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アネモネが華やかに舞いましょう  作者: komado(六種銘菓BOOKS)
アネモネが軽やかに舞いましょう
45/60

・【マスターの体調不良】

「あれは風邪だ」

「風邪!? マスターが、風邪ひいたの? いいえ、マスターも風邪をひくものなの?」

「ヒトの子であるからには……風邪も貰うものかと。アネモネは人形であるから、風邪はひかないか」

「うーん、どうなのかしら。でもまだ熱を出したり、咳が酷いときがあったことはないわ」

 喫茶店の一階。いつも薄暗いその空間で、今日はキッチンカウンターの明かりだけが灯っています。席にはアネモネ、中にはロア。二人で話しているのは、二階の自室に籠っているこの店のマスターのことでした。今日はただの引きこもりとはわけが違う様子です。

「看病をするので、少し相手ができないが、アネモネは大丈夫か」

「私? ええ、私は大丈夫……。ありがとう、ロアがいるときで良かったわ。私にできることがあったら言って頂戴ね」

「ああ、とりあえず頭用の氷と簡単な朝食だけ持っていこう」

 ロアは大きなトレイを手に、一人階段を登っていきました。部屋の前で一旦床にトレイを置き、扉を開けます。ノックはしませんでした。簡素な部屋の隅に置かれたベッドの中に、横になったマスターがいます。ロアは近づき、彼が薄らぼんやりと起きていることを確認してからトレイを近くまで持っていき、その上に置かれたものを差し出します。

「かゆを作った」

「……すまない、ありがとう」

 マスターは深いため息をついてから寝床から起き上がり、差し出されたおわんを受け取ります。

「全く、身体を持っているとこういうことがあるから面倒だ……ただの神の視点なら風邪なんて引かないだろうに」

「想像よりじょうぜつだ。元気じゃないか」

「元気は無い。喋るのが本分というだけだよ」

 心なしか声が枯れてガラガラとしているのは、やはり風邪だからでしょうか。彼は真っ白なおかゆをスプーンですくって、ゆっくり口に運んでいました。

「味が感じられない。味覚がやられているか」

「いや、それは無味で正しい。特に味をつけていない」

「塩くらいは振ってくれよ」

「他に欲しい物があれば今のうちに聞いておこうか」

「話を聞いてくれ。まあ、頼めるなら経口補水液の類いを……」

「作ろう。しばし待て」

「いや、買ってくればいいから」

 マスターの表情は引きつっていますが、ロアは特に表情を作らず、その会話を交わしていました。その手元では氷枕が作られていきます。それを今置かれている枕と取り換えました。ロアは指を立てつつマスターに容赦なく言います。

「身体があるから面倒だといっても、その身体がある分、私の飯が食べられる。感謝が足りない」

「はい……」

 特に反論もせず、マスターは「感謝」とだけ呟いて食べ終わったおわんをトレイに戻し、再び横になります。氷枕に頭を乗せると、軽やかな音が彼の耳元で鳴りました。ロアは「とにかく、シテンの力を私たちに分散させた分、弱っているのでは。無理をしてはならない」という点を危惧し、指摘しました。マスターは早々にまどろんだ様子ですが、返事をします。

「……このくらいは大丈夫だよ。まあ、このざまでは何を言っても信憑性もなにもないだろうけどね……」

「わかっているじゃないか」


 空のおわんとほんの少しの洗濯物――基本はマスターも自分のものは自分で洗濯していますが、病気ではそれも難しいのです――を引き上げ、ロアは一階に降りていきました。待機していたアネモネが、ロアの顔を見上げます。

「マスターどうだった?」

 アネモネの表情は、心配そうというよりもきょとんとしていると言った方が正しいものでした。マスターが病気になることは、彼女にとってまったく予期せぬ出来事だったのです。

