◯オルゴールと潮騒(しおさい)と空の旅
「オルゴールをこの世界に初めて持ち込んだ旅人は、」
カフェアリーヌは机の上に乗せた自分のオルゴールを指先でそっとつつきながら、アネモネにそう話し始めました。両手で持たなくてはならない程度の大きさがある、厳かな木箱のオルゴールでした。
「音以上に、その見た目にこだわっていたというわ」
カフェアリーヌが持っているオルゴールはこれ以外にも、ガラス戸の棚にいくつかあります。特にアネモネの気にかかるのは、バレリーナを模した人形の収められたもの。いつか動いているところを見たいと、時折そちらに視線を向けつつも、机の上に広げられた、手近なものの装飾に目をやります。螺旋を描く、貝殻模様が刻まれておりました。
「綺麗で可愛いのがオルゴールよ。もちろん、これみたいにシンプルなのも私は好き。だから限らない話ではあるんだけど、見た目にこだわる気持ちはとってもよくわかるわ」
「聞いて楽しむのも勿論だけど、飾って楽しむものでもあるから。楽しみ方は人それぞれ。旅人にとってのこだわりは、オルゴールを楽しむ人達のこだわりと重なって、良いものになったみたいね」
「そう! だからカフェアリーヌのこのオルゴールにもこだわりがあるはずよ。どんなオルゴールなの?」
尋ねられたことに喜びを感じつつ、カフェアリーヌはそのオルゴールの蓋を開けます。
「ちょっと癖があってね。このオルゴールはゼンマイ式じゃないから、ずっと手を動かしていないといけないし、スピードだってそう。ゆっくり動かせばゆっくりに、早く動かせば早くなる」
実際に手を動かして見せてくれました。ぎゅん、と勢いよく動かしたときのスピードはオルゴールらしからぬもの。ですがそれはもちろんわざとで、直後にカフェアリーヌの手はゆっくりと、愛おしそうな動きになります。片手で支えつつ、レバーを回し続けます。ゆったりとしていながらもピンと張った音色が流れ、アネモネの心にも響きます。カフェアリーヌは軽やかなメロディーに合わせ、ラララ、と声を重ねます。そしてアネモネのまっすぐな目を嬉しそうに見つめていました。アネモネも嬉しそうに耳を傾けました。
曲が一周したところで、カフェアリーヌは手を止めます。
「私のお気に入りよ。海をイメージした曲なの」
「すごくおしゃれね。聞き惚れちゃった。いいなあ。私もオルゴール、小さくていいから欲しくなっちゃったわ。ねえ、どこかで買うのが一番かしら?」
「そのはずね。オルゴールで有名な街ってあるでしょう。私ならそこを案内するわね」
「きっと私も迷子の旅人さんがいたら、そうするはずだわ! そのためには私がまず行ってみなきゃなんだわ。また行きたい所増えちゃった!」
そんな話をしてから、アネモネはカフェアリーヌに、棚に置いてあるバレリーナのオルゴールも見たいとおねだりをするのでした。カフェアリーヌはそれにも快く応じてくれました。ゼンマイを回して奏でられた音色は、先程のオルゴールよりも少しぎこちなかったものの、バレリーナの人形の動きはなめらかでアネモネの目を引きつけて離しませんでした。
実際に動いているところを目にして満足したアネモネは、帰ってからその話をロアに聞かせます。
「バレリーナがくるくる回って凄く可愛かったのよ。でも曲が好きなのは、カフェアリーヌも口ずさんでた海の曲の方! 綺麗な旋律。ピンと弾ける音が泡のようですごく素敵だったし、お気に入りになるのもわかるわ。今度また聞かせてもらいたいなって思っちゃったの」
「それは良かった」
そう返事をしたロアは若干の上の空で、アネモネはどうしたことだろうと彼女の顔を覗き込みました。体調が悪いなどではないようです。心配そうにするアネモネに気づき、ロアは訳を話しました。
「ああ。いやね、海の曲は色々あるんだろう。どんな曲だろうかと思っただけ」
「あ……そっか、海といえばロアだわ。うーん、今歌って聞かせられるほど何度も聞いたわけじゃないから……再現できないわ。ロアも今度カフェアリーヌのお店に一緒に行きましょう。そのときに聞かせて貰えばいいんだわ!」
「そうだな。それがいい」
「ひとくくりにしちゃったけど、海の曲。色々あるはずよね。ロアはどんな曲を知ってるの?」
「……ほとんど知らないと思って後悔したところ」
「あら、まあ」
ロアは少し気を落としたようでした。無知を恥じる、というよりも、残念がっているのです。なので、上げた顔にあるのは意を決したような眼差しでした。
「私も、海の全てを知っているわけではない。満足はしていないが、まだまだこれからというもの。知らないことは知る努力をせねばならないし、知っていることは人に伝えねばならない。だからこの間も少し、でかけてきた」
そう言ってロアはカウンターから出てきて、椅子に置いてあったリュックから取り出した「それ」をアネモネに手渡してくれました。
「貝殻! 大きい!」
