▼サン マーメイド・コック・マーチャント
「こういうのはな、味は濃そうに見えるかもしれねえが、ガッと食っちまえばあっという間なんだよ」
ざらりとした汁を椀によそって、その初老の男性は言いました。ロアは静かにそれを受け取りました。
対面に向かって座る二人は、囲炉裏と鍋を間に挟んで話していました。鍋の中には、漢方にも使うと言われている野菜が、厚めに切られた人参や大根、肉の切れ端などとともに煮込まれていました。椀の中にもすべての具材が揃っていました。調味のベースは味噌でしょうか。ロアは一口、汁をすすりました。
「ああ、美味い。郷土料理というのはこうでなくては」
握り飯と一緒に頬張ると、瞬間の多幸感に包まれます。肉と一緒に漢方野菜をかじるとほのかな苦味が広がりますが、肉の脂の味がそれをまろやかにします。男は杓子を握ってぐるりと鍋を一周させつつ、ロアに向かってぼやきます。
「しかしまあ、よくこんな田舎まで来るもんだ。旅人ってのは場所を選ばねえのか」
「選ぶ者もいれば、選ばない者もいるはず。私はシンプルにこの料理に興味を持っただけ」
「はん。まあ、自分の作ったメシを美味いと言われて悪い気がするやつはいねえよな」
「滋養にいいのだろう。これがこの街の人々の長寿の秘訣か」
「どうだかなあ。山ん中だから、空気が良いのもあるかもしれねえぜ」
ロアは皮がついたままの人参にかじりついて、それを飲み込んでから深く息を吸いました。汁の香りが良いのはもちろんでしたが、男の言うように空気が綺麗なことを感じます。薄暗い掘立て小屋の中ですが、常に開け放たれた窓や扉から入ってくる山の空気が澄み切っているのです。炭火のぱちりと弾ける音が静かな空間に響きます。
「成程。食以外の環境も、か」
ロアはあぐらをかいていた足元を少しだけ礼儀のあるものに整え、同じようにあぐらをかいていた男に言います。
「私は普段海を巡っている。人魚の涙や肉の噂は、私にとっては迷信。だがこの汁の効果は迷信ではなさそうだよ。環境は中々真似できないが、料理は真似ることができる。レシピを聞いてもいいかな」
男は無精髭の生えた顎に手をやり、考えます。
「構わんが、その様子だと汁そのものっつーより漢方に興味があるんだろう。買っていけ。それで自分で焼くなり、煮るなり。そのほうが満足するだろうよ」
「……確かに、それも良い。だがこれは美味い。それだけが理由というのも駄目だろうか」
男はしばらく黙っていましたが、間を開けてからガハハと豪快に笑いました。
「駄目なんて野暮なことはねえ! 無骨な男でも作れる食いもんだ。あんたみたいに線の細いやつならもっと器用に作れるだろうよ」
それは悪口のようにも聞こえましたが、ロアにとって聞こえの悪いものではありませんでした。
「作り方なんて、切って、ぶち込んで、そんで煮るだけだ。だから材料だけだな。ちょっとこっちに来い。うちは白味噌なんだ。近所の味噌屋のババアに聞くのが早い」
そうしてロアは男の案内で必要な材料を集めていくのでした。
~・~・~
今のロアは、白い世界の喫茶店でそのときの材料を使ってあのときの漢方汁を作っていました。カウンター席ではアネモネが興味深そうにその様子を見守っています。コックコートを着けて長い髪を結っているロアは、山に行った訳を話していました。無表情ですが、アネモネの目には楽しそうに話しているように映っていました。
「不老不死に興味があるわけではない。ただ、日々を健康によりよいものにできることに興味があるだけ」
「人魚の涙が真珠になるお話は知ってたけど、不老不死のお話は私さっき始めて読んだのよ。ロアにそういう力はないのね?」
「無い。私は人魚だが、海賊版だから」
「海賊版って偽物ってこと? それとも海を荒らす人ってこと? どっちにしろその言い方だと、ロアが悪い人になっちゃわない?」
「受け取り方次第」
マーメイド・ロア、という名前ですから彼女は人魚の一種らしいのですが、見た目にそれは全くわかりませんし、本人もほとんどその自覚はないといいます。泳ぎは得意なようですが、ヒト同様の二足歩行で移動しますし、ヒレや鱗、水かきは全くありません。ですがその名前を与えられている理由を知るために、様々な海を冒険したり、関連する話を聞き集めたりしていました。人魚伝承には色々なものがありますが、そのいずれもロアには当てはまらないらしいのです。彼女は大きくあくびをしますが、その時に目に滲んだ涙は真珠になる気配が全くありません。
今の彼女は、商人として様々な土地の商材を取り扱えるようになる為の冒険を続ける傍ら、この店で時折ウェイターやコックの代わりを務めています。今日も沢山の土産物を抱えてこの店までやってきました。
二人で話しているうちに、人参と大根、薄く切った肉と、山で手に入れた漢方野菜と味噌を一緒に煮込んだ、ざらりとした汁が出来上がりました。ロアは小さなお椀にそれをよそい、あのとき男がロアに手渡したように、今度はアネモネに手渡しました。アネモネはスプーンを使いたい様子を見せていましたが、それは違う食べ方だとロアは諭し、箸を渡すだけに留めていました。アネモネは椀に直接口をつけ、汁をすすります。
「お味噌の味が全然違うわ。いつもマスターが作ってくれるお味噌汁と、舌触りが全く違う。それに不思議な味……!」
「現地の味噌。これはまた仕入れたい。味は漢方特有のもの」
「これ食べている人たちはみんな元気なの?」
「皆かどうかはわからないが、はつらつとしていた」
「そうなのね。それって凄く良いことだわ! マスターやカフェアリーヌにも食べさせてあげましょうよ」
「癖があるから、二人の口に合うかどうか」
「私が美味しいって思ったんだもの。ロアも美味しいって思ったんでしょう? それなら大丈夫よ!」
「なら、安心。……環境は真似が難しい。だがこの白い空間であっても、滋養に富んだものを食べれば何が大切かわかるようになるはずさ。迷子のシテンにも、いつかこれを食わせてやればよい」
ロアはアネモネの笑顔を見ながら、汁をよそったお玉をぐるりと鍋の中で一周させるのでした。




