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刺客のこだわり  作者: 実茂 譲
サキの滋味
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39/51

線香までこだわった葱の羹 一

 線香。

 料理をする上で、絶対に必要ではないけど、あったほうがいいものだ。

 線香が何秒燃え尽きるか知っておけば、数を数えなくても、煮たり蒸したりする時間を確実に数えることができる。

 わたしは使う派だけど、やろうと思えば、頭のなかに線香をこしらえて燃やすことができる。ただ、少し体調が悪いと、速めに燃え尽きてしまう。魚は煮汁が染みとおり切らず、お肉は半生。線香があるなら、使ったほうがいいのは間違いない。

 カンロホンはナ国第一の港というだけあって、料理用の線香を売るだけの店があり、料理用の線香を売る店だけが並んだ通りもあった。

 煮物用の線香。焼き魚用の線香。葱の羹用の線香。それぞれがニ十本ずつ様々な色の紙を巻かれて店頭に並べてあった。

 これはちょっとこだわり過ぎた。別に普通の線香でいい。

 料理用線香でこの騒ぎなのだから、米や肉を売る通りはもっとすごいものになるはずだ。

 カンロホンはとにかく物があふれている。

 物があふれているということは、それに触れることも許されない貧民も多くいるということだ。


 目抜きの大路では大店(おおだな)が招牌を垂らしている。その分厚く四角い旗が大きくなびき始めると、日陰も大きく動いた。

 勅選文具店の店頭ではクトの硯の競売会があって、千角、千三百角、千九百角、二千角とすごい勢いで値段が上がっていた。

 硯はふたりの傭兵に左右を守られていて、斜めに傾いた黒紅樹材の台の上に乗っていたが、ヒュンガの持っている硯に比べると、模様がきれいではない気がした。

 ヒュンガはあの硯をきちんと持ち歩いている。

「手紙を書く相手はいないが、あの焼き討ちのとき、こいつに命を助けられた」

 現在、競売で七千の値がついている硯にはごく小さいが角がかけている。

 一方、ヒュンガの硯は刺客の剣をもろに受けたにもかかわらず、疵ひとつない。なめらかな表面を見ていると、夜よりも濃い墨をいくらでも擦れそうに思えてきた。


 都市をつくる際、何か特別な工夫がされたのか、お昼が食べたいと思い始めるころ、わたしたちは料亭大路と呼ばれる料理屋の並びを歩いていた。

 ここには逆さの桶に腰かける屋台はなく、五十人の宴会ができる大部屋持ちの酒楼ばかりだ。

 たまには本職の、大店の料理人がつくるもので舌に学ばせるのもいい。

 百世帯分の洗濯物を干せそうな複雑な形をした竹の楼門を構えた二階建ての料理屋があった。

 門をくぐると、すぐに給仕がやってきた。二重の上衣に赤い布を垂らした、世のなかでは〈小粋〉と言われる格好で、広い額は客の注文を百も二百も覚えられるように知恵を詰め込んで、出っ張っている。

「いらっしゃいませえ」

「ふたりだ」

「はい、おふたりでえ」

 紙でつくった鶴が下がる広間が衝立でいくつか区切られていた。そこに用意された席に着くと、額の出っ張った給仕が注文をきいた。

 ヒュンガが葱の羹を頼んだ。これは長く続く。次の昼食はなんとしてもわたしが作らないといけない。

「葱の羹ですか?」

 給仕は困った顔をした。

 葱の羹は庶民の食べ物だ。こういう高級店で注文する人はいない。

 ところが、給仕は奇妙なことを言った。

「すいません、お客さん。片栗粉はあるけど、葱を切らしているんですよ」

 給仕の目が一瞬潤んだ。悲しい涙ではない、嘘の怯みだ。

 ヒュンガは店を軽く見渡した。三つ向こうの卓の蒸した川鱸かわすずきには刻んだ白葱がたっぷりかかっているし、衝立を挟んだ後ろからは炙った葱のにおいがする。

「葱なら、そこいらじゅう、どこでもあるようだが」

「たったいま、切れたんですよ。でも、探せば見つかるかもしれません。一緒に食材庫を探しましょう。さあ」

 奇妙過ぎてイライラする。この広い天下のどこに葱を切らして、それを客にも探させる大店があるのだ。

 それにわたしとヒュンガがついていく途中で、給仕がわたしたちを見る目も、どうも気に食わない。

 食材庫は調理場の裏、何十人という皿洗いたちがいまにも死にそうな顔になって洗い物をする場、そこの階段を降りた先にあって、ひんやりとした石の部屋だ。そこには首のない鴨がぶら下がった桁、活魚を入れた桶、米、酒の瓶がある。どれも絶対に切らさないようにたくさん用意されている。野菜の部屋へ入ると、わたしは本気で怒りそうになった。葱がそこいらじゅうの籠にたっぷり詰まっているのだ。