小さなアネモネにとっては、ロアにとっての片手サイズもとても大きな物。両手で貝殻をそっと持ち上げます。思わぬお土産に、嬉しそうにしました。ロアはそれに満足しつつ、補足します。
「砂浜では、なかなかこの大きさの巻き貝は入手できないのだが、土産物屋では比較的簡単に手に入る」
「え、落ちてたわけじゃないの? なんだあ、拾ってきた物なら私も取りに行きたいっておねだりしたのに」
「取りに行く、か。それもいいが、そうはいっても、海辺は人の多いところだってある。観光なら人目になるべくつかない所、というのがマスターとの約束では」
「プロミネンスルビーを着ていけば、人の多いところだってへっちゃらよ! 中央都市みたいに、多すぎるのは困るけれど……」
以前訪ねた人の多い街のことを思い出し、アネモネはわずかに尻込みしました。海の近くにもそれだけの人がいるのでしょうか。ロアはうなりつつ、人の多さではなくもう一つの方にその理由の焦点を当てました。
「かといって海辺は難しいのでは。濡れるわけにはいくまい」
「やっぱり? そこなのよね……雨でさえ大変なんだもの」
アネモネは肩を落としてうなだれました。海は憧れる場所の一つですが、彼女にとって行くのが難しい場所のようです。人形の身体は木でできたもの。水にはとことん弱いのです。
アネモネは、せめて雰囲気だけでも楽しみたいと、貝殻に耳を当てました。波の音が聞こえるはずです。ただ、耳をすませるものの上手に聞き取れないらしく、しかめっ面をしました。
「風情が出ないわね」
「波音が聞きたいのか」
「そりゃあ、こんな貝殻見ちゃったら、ね? 耳も当てたくなるじゃない。波音に限らないわ。こんな貝殻から綺麗な音楽が聞こえてきたら、それもとってもロマンチックじゃない? 貝殻の形のオルゴールだって素敵だと思うわ」
「たしかに。だが相場は耳を当てれば波音がするというもの。ただ、貝殻から聞こえる波音と本物とでは大きく違う」
「そうなの?」
実際の海をまだ見たことがないアネモネは、きょとんとしながらロアの目を見つめました。ロアもそれに気づいています。ですので、少しだけ考えました。
「遠くから。それこそ波に触れない程度の距離ならば、行っても大丈夫だろうか」
「え? それ、連れてってくれるってこと? 海に行けるの?」
「……穴場がある」
ロアは、この世界の海を勉強しているところです。幸いにも、人が少なく、なおかつ海との距離が近い街のことを知っていました。二人はこっそりと、マスターには内緒で、そんな穴場に行く計画を立てることにしました。
***
「海だわ!」
アネモネとロアの二人がやってきたのは、とある海の近くに建っている、ボロボロの小屋。昔は海の家として使われていたそれは、今では誰でも入れるようになっている、ちょっとした隠れ家的な場所でした。この小屋の範囲内であれば、波打ち際から水しぶきが飛んでくる心配もありません。アネモネはバルコニーに出て海の空気を吸います。お店から持参した踏み台を使って背丈を増してから、手すりに手をかけてその向こうを眺めました。
「すごい。潮の香りってこんな香りなのね。コロンの香りと全然違うわ! それに音も、ロアの言うとおりだわ」
驚きつつ、目を閉じて耳をそばだてました。風が奥まで吹き抜け、波音をアネモネ達の元まで届けてくれます。
「大きい」
その呟きは波音のことでもあり、海そのものでもある言葉でした。そばに近づけないのはもどかしいものですが、バルコニーから見える景色だけでも、絵や写真とは全く違う感じ方ができます。緑にも近い青い色が眼前いっぱいに広がっています。アネモネは肌で感じる海の大きさを、目いっぱいに受け止めていました。
波音に紛れ、ロアが床を踏むキイという音が後ろから聞こえます。アネモネも、踏み台越しに自分の足元にぐっと力をいれると、同じような音が鳴るのを確かめます。彼女は逆にそれを楽しんでいました。ロアがアネモネの横に並び、海を眺めます。アネモネもそれに気づき、微笑みます。
「連れてきてくれてありがとう、ロア」
「このぐらいは容易い。思いつくのに時間がかかっただけ。問題ない」
二人はしばらく何も言わず、波の動きを見つめていました。手をうんと伸ばしても届きそうにない距離ではありますが、波が寄せては返す動きを見つめます。それがずっと先の水平線と繋がっていることに、実感を持てないながらもアネモネは心を寄せていました。ただ想像するだけではわからないことを、今日この場で知ったのです。
しばらくの無言の後、ロアが静かに視界の隅の方を指さしました。
「あそこに白い塔があるだろう」
「あののっぽな建物? 遠すぎるからかしら、石碑か何かかと思っちゃったわ」
ロアはそちらをじっと見つめながら話します。アネモネもそちらを同じように見つめます。
「あそこに毎日足繁く通う女がいる。一人の船漕ぎを毎日待っている。ただ、ずっと一人きりだという。彼女以外にあそこを訪れる者はいない」
