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アネモネが華やかに舞いましょう  作者: komado(六種銘菓BOOKS)
アネモネが軽やかに舞いましょう
56/60

◯神の視点は旅についていく

 二人の人物が会話をしている。男と女。「この話」の主要人物だった。

 男の顔を覗き込む。へえ、こんな表情で話していたのか。そう感嘆する。会話の邪魔にならないよう、そっと後ろに回り込む。そうすると今度は、対話相手である女の顔がよく見える。楽しそうに笑っている様子に、こちらまでつられ笑いをしそうだった。だがこちらがつられ笑いをしたとして、二人にはその様子は見えない。まるで幽霊のような気持ち、といえばいいのだろうか。けれど、幽霊よりももっと色んなことができる点は胸を張りたい。何故なら僕は、このシーンのことをよく知らなくてはならないのだから、幽霊のようにふわふわ浮いているだけではいけないのだ。

 どうやら次の行き先について二人で話しているらしい。この男と女も、旅人の端くれ。さて、次はどんな旅を繰り広げてくれるのだろうか。

 僕は気づかれないように男の肩に触れてみる。すると、心の声が聞こえてくる。「ああ、またとんでもないことを考えているんだな、このお嬢さんは。仕方がない、あんなに楽しそうにされていては否定もできまい」と内心思っているのを知ることができる。なるほど、苦労するね。女の肩にも触れておこうかと思ったけれど、立ち止まる。ここで彼女のモノローグを挟んでしまっていいものだろうか。僕は腕を組んで悩み、うなる。ちょっとやめておこう。必要になったら、またこの場に戻ってきて確認すればいい。


 二人が話している場所は、どうにも砂っぽい。遮るものも無いから、こうぺちゃくちゃ喋っていると口の中に砂が入りそうだというのに、二人はもう慣れたといった様子で口元を布で覆ってそれを防いでいた。そうすると、声は聞こえにくい。けれど僕の耳にはクリアに届く。聞き取ろうと集中すれば、どんな会話だって聞き取れる。それに実体がない僕の身体は、砂で汚れることも無い。便利なものだと改めて思う。

 この地に着いて初めての頃は、二人ともこの砂に苦労していた。けれど今じゃ路上にボロボロになった布を敷いてそこに座り込んで話しているのだ。人間なんでも慣れなんだろうと思わされる。だがさすがに飲食はできないらしい。喉が渇いた、と女が言った。ならば移動しましょうか、と男が返した。そうして二人は立ち上がる。僕はついていこうか、迷う。暫く考え、そのまま立ち去る二人の背を見送った。冗長な話は好きではない。このシーンを引き伸ばす理由も他にはないだろう。そう思っての判断だった。

 ただ、思い出したことがあり、慌てて二人の前まで飛び込む。ワープみたいなものだけれど、体に染み付いている動きだからか、予備動作など何もなくそのまま二人の進行方向にはだかるように着地することになった。一瞬バランスを崩してよろけるが、踏みとどまる。

 男の方に近づき、その襟元を確認する。そうか、このときはすでに身につけているんだな。彼のジャケットの襟につけられた、緑色のブローチ。これがあるかどうかを確認しておかなくては、話の辻褄が途中で合わなくなることも考えられる。危なかった。僕は安堵した。

 念のため、そのブローチに指先を触れさせる。すると、とある意志が流れ込んでくる。男のものでも、ましてや女のものでもない、第三の意志。「この街を離れてどこに行くつもりなんだ。この街以外に人が住める場所なんて、もうどこにも残っていないはずなのに――」と、心配になっているのがわかる。困った。この台詞はどこかに入れておきたい。となるともう少し、このシーンの彼らを見守っておく必要があるかもしれない。仕方がない、もう少しだけ、二人――いや、三人についていくことにしよう。

 僕はそうして男の襟元から手を引っ込め、改めて彼らの後ろをついていくことにしたのだった。


***


 ほんの一瞬のことでした。ですが、人形の身体を離れたアネモネが「世界」になる瞬間の力は大きなもので、何もない白い世界にも大きな風が吹きました。マスターは目をつむります。しかしすぐに目を開き、ぐっと手元のパスケースに力を込めます。

