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アネモネが華やかに舞いましょう  作者: komado(六種銘菓BOOKS)
アネモネが軽やかに舞いましょう
40/60

◯イゴーロータランと自由

 今度は、アネモネがカフェアリーヌのお店によく遊びに行くようになった頃のお話です。


「カフェアリーヌにね、妖精のことを教えてもらったのよ! マスターは妖精のこと、なにか知ってる? 色んなものに宿るんですって!」

「……妖精ですか」

 無邪気に尋ねるアネモネと、涼やかに対応するマスターの様子は、今となっては日常的に繰り返されるものでした。ただこの日のアネモネの熱量は凄まじいもので、マスターは若干たじたじといった具合に後ろに仰け反っていたのでした。簡単な話程度なら無言でスルーするのですが、今日は目をそらしつつも丁寧に言葉を返します。

「それなら、シテンだって妖精や精霊の類いだとされているんですよ」

「えっ……?」

「イゴーロータランを引いてみなさい。書いてありますから」

 辞書を引くのと同じニュアンスで彼は言いました。

「そうよね、たしかにそうなんだけど……私がずっと探していた妖精さんたちとマスターたちじゃ全然違う気がしてしまう……」

「この世界に現れている時点で、シテンはヒトとなった存在です。だからたしかに、貴女が今探していたような存在とは違う。ですがヒトから見て少し不思議な存在は、皆妖精のようなものかもしれません」

 本棚から薄い冊子をマスターは取り出し、アネモネに手渡しました。これが『イゴーロータラン』と呼ばれるものです。『ナラトロジー』を逆さ読みしたそれは、マスターがシテンのことを簡単にまとめたものだと、アネモネは人伝てに聞いています。アネモネはパラリとそれを広げて文字を目で追いました。その様子を見守りながら、マスターは補足します。

「ヤドリギたちから見れば、我々は十分不可思議な存在ですからね」

「でも、シテンとヤドリギはパートナーなのでしょう?」

 パートナー同士であれば、よく見知った者同士であれば、ヤドリギであってもシテンのことを妖精のように扱うことはないのでは、と思ったのです。アネモネにとっての妖精は、もっと幻に触れるような感覚のものだったのです。なにせまだ、このときのアネモネは妖精をその目で見たことがありませんでした。

 マスターはアネモネの問いに頷きます。

「そうです。互いに替えがきかない大切な存在。だから、この店まで迷い込んで来た者はヤドリギの元に帰してやらねばならない。それが私に与えられた役目です。……ああ、いえ、貴女が聞きたい妖精の話とは少し違いましたね。すみません」

「ううん、気にすることじゃないわ。そうよね。それだからこそ、私はこの店でマスターの役目をお手伝いしなきゃならないの」

「貴女は自由ですよ、アネモネ」

「え?」

「私は部屋に戻ります。今話したような客が来ない限りは、何をしていてもいいですよ」

 それ以上はマスターは何も言いませんでした。冊子はいつの間にか、棚に戻されていました。


 一人きりになったアネモネは、店の外でしゃがみ込みつつ、ついぼやきます。独り言です。

「自由……って、今の生活のどこが自由なのかしら。たしかに、少し前よりはマシだけど、不自由だわ。何をしていてもいい、だなんて口だけだもの。自由ってもっと大きいものよ。私が欲しいのはそれだわ。演劇みたいにしてみればわかりやすいのかしら。『私にもっと自由を!』なーんて」

 両腕を空に向かって広げました。その時です。遠く遠くから駆け足の音が聞こえてきたのです。マスターは今お店の中にいますし、マーメイド・ロアであればブーツの硬い音がしそうですが、それともまた違います。心当たりのある人物の足音とは異なる、柔らかいけれど急いている足音がアネモネの耳に届きました。アネモネは振り返ります。

 こちらに向かってきているようで、徐々に大きくなる音の方角を向くと、マントを羽織った男が走っている様子がアネモネの目に映りました。

「まあ、お客様だわ。噂しちゃったからかしら」

 ばっとアネモネのもとに飛び込んできたその男が身につけているマントやゴーグル、着ている服から、アネモネはそれがシテンだと直感的にわかりました。

 男は息を切らしながらアネモネに言います。

「ちょっと逃げ出してきたんだ。匿ってほしい」

「だ、誰かに追われているの?」

「追われているんだ」

「それは……不自由だわ。とりあえず中へ」


 シテンは店内でアネモネから冷たい水を貰い、それをぐっと飲み干します。騒々しさに部屋から出てきたマスターは、ある種の冷ややかな目で、そのシテンを見つめています。

「シテンが逃げるものや追われるものといえば、思いつくのは今のところひとつしかない」

「それは何?」

 アネモネは息をのみます。マスターは真剣な顔で答えます。

「締切です」

 想定外の回答に、

「……え、えぇー……」

とアネモネは訝しげな顔をします。ですがマスターは至って真面目です。

「あれは恐ろしいですよ。逃げ出したくなるのもわかる」

「わかってくれるか! もう散々なんだ、どうしたらいいだろうか」

 男が大きな声で反応します。

「だがあれは実体がない。我々創作者にとって、決して逃げてはいけない存在でもある。向き合うためにヤドリギの元に帰りなさい」

「そうは言ってもあれは恐ろしいんだぞ!」

「逃げるばかりが道ではあるまい」

 マスターは大きくため息をついて、アネモネに手招きをして呼び寄せます。

「アネモネ。私より貴女の言葉が響きそうな客人だ。貴女から話を」

「私でいいの? 仕方ないわね」

 呆れたように、でも誇らしげなアネモネは、旅人の足元まで近づき話を始めます。

「落ち着いて。お兄さんは誰に追われてなんかもいないはずなの。ただ自分やヤドリギが作る敵が強くなればなるほど、お兄さんが苦しんでしまう。今みたいに、逃げ出したくなるくらいに。でも私達は自由を求めているのよ。どんな形であっても構わないはずなの。旅ってそうじゃない? それを勝手に追い込まれて走らなきゃならないようなものにしちゃうだなんて、ナンセンスだわ」

「自由か。でも自由ばかりでは生きていけないのも俺たちなんだよ。一定の縛りがなければ物作りができない。そんな存在はいくらでもいる」

「本当にそういうものかしら」

 じっと見つめるアネモネの目がまっすぐなことに、シテンは一瞬たじろいてしまいました。

「しかし、そうだな……仕方ない。逃げるのは観念するよ。敵には向き合わなくては、ストーリーとしても面白くならないからね」

「さすがシテンね! それなら大丈夫よ」

「ただ、やっぱりもう少しだけ……帰るのは先延ばしに……」

「どっちなのよ」

 そのシテンはアネモネの給仕で、一杯のコーヒーと簡単な軽食を平らげてから帰っていきました。彼にとっては、程よい休憩になったようです。

 彼が帰るのを見送ってから、アネモネはため息をつきました。どうやらこの店に来るお客様は、癖はないものの面倒な事情を抱えている場合も多い様子です。ヤドリギの元を離れた彼らが行く先々で何をしているか、それはアネモネたちにもわかりません。

「パートナーであるヤドリギたちも、しっかりしてくれなきゃなのね。難しいわ……」

「だから言ったでしょう、アネモネ。貴女は自由なんですよ」

 マスターが言いました。アネモネは珍しく、苦笑いでそれに返事をしました。

「たしかに、自由なのかもしれないわね」

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