◯絶対言わない
「何かあっても『マスターも一緒に行きましょうよ』とは絶対言わないのね、アネモネちゃん」
それは『彼』にとっての『いつもの』である紅茶を目の前に、カフェアリーヌが不思議がったことでした。彼女はこの紅茶を、アネモネとマスター、二人並んだ場に供したことが無かったのです。しかし、それはそのときまで当たり前のこと。二人が営んでいる店――それはこの喫茶店の支店でもあるのですが――から二人とも居なくなっては、店に誰かが訪れたときに誰もお茶を出してくれません。必ずどちらか片方、留守番をしていなくてはならなかったのです。
ただ、それも過去の話。今は三人目の店員であるロアがいます。ロアに留守番を託し、二人でこの店に来ても良いはずなのに、それが全く無いのです。話を聞けば、それはこの店だけでなく、アネモネがどこに行くにしても同じでした。
少年姿のマスターはアネモネのことを想像し、若干疲れた表情を浮かべつつ、頭のフードを被り直します。
「一緒に行きましょうよ、ね。そんな誘いはついぞ受けたことがない」
「やっぱり、貴方とは仲があまりよくないのかしら。アネモネちゃんとは仲良くしたくない?」
「……仲の良し悪しではないと思うんだけどな。仲が悪ければ、顔も見かけないだろうし、笑い顔なんて記憶にすら残らないだろう。僕は少なくとも、アネモネの顔は覚えている。アネモネが僕の顔を覚えているかどうかは知らないけど」
「流石に覚えてるんじゃないかしら。だって、貴方はアネモネちゃんの『お気に入り』だもの」
ならば、癖のようなものだろうか、とマスターは考えます。おおむねカフェアリーヌもそれに同意しました。それでも、「仲良くしたくない?」という問いの答えを彼がにごしたことに、カフェアリーヌは気づいています。何も言わずじっとマスターの目を見つめました。彼はそれにたじろぎ、苦し紛れに言い訳をします。
「僕は彼女の前だとつい、黙ってしまいがちだから。話が広がらない。一緒に居てもつまらないだろうよ。出かけるなら、貴女やロアとが良いに決まってる」
「そんなのは思い込みよ、思い込み」
カフェアリーヌはカラカラと笑い飛ばします。そうしてから自分のために淹れた紅茶を一口含み、カップを傾けたまま、ちらと彼の胸元を見ます。そこにあるのは、小さな石で飾られた青いブローチ。彼の象徴でもある青色の集合体です。納得、といった具合にカフェアリーヌは息をつきます。
「アネモネちゃんなら、たしかに好きそうねえ」
「何?」
「いいえ、貴方は特に興味を持たないであろう話」
「……そう?」
「きっとそうよ。だから、たまには二人でどこかに出かけるくらいしたっていいんじゃないの? この店に限らなくたっていいんだわ」
マスターはうなります。黙って考えることとしました。アネモネと彼がこの店に来るとして、彼は大人の姿を取るべきか、少年姿を取るべきか、まずそんなことから悩むのでした。カフェアリーヌの前で大人の姿を取るのは、彼にとって気恥ずかしいことのようです。けれど、アネモネの前で少年姿を取れば、それこそ胸元のブローチですとか、あれやこれやと興味関心を持ったアネモネがぐいぐいと迫ってくるのが、容易に想像できるのです。マスターは疲れた表情を浮かべ、今度は深くため息をついてしまいました。カフェアリーヌはクスクスと面白がっています。
マスターは手元に用意されたお茶請けであるクッキー――小皿にほんの二、三枚しか用意されていない、カフェアリーヌからのちょっとしたサービス程度のものです――をかじり、口の中に暫くとどめたあと飲み込んで、その間に考えたことを口にします。
「でも万一、二人で出かけることがあったとしても、来るのはココでしょう。アネモネが僕の話を聞きたがっているのは、一つの事実なのでね」
「そう思ってても、アネモネちゃんの前だと黙っちゃうと。困りものねえ」
「オーナーさんに話して聞かせている側に座らせるくらいは、できるかもしれない」
真剣な顔です。本当にそう思っているのでしょうが、カフェアリーヌはそうではありませんでした。マスターとのお出かけなら、マスターとのお出かけなりに、アネモネはそれを楽しみにして浮足立ってしまうでしょう。落ち着いて席に座っていることが彼女にできるのか。カフェアリーヌにもそれはわかりませんでした。思わず苦い顔をします。マスターはカフェアリーヌのその顔に気づいていませんでした。
カフェアリーヌは枚数の減ったクッキーを見つめながら、つまらなそうに言います。
「けどね、折角この店に来るのなら、たまにはまたケーキセットくらい頼んでいったらどう? 私最近、貴方のお話、全然聞いてないわよ」
マスターがただの常連客だった頃にはよく作っていたカフェアリーヌ手製の菓子を、最近はあまり作っていないのです。マスターの滞在時間が少ないのも理由の一つですが、彼がそれを注文しようとせず、ただただ紅茶だけ頼んでいくのがそもそもなのです。そうするのも、彼なりの理由があるようですが、カフェアリーヌからしてみれば、退屈で仕方がないことのようです。彼女は彼のためにお茶請けを作りたいのではなく、彼の話が聞きたいのです。マスターは申し訳無さそうにしつつも、首を横に振ります。
「僕も自分の店にいる時間が長いから……冒険らしい冒険譚は手元にないよ。お代をツケにし続けるのは心苦しいからね」
「まあね。……でもそれならそれだっていいのよ。じゃあ逆に、アネモネちゃんと来たときまでお話はとっておきなさいな」
「えっ」
「そのときまで、楽しみにしてるから。ハードルが上がったなんてこと、成長した貴方ならありえないでしょう?」
「相変わらず、そういうところは意地悪だなあ……」
この店のルール。「お金は要らない。代わりになにか、面白い話を」――それはカフェアリーヌなりの暇つぶしであり、慈善活動でありますが、マスターのような常連にとっては「面白い話」のストックが尽きれば、こんな他愛のない時間すらも楽しめなくなってしまう、難題でもあるのです。
その難題を前に、マスターはどこか悔しそうに言いました。
「ただただ僕が喋りたいことを喋って、貴女がそれに相槌を打ってくれる。あんな時間がずっと続くものだと思ってた。けど、それももう『過去』……なんだね」
「そうね。この世界にいる限り、時間は流れていく」
「ならたしかに、僕も成長しなきゃいけない。なにか探してきましょう。貴女に聞かせられるような、とびきりの話をね」