「少しです。ほんの少しですよ……アネモネ」

 そうして彼はいつもの喫茶店での姿から、旅人の姿へと見目を変えました。青が鮮やかなケープをはためかせ、その強い風の中で凛と立ちます。その少年姿のマスターがパスケースを振りかざし、外界への扉を作りました。壊れた窓枠のような扉でした。それをくぐり、彼はその場から姿を消します。アネモネの身体である人形は床に残されていますが、ぐったりとし、目を閉じたままです。そこにアネモネはいませんでした。


 アネモネはその一瞬が、気が遠くなるほど長いものに感じられたそうです。強大な力に押しつぶされそうな感覚は、自身の存在が大きすぎる故に生まれた、普段の小さな人形とのギャップからなるものでした。自分自身に押しつぶされるなんて、とアネモネは後に笑います。ですがこのときは、その力にめげそうになり、泣き出しそうになり、けれど涙を流すための身体が無いことを嘆くしかないことを知っていました。

 息を止めるようにぐっとこらえ、その時を待っていました。一瞬のことです。

 壊れた窓枠の扉から、少年姿のマスターが身をひるがえし再び戻ってきました。そうしてから急いで、地面に置かれたアネモネの身体である人形に手元のパスケースをあてがいます。大きな風が吹いたときとは逆に、すべてを吸い込みかねない風穴がそこにあるように、力がぎゅっと集いました。マスターはそれに引きずられないよう足元に力を入れ、そこに確実に彼女が収まるよう、それを見届けねばならないという使命感を持って目を見張っていました。彼にとっては、その時間の方が気が遠くなるほど長いものに感じられたそうです。

 地面が揺れ動くかと思うほどの力が音もなく収まった頃には、マスターは息を切らしながら両手で掲げていたパスケースを側に投げ捨て、元の青年姿に戻ってからぐしゃりと地面に腰をおろしていました。

 そうしてから、彼女の目は再び開かれたのです。アネモネは起き上がり、自分の手を握っては開いてと指先までその感覚を確かめました。そうしてから、マスターがぜえぜえとしている様子を心配して彼の背を撫でました。ですが口から出てきたのは彼の心配よりも先のことでした。アネモネは空を仰いでいました。

「天災とか、起こらなかったかしら」

「……どうでしょうね」

「今ので誰か、大変な目に()っていたりしなかったかしら」

「今、目の前に大変な人物がいるとは思わないわけですか」

「だって、マスターがやるって言ったんでしょう? なら自分のことだもの、仕方ないじゃない。……私は怖かったわ。だって何が起こるかわからなかったんだもの。責任取ってほしいくらい」

「すみませんでした」

 マスターは深く深くため息をつきました。疲労困憊(こんぱい)といった様子ですが、そのため息はいつものアネモネが目の前にいることへの安堵でもありました。恐らく何事もなく、無事に終わったのです。

 アネモネはきょろきょろと辺りを見渡し、特に何も起こっていないことを確認してから、マスターに向かって挙手をします。マスターは無言で指名のハンドサインを示し、アネモネに発言の許可を出しました。

「お店のお留守番、マスターにまかせても大丈夫かしら?」

「ああ、オーナーさんの所でしょう。いいですよ。行ってきてください」

「……ありがとう!」

 彼女はパッと笑い、立ち上がりました。座り込む彼を背にして、自分のパスケースを取り出してカフェアリーヌのいる喫茶店への扉を作ります。丁寧にコンコン、とノックをしますが、返事を待っていられず、そのまま扉を開けて奥に入っていきました。

「カフェアリーヌ、ただいま!」

「あら」

 カフェアリーヌは少々驚いた様子でアネモネを出迎えました。アネモネは勢いよくカフェアリーヌにぎゅっと抱きつきます。そうして、二人は優しくハグをし合いました。アネモネが「ただいま」というほどに、彼女にとって真っ先に帰ってきたい場所がここだったのです。

「アネモネちゃん。昨日お別れをしたはずだけど、もう帰ってこられたの?」

「ええ、日帰りどころか一瞬よ!」

「良かった。なら、心配する必要もなかったみたいね。そう、この時間に来てくれたのだから、『いつもの』を淹れてお茶の時間にしましょうか」

「それを楽しみにしていたのよ! ありがとう!」

こうして、アネモネの日常はあっという間に戻ってきたのでした。

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