男は、いつだって、これ以上ないほどの安全を追求する。

 わたしは箱に乗って、藁を入れた袋を置いて、その上に弩を置き、照準鏡を覗き込んだ。

 それから日が昇り、太陽が南中に達した。

 それでも地表は冷えている。

 誰ひとり、愚痴を言うものはない。黙って、弩の照準を道にあわせている。全員が天性の狩人だ。何人かが伸び切った弩の弦を変えた以外に動きはなかった。

 そのとき、南東の谷の出口で砂埃が立った。乳色の煙を背に、五十騎ほどの騎兵があらわれる。照準鏡で見てみた。先頭の騎兵はこの寒いのに上衣を諸肌脱ぎにして、羊毛の帽子をかぶり、槍を掲げていた。見栄でも張っているのだろうか。

「アツカポ神の仮面をつけているのが指揮官だ。わたしが合図したら、撃ってくれ」

 わたしはアツカポ神の仮面の顎の下に狙いをつけた。金色の顎の下から鬚がまばらに伸びていて、赤い狩猟着に垂れていた。悪の偽ゴドンは曲がり道に入ってきた。部下たちも続々とやってくる。みな、略奪品を入れた袋を鞍の左右に振り分けている。いま、偽ゴドンの長はわたしに体の右側を見せている。いま、狙っているのはこめかみだ。

「撃て」

 引き金を絞った。矢はこめかみを貫き、反対側から骨と血が飛び散った。

 ウィチウィルの矢がそれに続き、諸肌脱ぎの騎兵が胸を押さえた。

 わたしは次の矢を込めるために巻き上げ機で弦を引いた。

 そのあいだに壕の味方が引き金を引き絞る。略奪品の袋で身動きが取れない敵兵はなすすべもなく、急所を射抜かれて、落馬する。

 敵は馬首を転じて、逃げようとするが、もうひとつの壕がそこで矢を浴びせる。でたらめの騎射がはるか高い宙を飛んでいく。だが、もう一本の矢がウィチウィルの顔に当たった。仮面が飛び、耳まで達する赤い裂け目があらわれる。断面の肉が艶を持って塞がっていた。

 わたしがその騎兵を撃った。矢が胴を打ち抜き、すぐ後ろの騎兵の手首を砕く。

 最後の騎兵が砂地に落ちて絶命した。ウィチウィルは裂けた口から垂れる唾液を拭きながら、わたしの視線に恥ずかしそうに眉を寄せ、枯れた声を漏らした。

「すごいだろう? 仮面がないと声はこんなふうに不気味なものになるし、口の端からよだれが止まらない」

 グエが持ってきた金の仮面をつけると、ひと心地ついたようにほっと息をもらした。

「ただ、歯は非常に磨きやすい。どんなことにも長所がひとつくらいあるものだ」


 思っているだけではいけない。

 戻ったら言おう。

 戻ったら。

「ヒュンガ」

 寺院の前にいるヒュンガがこっちを向いた。

「話がある」

「ああ。おれもある」

 あれ。ひょっとしたら——。

「駅町のひとつに忍び込むことになった。官軍の五位武官を四位に任命する使者たちが泊まる予定だ。それを盗み、五位の砦へ正門から侵入する」

「わかった」

「それで、そっちの話は?」

「え」

「何か話があると言っていた」

「あ、ああ。この箱」

「ああ」

「これから、その、いろいろなものを取り戻せたらいいな、って。お皿とか寝台とか」

「そうだな。家を見つけて、それから少しずつ」

 ああ、わたしは愚か者だ。

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