 わたしたちの格好が金持ちに見えなかったから、こんな馬鹿げたことをするんだと思った。だから、これは言ってやらないといけないと思ったのだけど、

「お客さん、本当に葱の羹ですね? 鴨の羹じゃなくて」

 そうきいてくる給仕にヒュンガが鴨ならどうなんだ?とたずねると、給仕は、虚空を見るような目を向けた。その目はなくなったヒュンガの左腕とわたしの頭上の六尺上を見ていた。

「まあ、いいか。おれがどうなるわけじゃなし」

 給仕は砕けた調子でそう言うと、葱が詰まった大きな籠を真横へ引っぱった。

 そこには分厚い鉄の扉があり、小さな分銅を下げた鎖が垂れていた。給仕はその分銅で扉を三度打った。扉が開くと、南国風の石でつくられた通路があらわれた。

 大柄な男がいた。腰から分銅をつけた鎖が垂れていたけど、こっちの分銅はずっと大きかった。

「おい、そいつらはなんだよ。ここは〈鴨〉じゃないぞ」

 給仕が肩をすくめた。

「いいんだ。本人が〈葱〉だって言ってるんだから」

「なんかの間違いじゃねえの?」

「こんな大店に来て、葱の羹なんて頼むやつがいるか?」

「今日は鎖闘会の日だぞ。こんなガキが戦えるのか?」

「こっちは結構、鍛えてるぜ」

 給仕はヒュンガの、腕がついているほうの肩を叩いた。

「でも、そいつ、左腕がねえじゃねえかよ」

「いいから、連れてけよ。観衆がお待ちだぜ」

「わかった。わかった。でも、旦那からなんか言われたら、お前にケツをまわすからな」

「好きにしろよ」

 赤い砂岩の通路に浅い横穴が開いている。そこから出っ張った鉄の串に蝋燭が突き刺さっている。その灯がこの地下道の乏しい灯だ。

 わたしとヒュンガはなんとなく意味をつかめてきた。全ては簡単な勘違いなのだけど、それをいつ言えばいいのか、少し分からない。前を歩いている男は山みたいな肩を左右にゆすりながら、のろのろと歩いていた。左足の腱をやったみたいな歩き方だった。

「それは足枷だな」

 鎖にぶら下がった分銅と思っていたものは鍵付きの足枷だった。

「ああ。安心しろよ。子ども用もある」

「ここはなんだ?」

「知ってるくせに何言ってるんだよ」

「ああ、そうだったな」

 どうやらヒュンガはこの嘘に乗ることに決めたらしい。ヒュンガと遊戯ができる機会はそうそう来ないので、わたしもそれに乗った。

「それにしても、妹まで連れてくるなんてなあ」大男が言った。紙みたいにガサガサした麻衣に革の帯を締めていて、歩くたびに腰から尖った影が衣に飛び散った。「たぶん五秒ともたずにぶっ殺されちまうぜ」

「そう思うか?」

「ああ。思うね。本当に葱の羹って言ったんだな? 鴨じゃなくて」

「そうだ」

 大男は立ち止まった。目の前には格子扉があり、白い光がバラバラに刻まれて、こちらに差し込んでいた。

 大男は腰を鎖を外すと、その足枷をヒュンガの左足とわたしの右足につけて鍵をかけた。すぐ横には小さな台があり、直剣と小さな盾が置いてあった。

「どっちがどっちを使ってもいい」

 格子戸の向こうからは殺せ!というわめき声がきこえる。

「サキ」

「うん」

「始まったら、すぐにおれの腰につかまれ」

「わかった。盾は捨てていい?」

「ああ。なるべくはやく、得物をとれるようにする」

「わかった」

 格子戸が開くと、わたしたちに降りかかった馬鹿な誤解に向かい合った。

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