「割と元気。一晩寝れば回復するはず。……さて、私たちも朝飯だ。中華粥にしようか」「中華粥? ロアが作ってくれるのかしら?」

「さっきマスター用に作った白粥の味を変えるだけ。造作もない」

「時間はかかる?」

「卵を入れて、ダシなどの調味料で味を付けるだけ。……が、卵は昨日全部ゆでてしまったんだ。そこだけどうしたものかと。この時間ではまだ店もやっていない」

「あら。私、買いに行くより早い方法、知ってるわ!」

 アネモネはポシェットが置いてある場所まで走っていき、そこからパスケースを取り出してロアに向かって振るのでした。

「なるほど、カフェアリーヌと交渉か。頭がいいね」

「でしょう? ちょっと行ってくるから、待ってて頂戴!」


***


 早朝のcafe chokerに向かったアネモネは、コンコンとノックをしてから扉を開けました。念のために玄関プレートを確認すると、案の定、表になっているのは「CLOSED」の面なのです。ですが中にはカフェアリーヌがいます。彼女も朝ごはんの支度をしているところでした。こちらでは、パンを焼くいいにおいがします。

 ただ、マスターの体調不良は、カフェアリーヌにとっても予想外の出来事のようです。

「卵は全然構わないのだけど……あの子が体調崩すの、初めてなんじゃないかしら。なんせシテンだし、そもそも人の多いところに行くことも少ないし。本人も驚いてると思うわよ」

 カフェアリーヌは何かを言おうとしましたが、「冗長になるわね」と首を横に振ったのでした。アネモネはその意味はよくわからないまま、今度は心配そうに尋ねます。

「ロアは一晩寝れば大丈夫って言ってたのだけど、どうかしら。シテンの体調不良って、何か特別な意味とか、ないものかしら」

「どうかしらねえ。私も付き合いはそれなりだけど、わからないわね。ごめんなさい」

「カフェアリーヌなら知っているかと思ったのだけど、カフェアリーヌでも知らないことなのね。マスターってば自己管理ちゃんとしてくれなきゃ」

 困ったようにアネモネは言うのでした。

 朝早いからでしょうか。少々眠そうなカフェアリーヌはあくびをしつつ、アネモネに熱い紅茶を供してくれました。迷惑をかけていることを詫びながらも、アネモネはちゃっかりその紅茶を楽しんでいました。カフェアリーヌはその様子を見守りながら、ひとつ提案をします。

「彼のお見舞いには行けないけれど、早く良くなるようにっておまじないならできるわよ」

 アネモネは「おまじない」という言葉の響きに、興味のアンテナをピンと立てます。

「カフェアリーヌ、魔女様のお勉強してるのだものね。おまじないには強いはずだわ」

「といっても、非科学的だとね、あまり良くないから。ちゃんと身体に効く薬、作ってあげましょう」

「ポーションみたいなものかしら」

「うーん、ちょっと違うわね」

 彼女はすりこぎを取り出し、それを動かす仕草をしました。

「身体にはいいけど、とびきりまずいわよ」

 にやりと笑うカフェアリーヌは、いたずらっ子のようであり、彼女にしては珍しい表情でした。アネモネも新鮮な気持ちでそんなカフェアリーヌのことを見つめます。

「だって、味を良くするには効果を薄めなくてはならないでしょう。混ぜ物を増やすものね」

「マスターは大人だから我慢できると思うわ。多分」

「どうかしらね」

 その言葉は笑いをこらえつつのものでした。カフェアリーヌは薬になる素材のリストアップをして確認しながら、アネモネに言いました。

「あの子、薬師(くすし)さんのお話を聞かせてくれたこともあったのよ。なんだかそれを思い出しちゃう」

「へえ……羨ましいわ。マスターから面白いお話聞けるのは、カフェアリーヌの特権だわ。私はちょこっとしか聞けないのよ」

「あら、そうなのね。……そうね、でもいずれ聞けるかもしれない。じっくり待ってみましょ。気長にね」

「はあい」


 アネモネはお腹に手を当て、少しばかり朝食が遠いことを気にしていましたが、「気長にね。そうよね、大事だわ!」と笑うのでした。アネモネは貰った卵をポシェットに数個入れ、割れないように気を付けて持ち上げてから、それをロアの元にまで届けるのでした。

 朝ごはんが終わるころにはカフェアリーヌの薬も出来上がるでしょう。

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