「どうして一人で待っているのかしら」
「それは――」
「待って、言わないで頂戴。そのお話ね、なんだか想像するだけでドキドキするの。この海でどんな理由を胸に秘めているのかしら――って。そのままにしておきたいわ」
アネモネは両手を胸に当て、白い塔とそこにいるはずの女性に思いを馳せます。石碑に見えるほど遠い距離ですが、海の中に建っているようにも見えるその塔に、アネモネの気持ちと視線はまっすぐに向かっています。その様子に、意外だという気持ちでロアは感想をこぼします。
「何でも知りたいというわけでは無いのだな」
「無粋なことなら聞きたくないじゃない?」
「粋な方が良いと、成程。そのこだわりは尊敬する。大切にしてほしい」
「ふふ、ありがとう! 大事にするわ。……その女の人にも、大切にしたいものがきっとあるんだわ。ずっと大事に、大切にしてもらいたいわね」
アネモネはにっこりと笑いました。
ロアは手すりに腕を乗せ頬杖をつくようにして、アネモネと同じように塔を見つめたり、波音をじっと聞いたりしていましたが、しばらくしてから思いついたように提案します。
「今度は、孤島の洞窟にでも散策に行こう。モルフォ蝶の大群が住んでいる。海の真ん中にあるので懸念していたが、この感じならきっと大丈夫だろう」
「ホント? それすっごく楽しみだわ!」
海から目を離さずに二人の会話は交わされました。青いきらめきから目を離すことができなかったのです。今後の楽しみをひとつ新しく作って、二人は飽きるまで、そして帰りの時間になるまで、海を見つめていました。
帰宅した二人は改めて、マスターには今回のお出かけのことは内緒である旨を確認し合いました。お土産も特にはありません。時間にしても、本当に僅かな間のお出かけでした。ただ初めての海が忘れられない一方で、アネモネは海の曲のオルゴールのことも忘れられないらしく、マスターにもロアにしたのと同じ話を聞かせました。マスターは二人がでかけたことには気づかず、その話を聞いていました。そのときにアネモネが、ロアが海の曲をあまり知らないことにも触れると、マスターは、
「何でも知れるコンパスがあるのに、か。どうしたものかな」
とぼやきました。
コーヒーを片手に、さしたことではないという風にマスターは口を開きます。
「ただまあ、何も海にこだわらなくても。音楽を知りたいのなら色んな方法もある。第一、もしアネモネが大地で、ロアが海とするなら、空の存在がいなくてはアンバランスだろう。だが別に、ここには僕らしかいない」
「空……!」
うっかりとでも言うべきなのか、マスターが何となしに発したその言葉に、アネモネは勢いよく飛びつきました。カウンターの奥に向かって身を乗り出します。
「空にも人がいるの? 旅人が旅をしているの? ねえマスター! 私も知りたい!」
「…………落ち着きなさい」
興奮するアネモネを後目に、ロアがぽつり、思い出したかのように言いました。
「空ならばたしか、キャプテン・クリエは空賊だったはずだ」
それを聞いたマスターは「なぜ知っている」という顔をした後に、舌打ちをするような表情でロアを軽くにらみました。
「コンパスを使ったな、ロア。使いどころを間違えていないか。勝手にあれこれ詮索されては困る」
「とはいえ、隠すことでもあるまいて」
「キャプテン・クリエって誰? またこのお店に誰か来るの?」
アネモネの質問にロアとマスターは黙って視線をぶつけ合いますが、マスターが手を顔の前で振りつつ話そうとしないので、ロアが代わりに答えました。
「話の流れに沿って推測すれば容易くわかる。空の存在だ。此処に来てほしいのは山々なのだがね、彼女は空で船を乗り回している日々でどこにいるともわからない。難しい奴なんだ」
「そうなの……。でも、空を知っている人がいるのね! いつかお話、聞いてみたいわ」
「今すぐは無理だろうが、いつかなら奴も喜んで話すだろう」
「ロアは知っている風に話すのね。会ったことがあるの? なにかお喋りしたこと、ある?」
「私はない。あくまで羅針盤を使っただけ。だがマスターなら幾らか話したこともあるはず。彼の中に残る力を分け与えた人材なのだから。そうだろう?」
「間違いではないが……ここにいない誰かさんの話をしてもしょうがない」
マスターは興奮しているアネモネを制します。手でストップのサインを出しました。
「アネモネ、私から話せることはないですよ。あなたが知る機会を得たときに、直接尋ねれば良いんです。自分の足で様々な土地を歩きたいというのと同じ」
「それなら、その時が来たときにたっくさん聞いちゃう! 全然思いつかなかったわ、空の世界だなんて!」
海を知った直後に、その次は空という世界に思いを馳せることになるとは、アネモネも想像していませんでした。ですが既に空のことで頭の中がいっぱいです。空の世界の物語をいつか聞けることを楽しみに、一日を終えるのでした。




