・【フランスパンのフレンチトースト】
アネモネがキッチンの中にいるロアの方を背伸びして覗き込みます。中からはなにやらザクザクとした音が聞こえます。
「ロア、何作ってるの?」
「フレンチトーストの仕込みをしている」
「フレンチトースト! 私好きよ、作ってくれるの?」
「明日の朝ごはん。それでもよければ」
「もちろんだわ! でも、明日の朝はまだまだ先ね?」
まだ夜ご飯の準備もしていないような時間でした。時計が一周しても、まだ朝ごはんの時間にはなりません。ですがアネモネはすでにワクワクと期待感を高めていました。ザクザクとした音の正体は、フランスパンを適度な厚さに切り分けている音だったのだと、アネモネの目の前で示されています。
「パンを卵液につける。染み込むのに時間がかかるので、この時間からでないと……ふわふわにならない」
「じっくり時間をかけるっていいものよね」
アネモネは両の頬に手を当て、嬉しそうにそう言いました。ただ、直後に気づいたように棚を指さして唸ります。
「ホットケーキと同じでいつもジャムを乗せるのだけど、いちごのジャムにするか、りんごのジャムにするか、それともマーマレードにするか。それにたまにははちみつにしたり、粉砂糖をいっぱいかけたりもするから……うーん、悩んじゃうわ! 明日の朝なんてずっと先なのに」
「ずっと先と思えるのは良いこと。時間を大切にしている証拠」
「そうかしら?」
「まだ朝が来るまでには時間がある。その時間を無下にしていたら、その言葉は出て来ない」
「そうなのね」
アネモネは時計を見つめます。太陽の明かりや月影に頼ることが出来ないこの真っ白な世界では、時計の動きだけが頼り。時間がどれほど経ったのか、目的の時間まであとどれぐらいあるのか。それを確認する唯一の術です。ここを拠点にする者は皆、それを大事にしていました。ですが、時計を大切にすることと、時間そのものを大切にすることは違うものです。
アネモネは置き時計に近づき、埃がかかっていないか指でフチを拭います。彼女の日課になっている毎日のお掃除のお陰で、指に汚れはつきませんでした。
「大事よね、時間は。あっという間に過ぎてしまうものだから」
アネモネは大事そうに時計を撫でます。ロアはその様子を見つつ、仕込みを続けていました。
「あっという間だが、時間をかけたものには相応の価値が出る。不思議なもの」
「そうね、時間をかけたからこそ良い物があるのはそのとおりなんだわ。フレンチトーストだって手軽に作れる美味しい物もあるけど、今ロアが作ってくれているじっくり作るフレンチトーストは格別に違いないのよ。けど手軽に作れるものが悪いわけじゃない」
「そう、だから不思議なもの」
「不思議ねえ」
ふふ、とくすぐったそうにアネモネは笑いました。
ボウルに卵と牛乳と砂糖を入れ、卵液を作ります。ロアは手慣れた様子で泡立て器を動かし、しばらくしてからその中にバニラエッセンスを振りました。甘い香りがぱっとその場に広がります。すん、と鼻先に感じるそれを、アネモネは楽しんでいました。
「焼くときは、パンの周りにカリカリの部分作ってくれる?」
「コツが必要。難しそうだが、やってみよう。何事も挑戦」
「ありがとう! これで明日は早起きで決まりね!」




